国内小旅行記

愛野郎の愛の旅。米沢上杉まつり




2004年5月2日正午ごろ。


新幹線に揺られることおよそ2時間。ついに、私は念願だった米沢の地に降り立った。

目的は上杉まつりの見物と、米沢観光。

さらに言えば、直江兼続めぐりである。

思えば、私が初めて直江兼続を知ったのは今から10年以上前、中学生のときである。

以来、さまざまな小説や漫画を読んで知識を深め、『信長の野望』シリーズではお気に入り武将として使いまくり、そして、2000年から連載を開始した小説では、直江輪に兼続の“愛”の前立ての鎧兜を着せて、主人公に据えたわけである。

さらには私自身その名前をもじって“直江雨続”を名乗っているなど、とにかく直江兼続とは縁が深い。

そんな事情もあり、ずいぶん前から米沢には行ってみたいと思っていたし、上杉まつりを見たいとも思っていた。

今回、ようやく長年の悲願が叶ったわけであり、なかなか感無量である。

というわけで、当然の人事だが、今回は連れの代理として輪に登場してもらう。

「直江輪だ。よろしく頼む。俺の事を知らない読者は、 小説を読んでおいてくれ」

うむ、では早速写真を一枚。

新幹線から降りたら、駅のホームに早速こういうものがあった。

上杉まつりの宣伝用パネル。

駅から出てみると、米沢という町は、思ったよりも都会ではなかった。

「…つまり田舎、ということだな。人口も10万人いない町だ、しょうがない」

だな。では早速バスに乗って上杉神社に行くぞ。

バスに揺られることおよそ10分。上杉神社前のバス停に到着。

輪、説明よろしく。

「うむ、もともと米沢という町は、城下町であり、米沢城があったのだが、明治の廃城令によって取り壊されてしまった。現在では城の跡地は整備され、松が岬(まつがさき)公園となっている。この公園の中には、上杉謙信公を祀る上杉神社や、宝物殿である稽照殿(けいしょうでん)などがある。ちなみに直江兼続公の“愛”の前立ての鎧兜はこの中だ。他に、この公園の周りには上杉鷹山公を祀る松岬神社、上杉城史苑、伝国の杜、上杉記念館などがある」

う〜ん、輪がいると全部説明してくれるから楽でいいなぁ。

さすが歴史薀蓄担当。

「…自分で書いておいて何を言うのだ、この作者」

まぁ、細かいことは気にするな。ではまずは上杉神社に行ってみよう。

上杉神社に向かう道は、ご覧の通り出店が並び、観光客であふれていた。

ふむ、予想以上に混んでいるな。

「GWで、上杉まつりで、しかもこの好天だ。無理も無い」

だな。私には珍しく、天気に恵まれているのはいいことだ。

天気が良ければ、何でも出来る。ってなもんだ。

「(意味が分からん)…さて、次の写真を見てもらおう。これは堀だ。もともとここが米沢城だったという説明はしたが、城はなくなっても堀は残っている。これがそれだ」

というわけで、堀。武将の名前を書いた旗がたなびいている。

これは説明用の看板。字が細かいが、読めるなら読んでみて。

看板の説明を読み、さらに歩いていた私の目が、あるものを発見した。

「むっ、これは…」

『伊達政宗誕生の地』の碑。

「…そうだった。米沢城は伊達政宗が生まれた所だった」

だな、意外と知られていないけど。

「もともと米沢を含む置賜地方は、政宗に到るまで、200年以上伊達氏が支配していたのだ。特に政宗の父輝宗は、この米沢城を本拠としていたため、当然政宗はこの城で誕生した。ちなみに永禄10年(1567)8月3日のことだ」

