国内小旅行記

真田氏のふるさとを訪ねて。淳二と行く爆笑信州旅行




2002年9月29日9時 長野市の某ホテル


寝過ごした…。

慌てて身支度し、チェックアウトするとイストに飛び乗った。

向かう先はホテルから10分もかからない場所にある。

どこかというと善光寺。

信州を代表するお寺である。

牛に引かれて善光寺参りである。

「ところで、牛に引かれて善光寺参りってなに?」

ん? 有名なことわざだぞ。

どれ、私がちょこっと説明してやろう。

昔々、小県郡ってところに不信心で欲深いばあさんが住んでいた。

あるときばあさんが千曲川で布を洗濯して干していると、一頭の牛がどこからともなく現れた。

牛は布を角に引っ掛けて走り出し、欲深いばあさんは牛の後を追いかけた。

「まてぇ、ルパーン。逮捕だぁ〜」

そこ、変なナレーションは入れなくていいぞ。

そのうち、ばあさんは牛を追うのに夢中になって信濃の善光寺まで来てしまった。

で、本堂の前まで来るとあらびっくり、牛の姿は消えてしまった。

今から帰ろうにも日も暮れかかっていて、仕方がないのでばあさんはお寺の本堂に泊まることにした。

するとその晩夢枕に観音様が現れてばあさんの不信心を諭した。

一夜が明けばあさんはそれまでの不信心を悔い、別人のように信仰に目覚めたそうだ。

「…洗脳されたんだな。悪質なマインドコントロールだ」

あほかっ、昔話だからそういう事は言わないように。

で、続きだが、ばあさんが家に戻り信心深くなったから早速観音堂へお参りにいったところ、観音様の肩にあの布が掛かっていた。

「布泥棒は観音だったわけか」

泥棒言うな。

で、この一件があってからばあさんは情け深くなり長生きをしたということだ。

「ばあさんだから最初から長生きしてるって」

もういい…。

というわけで、「牛に引かれて善光寺参り」とは本来は違う目的でも、偶然のきっかけや縁で物事に熱心になり、結果的に良い方へ導かれたことを言うことわざだ。

というわけで、真田巡りという本来の目的とは違うが、善光寺にくれば何かいいことがあるかもしれないぞ、とそういう話だ。

「そっか。良いことあるといいねぇ」

うむっ。

と、早速駐車場へ車を止めたが、何と駐車料金が500円。

たっかいなぁ…。

「良いことなかったねぇ」

あ、いやいや、ありがたいなぁ〜。

さて、どこか空いてるところは…、とここにしよう。

私は入り口に程近い場所にスペースを見つけ、強引にイストをねじ込んだ。

と…。

かすっ。

「んん?」

なにかこすったような音。

慌てて車を降りてみてみるとフロントに何やら黒い線が…。

「兄ちゃん。擦ったね? あれに」

どうやらでかいランドクルーザーの横をすり抜けたときにやってしまったらしい。

最大級までハンドルを切った状態で駐車していたらしく、よく見るとランドクルーザーの右フロントタイヤはえらい勢いではみ出していた。

おにょれ〜、ちゃんと真っ直ぐ停めていればこすらなかったのにぃ。

「あ〜あ、兄ちゃんももうちょっとマージンとってればこんな事にはならなかったのに」

あきれたような淳二の声を聞きつつ、私は底無しに落ち込んでいた。

牛に引かれて善光寺参りか、全然良いことなかった。

これではイストこすった善光寺参り、である。

ま、あとは車に轢かれて善光寺参りにならないように気をつけて行くとしよう。

と、その時淳二は持っていたティッシュでこすった箇所を拭いていた。

「兄ちゃん、取れたよ」

おっ?