しかし、巡り巡って政宗は仙台に引越し。あとで直江や上杉家が入ってきたもんだから、すっかり伊達色は薄れてしまったわけだな。

今となっては残っているのはこのちんけな碑が一本か、政宗も浮かばれないなぁ…。

「ああ、しかもこの碑、出店に挟まれてまったく目立たない。どこかの誰かではないが、かなり不幸だな」

そうなのだ。両脇を出店で挟まれ、ともすれば見逃してしまいかねない。

さて、伊達が不幸だという事を再確認したところで、もっと目立つところに、もっと素敵なものがあったので紹介しよう。

「上杉謙信公の銅像だな」

政宗誕生の碑とは、扱いが段違いである。

戦国最強の軍神、上杉謙信公の凛々しいお姿。

さて、謙信公のお姿を拝見した次は、上杉神社前の風景を紹介しよう。

上杉二十八将のぼりが風にたなびく。

直江大和守実綱の旗。兼続の義父にあたる。先代の直江である。(ちなみに兼続は直江山城守)

上杉謙信公家訓十六ヶ条。もちろん輪君はこれをいつでも守っているぞ(?)

上杉二十八将のぼりの先、これが上杉神社。

説明の看板。読んでおくように。

上杉家の家紋がでかでかと輝く神輿。

というわけで、上杉神社にお参りを済ませ、私がやったことは、お守りの購入。

実は、今度友人達と(本物の)耐久レースに出場することになったので、その出場マシンにつける交通安全のお守りが欲しかったのだ。

さすがに“嵐を呼ぶレーサー”が乗る以上、神頼みとして上杉謙信公はこれ以上ない存在。

「…いくら謙信公でも作者のトラブルメーカーぶりを何とかするのは難しいと思うが」

やかましい。

「そもそも、いくらグランツーリスモで鍛えたといっても、あくまでゲーム。実車の耐久レースで実績を出すのは相当厳しいと思うぞ…」

ああ、もう、そんなことは分かってる。しかし、ネタのためならレースにも出るのが私の生き様なのだ。

これぞ武士道ならぬネタ道。

「…なんだそれは」

気にするな。というわけで、買ったお守りを紹介。

まずは、この“毘”の一字が素敵な交通安全ステッカー。

そして、吸盤付のお守り。

きっとこのお守りがあれば、マシントラブルの類は起こらず、無事完走できるだろう。

「…どうなることやら」

それより輪、せっかくだからおみくじを引くぞ。

「おみくじ? そういえば3月に鎌倉の鶴岡八幡宮で“凶”を引いたそうだな」

おっ、良く知ってるな。

実はそうなのだ。忘れもしない3月28日、見事に私は凶を引き当てた。(自慢)

ってわけで、源頼朝公にすっかり嫌われたが、上杉謙信公はどうだろう。

「ふむ、では引いてみるか」

私の結果は、なんと“吉”であった。

素晴らしい好成績である。

ちなみに、輪はどうだ?

「……小吉」

わっはっはっは、勝った!

「むぅ」

最近綾瀬に嫌われるようなことでもしたのか? 気をつけろよ、輪。日ごろの行いが悪いから作者に負けるのだぞ。

「…くっ、何の冗談だ、これは」

落ち込む輪を尻目に、作者は意気揚々と次なる目的地に向かった。

いよいよお待ちかねの稽照殿だ。

「ついに本物の“愛”の前立てとご対面というわけだな」

うむ、ドキドキするな。

それこそ初恋の人にめぐり合うような気持ち?

「…嫌な気持ちだな」

というわけで、入場券を買って、いざ稽照殿に突入!

稽照殿。ちなみに中は撮影禁止…。

「…残念だったな、まさか撮影禁止とは」

(がっかり)せっかく読者に見せてあげようと思ったのにぃ〜。

「見たければ自分の足で来ることだ。俺としては、あまりアレを人目にさらしたくはないしな…」

というわけで、本物の“愛”は作者だけの胸の中に。

これぞまさに「鎧は胸にあり」

「何でここで謙信公の“常在戦場の心得”が出てくるのだ…」

うむ、せっかくだから全部紹介してくれ。サバゲー編でも使えるネタだぞ。

「…やれやれ。では紹介しよう

運は天にあり
鎧は胸にあり
手柄は足にあり
何時も敵を掌にして合戦すべし
疵つくことなし
死なんと戦へば生き
生きんと戦へば必ず死すものなり
家を出ずるより帰らじとおもえば又帰る
帰ると思えばこれまた帰らぬものなり
不定とのみ思うに違わずといえど、武士たる道は不定と思うべからず
必ず一定と思うべし

というのが、常在戦場の心得だ。参考にして欲しい」

そうそう、「運は天にあり」なのだ。だから運を天に任せて、ちょっと放浪してみよう。

なにかいいもの見つかるかもしれないし…。

見つけたいいもの。米沢観光協会のテントで売っていた上杉軍勝どき飴と毘のハンドタオル。

というわけで、早速お土産にこれらを買い、意気揚々と上杉神社を後にした。

すると…

上杉軍の突撃隊長、柿崎殿を発見。

斉藤殿は友人の方々となにやら談笑中。

ふむ、なにやらあっちのほうから続々と上杉二十八将が現れてくるようなのだ。

もう少し行ってみるとしよう。

「…妙な胸騒ぎがするな」

ん? そうか? って、あれは!?


私が見たものとは?


そして初代愛野郎(?)、直江パパ(大和守実綱殿)を発見。ポーズを決めてもらい撮影。

かぶとの緒を締めてなかった(笑) 結んでもらう直江パパの姿。

気を取り直して、もう一度ポーズ。快く撮影に応じてくださり、ありがとうございます。

というわけで、なんと直江大和守実綱殿を発見し、写真を撮ることに成功したのだ。

いや〜、ラッキー。これも謙信公のご加護? 運は天にあった?

「というか、どうやらこの“まいづる幼稚園”が武将の方々の着替え場所らしいな。このあとも続々と二十八将が出てきたようであるし」

まぁ、出待ちで写真を撮っても良かったけど、直江パパを撮れたからもういいや。昼飯にしようか。

「そうだな。確かに腹も減った」

では、近くの上杉記念館に行ってみよう。

上杉記念館の説明。現在は高級レストランなのだ。

これが上杉記念館の建物。

しかし、めちゃめちゃ混んでいた。

そして「1時間待ちです」と言われ、すごすご退散。

残念ながら、そんなに待っていられないのだ。

「ではどうする?」

地図によれば近くに『吉亭』という米沢牛のお店(というか超老舗)がある。そこで食べるとしよう。

行ったら今度は「30分待ちです」と言われた。

しかし、これ以上放浪するのも嫌だったので、素直に待つことにした。

なぜか輪君と銀英伝しりとりをして時間をつぶし、3時近くになってようやく料理にありつけた。

食べたのは特撰米沢牛しゃぶしゃぶ、ちなみにお値段5775円(!)。

「こんな高いものを頼むとは、随分リッチだな」

いや、なんつーか、これがこの店で一番安い料理だったのだ(爆)。

さすがは超一流の老舗である。

社会人3年生になったばかり、私の軽い財布には計り知れない大ダメージである。

5775円の特撰米沢牛しゃぶしゃぶ。生涯最高のおいしいしゃぶしゃぶだった。

というわけで、値段相応、生まれてこのかた、これほど美味いしゃぶしゃぶは食べたことがなかった。

もし将来お金持ちになったらもう一度来て、今度はもっと高いものを食べてみたいものである。

清水の舞台から、半ば強制的に飛び降りて食べてみたが、この世の楽園、至福のひと時を体験できた。

これもまた、大事なネタである。

「…なんでもネタになればいいのか、この作者」

うむっ(断言)