見ると傷はついていなかった。

どうやらタイヤのゴムがちょこっと汚れとして付いた程度だったらしい。

はぁ〜、良かった。

これも観音様の御加護だな。ありがたや〜。

そして30分ほど善光寺でお参り。

善光寺。

あんまり書いてもしょうがないのでこの辺で。

駐車料金を沢山取られたのに30分で出て行くのももったいない、と思った貧乏人の我々は、ちょっと早いけど昼食でも食べて時間を潰すか、と考えた。

で、駐車場のすぐ近くにあったお蕎麦屋さんに入った。

おろし蕎麦。

とてもうまかった。信州そば。

うまかった。ありがたや〜。

そして大金を払って駐車場を出ると再び八幡原史跡公園へ。

あれ? 昨日も行ったんじゃないの? と思われるかもしれない。

だが、そこに隣接する長野市立博物館は昨日の時間では閉まっていたのだ。

今日はそこに行ってみたかったので再び参上したというわけだ。

まずは昨日の段階では暗かったので再び信玄と謙信の一騎討ち像、三太刀七太刀之跡の碑、執念の石、首塚等の写真を撮影。

(この時撮った写真は 「 超解・直江兼続」 にて公開中)

その後、てくてくと誰もいない公園を歩いて博物館へ。

受付でお金払って早速入ってみると、やっぱりそこには誰もいない。

日曜日だというのにすかすかのがらがらである。

ま、博物館なんてそんなものかな、と思いつつ見てまわる。

しかし、ここにはあまり面白いものはなかった。

川中島の合戦について説明するビデオがあったのでそれをちょこっと見て終了、って感じ。

その後公園を一回りして昨日も行った売店へ。

ここで淳二が母ちゃんにお土産買う、と言い出し買い物に少々時間を取られた。

ぼけーっと待っていると「あら、昨日はどうも」と、おばちゃんに挨拶されてしまった。

顔を覚えられていたらしい。

淳二の買い物も済んだところで、なんとなく甘いものが食べたかったのでそこの売店でソフトクリームを購入。

それを食べつつイストに戻り、次なる目的地へと向かう。

イストを走らせることおよそ20分強で早速到着した。

そこは、松代にある真田宝物館。

真田祭りのポスターが気になる…。ちょうど我々が行った2週間後である。

さて、これまでも何度か説明したが、真田幸村の兄信之は実は関ケ原の戦いの際に、家康側に味方したのである。

弱小大名の真田家の生き残りの為、どっちが勝っても良いようにあえて二手に分かれたとも言える。

もしかすると嫁さん(本多小松姫)が怖くて家康側についたのかもしれないがその時のことは信之でなければわからない(笑)

ともあれ関ヶ原以降は信之は上田城主の座にいたのだが、のちにここ松代へと転封されたのである。

ということで、以後明治維新までここ松代藩10万石は真田氏の城下町となったというわけである。

蛇足だが明治維新のときに活躍した佐久間象山(勝海舟の師匠で後に肥後の河上彦斎に暗殺される人)はここ松代藩の出身である。

(このHPに載せているルナルのリプレイ 「カルシファードの志士たち」 にマツシロ・サクマってキャラが名前だけ登場するが、この人がモデルであることは言うまでもない)

ここ真田宝物館はそんな松代藩真田家の代々の宝物が収められたところである。

信州真田巡りの松代での目玉といえる。

文武学校・真田邸・真田宝物館の三施設共通観覧券を購入。三施設共通で500円である。

早速宝物館を見物。

なぜか上杉景勝の書状があり、直江兼続の名前を発見。

妙に喜ぶ私。

その書状の写し。
で、解説。第一次上田合戦の時期のもののようだ。

ほかにも、いろいろとお宝があったので、まとめてお見せしよう。

六文銭の家紋の由来。
六文銭の軍配。カッコいいぞ。
信之所有の鉄扇。よく見るとちゃんと六文銭入りである。
六文銭入りの箙(えびら)。これに矢を入れて背負うわけである。
赤い陣羽織。淳二もきっとこんなのを着ている。

そして宝物館見物を終えた我々は今度は真田邸へ。

この真田邸と次に行く文武学校は幕末近くのもので、今回の真田三代ツアーとはちょっと趣旨が違うのだが、まぁ、ついでという事で、これも牛に引かれて善光寺参りってやつである。