吉亭の門。中に入ると老舗らしく素敵な庭も楽しめた。

さて、腹も膨れたところで、次なる目的地に行くとしよう。

「今度はどこへ?」

春日山林泉寺、直江兼続夫妻のお墓があるところだ。

「なるほど。それは行かねばならないな。そしてお参りして、不肖の作者の悪行の数々を詫びねばなるまい」

…何か引っかかるが、まあいい。

吉亭から歩いて15分ほど、山形大学工学部の校舎をさらに行くと林泉寺が見えてきた。

林泉寺の遠景。

看板、これまた説明を読んでおくように。

境内拝観券を購入し、早速探検。

そんなに広くない墓所には、上杉家代々の奥方、子女をはじめ、信玄公六男の武田信清や、その他上杉家重臣、鉄砲師、学者など、著名人のお墓が沢山。

謙信の姉、仙桃院のお墓もあった。

上杉景勝の母で、直江兼続を見出して、景勝の近習に推挙した大恩人である。

そんな中、特に私の目を引いたのがこちら。

広奈様のモデル(?)でもある、信玄公の娘菊姫のお墓。

輪君が広奈様に頭が上がらないのも、主君の正室だからでしょう。

「って、好き勝手に写真に解説を書かんでくれ」

まあ良いではないか。つまり菊姫は、信玄が自らの死に際して「わしの死後は上杉を頼れ」と遺言した、そのエピソードの象徴的な人なのだ。

そして、武田と上杉の和解の歴史的証人でもある。

この人のお墓も参りたいと思っていたので、実に良かった。

「そうなのか…」

うむ。では、次はお待ちかねの直江兼続夫妻の墓に行くとしよう。

看板。あれ? 奥さんのことが書いてない。

これがそのお墓。左が兼続、右が奥さんお船の方(おせんのかた)。

逆光が見苦しくてすいません。

さて、せっかくだから直江兼続の奥さん、お船の方(おせんのかた)について紹介しておこう。

お船の方の父は、先ほど私が写真を撮った、直江大和守実綱(初代“愛野郎”直江パパ)である。

大変聡明な女性として知られ、一部では兼続の功績の多くが、お船の内助の功、とすら言われている。

「…そうなのか」

そうなのだ。一部の小説なんかだと、上杉忍軍の影の女首領だったり(!)、直江パパ以来の直属の部下である与板衆をあれやこれやと使って兼続を助けたりと大活躍。

真田信之の奥さんで、本多忠勝の娘の小松姫に並ぶ女傑である。

「…本当か?」

今となっては誰も分からないが、そういう小説が出るくらい賢くて強い奥さんだったのだ。

そして、多分史実なのが、『直江兼続は奥さんに頭が上がらなかった』ということだ。

「…!」

もう少しその辺の背景を説明しよう。

お船のパパ実綱には男子がいなかったので、初め信綱をお船の婿に迎えて直江家を継がせていた。

船だから、旦那は波平だろう、とか、そういうアホなことは言わないように。

「自分で言ってどうする」

…それはともかく、お船の最初の旦那は直江信綱だったことを覚えておいて欲しい。

んで、天正六年(1578)三月十三日、上杉家とお船にとって大事件が起こった。

そう、謙信公が脳卒中で倒れ、四十九歳の生涯を終えたのだ。

このとき倒れた謙信公に付き添って看病したのが、このお船だったのだ。

しかも、謙信公は死ぬまで自分の後継者を指名していなかった。

このとき、後継者候補である謙信の養子が二人いて、一人は景勝、もう一人は北条氏康の七男景虎。

どちらが後継者に選ばれてもおかしくない状況だったが、結局謙信公は何も言わずに死んでしまった。

がっ、ここでお船はとんでもないことをする。

危篤状態、人事不省に陥っている謙信公から「後継者は景勝」という遺言を聞きだした、と言い張ったのだ。

「それは本当だったのか?」

多分嘘。

「……………」

しかし、彼女は頑張ってそれを言い張り、謙信公が死んで、それを確認することも出来なくなったため、「後継者は景勝」というのがそのまま正式に認められてしまったのだ。

つまり、お船は景勝&兼続にとって、謙信公後継の正当性を保証してくれた、大恩人なのである。

この後、それに不満を持った、上杉景虎は「お館の乱」で景勝&兼続と戦うが、あえなく敗死。

こうして名実共に景勝&兼続が謙信公のあとを継ぎ、上杉家の二代目となった。

だが、この後お船にとって、悲劇が待ち受けていた。

旦那の信綱が論功行賞のもつれから生じたトラブルに巻き込まれ、毛利秀広に斬殺されてしまったのだ。

これにて直江家は断絶。

…となるところだったが、景勝は直江家が絶えるのを惜しみ、兼続(このときは樋口だったが)をお船の再婚相手にして婿入りさせ、直江家を継がせたのである。

兼続二十二歳、お船の方二十五歳のときである。

兼続にしてみれば、バツイチの奥さんの婿になって名家を相続できたわけだ。

しかも、これで直江家の居城、与板城城主の座も転がり込んできた。

名家直江家の娘で、謙信公後継の座を保証した大恩人、そして3歳年上の姉さん女房。さらに自分ではなく、お船に忠誠を誓う与板衆がたくさん(笑)

兼続にとって、この奥さんはあまりにも強すぎた。

ってか、兼続の立場が弱すぎた(笑)

“生涯奥さんに頭が上がらなかった”という話の信憑性、これで高くなったと思う。

400年後、輪君が女難なのも、きっとこの辺に原因があるはず。

「…………」

まぁ、そういう奥さんである。

戦国武将の奥方は数あれど、本多小松とならび、作者が大好きな女性がこのお船の方である。


以上、薀蓄終わり。

「…実に参考になった。心しておく」

なにやら輪が深刻な顔で考え込んでいるが、放っておくとしよう。

お寺の入り口付近では、笹野一刀彫の売り場があり、おっちゃんとおばちゃんが親しげにお客さんに声を掛けておりました。

そう、直江(たぶん兼続ではない)目当てのお姉さん方(たぶん『炎の蜃気楼』読者)が何人もこのお寺を訪れていて、その人たち向けに『炎の蜃気楼』の単行本が置いていたり、“『炎の蜃気楼』完結記念”ポスターが張っていたりしていたのだ。

米沢土産と言えば鷹の一刀彫が有名なのだが、そのお店では、謙信公の一刀彫、兼続の一刀彫等も売っていてなかなか商売上手(笑)。

私もついつい買いたくなったが、それより凄いものが壁にかかっていた。

そう、胸に“愛”と書いた、オリジナル兼続Tシャツが売っていたのだ。

速攻で購入。

それがこれ。

“愛”のTシャツ。値段は忘れた。

他にも、与板銘菓『愛のほたる』が売っていた。

ちなみに、この銘菓のHPがあるのでご紹介。

ぜひ、『愛のほたる』の写真をごらんいただきたい。


さて、そんなこんなで、林泉寺を後にし、再び上杉神社のところまで戻ってきた。

すると伝国の杜前の広場では、今日19時から行われる武示帝式(ぶていしき、“てい”の漢字がなかったので示と帝で代用)の準備中。

リハーサル風景。手前にあるのが、1000円の指定席。

指定席には『当日券あります』のプラカードを持ったおじさんがおり、せっかくなので、当日券を買うことにした。

ちなみに1000円。武てい式のしおり付。

そして、明日の川中島合戦のシナリオも売っていた。

これも1000円。もちろん購入。

これがその武てい式のしおりと川中島合戦のシナリオ。

リハーサルを少しだけ眺めてから、今度は伝国の杜に入ってみた。

そこでもいくつかの直江兼続グッツが売っていたので、早速購入。

買った後写真も撮ったので紹介しよう。

米沢直江会が出している絵本風の『直江兼続公絵話』700円。愛の兜が目を引く一冊。

“直江兼続公をNHK大河ドラマに推進する会”が出している紹介パンフ200円。これも凄い。

さて、この伝国の社の中には上杉博物館があり、『絵図によむ米沢』展が開かれていた。

HPも紹介しておく。

『絵図によむ米沢』は大して面白くなかったが、上杉博物館の常設展示コーナーはとても良かった。

入って最初に目に付くのは、直江兼続、上杉景勝、そして謙信公の3人の前立て解説コーナー。

もちろん全部写真に収めた。ご覧めされい。

“愛”の解説。

“愛”の前立て。

これは景勝の前立ての説明。

“愛”ほどではないが、結構派手。…似たもの主従?

謙信公の前立ての説明。

謙信公の前立て、有名な飯縄権現(きつねさん)

三者三様に目立つ前立てを好んだようです。

ほかにも、米沢の街づくりに関して、直江兼続の業績があれこれ紹介されていました。

やはり、米沢では直江の人気は高い。

兼続の肖像も描かれていて、なかなかの力作。

他に私の目を引いたのが、非常に出来のいいジオラマ。

当時の米沢の町、農村の生活の様子が一目で分かる。

かなり精巧で、写真のアップにも耐えられるつくり。いろんな博物館を見たが、このジオラマは今まで見た中で一番である。

農村の様子。旅人は白装束であるところを見ると、出羽三山の修験者さん?

田植えをする農民の皆さん。田んぼのジオラマの出来が実に素晴らしい。

大通りを行く皆さん、談笑する皆さん。

いや、実にいいものを見た。

昔模型少年だった頃の血が騒いだぜ。

「…そうなのか?」

うむ。なかなか面白い博物館だったな。

次は上杉城史苑でお土産を買うとしよう。

お土産売り場のとあるコーナー。売っていたのは“毘”Tシャツ。

こちらはかっこいい謙信公Tシャツ。

毘と龍の暖簾。毘の扇子。そして起き上がり謙信、兼続、鷹山の各人形。

上杉家家訓Tシャツ。

某『炎の蜃気楼』登場人物の旗、安田長秀の数珠、毘キーホルダーなど。
ちなみに直江信綱、上杉景虎の旗などは売り切れ。

色々あって目移りしそうだが、荷物も重くなるし、お金もないので、ここでは人形を2つだけ購入。

起き上がり謙信公と起き上がり愛野郎である。

それがこれ。

かなりのぷりちーさである。一個315円。

お土産を買った後は、先ほど行くのを忘れていた松岬神社へ。

ここは米沢上杉藩を立て直した中興の祖、上杉鷹山公が神様として祀られている。

アメリカのケネディ大統領が最も尊敬する日本人として名を挙げたことで知られる上杉鷹山公は「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」の一句で有名。

しかし、今回の旅の目的とはあんまり関係ないのでこれ以上は書かないぞ。

興味がある読者は自分で調べてみるように。

ちなみに、この神社、後に直江兼続も神様として祭られることになる。

説明によると、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政を祭神とした神社、とある。

なかなかありがたいところらしい。

特に、直江兼続を神様としてくれるのだから、大変なものだ。

夕暮れの松岬神社。

ちなみに昼ごろ撮影した鷹山公の銅像。

上に同じ。説明文を読んでください。

というわけで、松岬神社の参拝を終え、いよいよ次は本日のメインイベント、武てい式見物である。

この武てい式、要するに謙信公の出陣前の大事な儀式を再現したイベントである。

謙信公はじめ上杉二十八将の見守る中、五沾水(ごてんすい)の儀、軍神勧請の儀などが1時間に渡って執り行われる。

詳しい説明山形県米沢市の観光体験イベント情報のページに載っているのでご覧めされい。

「馬廻組槍隊」による槍舞や上杉太鼓演舞、ちびっ子部隊「青龍隊」による演武などのイベントもあったが、一番の見せ場はやはり、上杉砲術隊による火縄銃発射の実演。

これが凄かった。

凄まじい轟音は大迫力の一言。

撃つ度に客席がどよめき、歓声が上がる。

せっかくなので動画で紹介しよう。

こちらこちら

私も初めて火縄銃の発射音を聞いたが、これほど凄いとは思わなかった。

「…というか、春樹の火縄銃もやはりこれだけの轟音がするのだろうか」

うっ…、鋭い質問。

実際あんな音がしたら、秘密の狙撃なんて出来なくなるし、いちいちみんなもびっくりするだろうしなぁ。

まぁ、春樹のは霊気鉄砲だから、あんな凄い音はしない、と言うことで…。

「そうか…」

いや、色々勉強になるねぇ。やっぱり本物を見ておくのはいいことだ。

小説家にとって、資料は足で稼げ。

まさに「手柄は足にあり」ってわけだな。

「…上手くまとめたつもりか?」

うむ、では今日のところはこれで終わり。

次回を待て。

上杉砲術隊実演の瞬間。

退場される謙信公と上杉二十八将。また明日、川中島合戦で会いましょう。

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