真田邸。…それ以外に解説することもないし。

で、何か良いことがあったかというと…

「特に何もなかったねぇ…」

そうだなぁ。

文武学校も同じ。

適当に見てまわったが、まぁ写真を撮って終わりって感じだ。

看板。この学校の建物の配置図が描いていた。

これら三施設を見て回った後で、我々は宝物館まで戻ってきた。

で、その前にあるお土産屋さんで買い物。

本当ならば六文銭の旗が欲しかったのだが、あいにくどこにも売っていなかった。

仕方なく代用品として六文銭ののれん(小)を購入。

のれんなのに壁に飾ろうと企んでいる。

「くぐれないのれんって一体…」

まぁ、細かい事は気にするな。

他にも六文銭入りの松代焼きの湯飲みを購入。

満足した我々は本日のメインイベント、いよいよ松代城へと向かったのである。

松代城…。川中島の合戦のときは海津城と呼ばれていたこのお城は、武田家にとって上杉謙信との戦いの最前線であり、武田四天王で美形だったことでも有名な高坂弾正昌信が城主だったことでもよく知られている。

実際有名な川中島の合戦では武田軍はこのお城に駐留していたわけで、当然真田幸隆、昌幸の親子もこのお城にいたわけである。

武田ファン、真田ファン、そして高坂のファンなら絶対に見逃せない重要ポイントが、この松代城なのだ。

勇んでお城に来た我々の前に立ちはだかる工事中の看板と延々と続く柵。

「兄ちゃん、工事中で入れないみたいだよ」

うむ。まだ終わってなかったのね…。

がっかりである。

寂しさをかみしめつつ遠巻きに写真を撮影して終わり。

工事中…。
よみがえった後に来ればよかった…。
また来ます…。

なかなかのむなしさであった。

「兄ちゃん、帰ろうか」

そうだな。

再び来た道を引き返したところで淳二が和菓子屋さんを発見した。

「和菓子〜和菓子ぃ〜♪」

食べたいらしい。

仕方ないので淳二についていくことにした。

で、そこで栗饅頭と栗パイを購入。

帰りの道中で食べていこうという作戦である。

というわけで、食料品を買い込んで、長距離ドライブの準備も出来たところで、我々は松代に別れを告げた。

そしてイストを駆り再び上信越高速道路に乗ったのである。

今度はこのまま川越まで一直線に帰るだけである。

帰りの道中は特に何事もなく前半戦を過ぎていた。

「平和だねぇ」

予想に反して雨も降っておらず、快適そのもののドライブだ。

「兄ちゃん、腹減った」

そうだな。どっかのサービスエリアでなんか食うか。

というわけで、 我々は上信越自動車道横川サービスエリアにある 「おぎのや」 にて名物峠の釜飯に舌鼓。

これは、ホントにとてもおいしかった。

さらにお土産屋さんにはなぜか頭文字Dのクッキーが。

「兄ちゃん。買って良い?」

まぁ、お前なら買わなきゃ嘘だな。

「うにゅ」

購入したらしい。

てなわけで、30分ほどもここで時間を費やしてしまった。

再び出発。

順調に思えたドライブに暗雲が立ち込めていたことを我々はまだ知らなかった。

この30分の遅れのせいで、我々はさらにひどい目に遭うのである。


しばらく走ると高速道路の電光掲示板に気になる表示が。

『この先の藤岡ICで事故の為8キロの渋滞』

おい淳二、藤岡ICってどこだ?

「う〜ん、長野と埼玉の県境あたりだねぇ。ていうか、通り道なんだけど」

あとどれくらいでつくんだ?

「40分くらいかな」

ふむ。それまでに後片付けも終わって渋滞が解消してるかな?

またしばらく走ると電光掲示板登場。

『この先の藤岡ICで事故の為9キロの渋滞』

「増えてる」

ああ。

さらにしばらく走るとまたまた。

『この先の藤岡ICで事故の為10キロの渋滞』

「おいおい」

全然片付いていないらしい。

このままでは我々が到着する頃には10キロを越える大渋滞になってそうである。

となると8時までに帰れなくなり、イストを返せなくなる。

追加料金を取られると痛すぎるので我々はここで決断した。

おい淳二、高速降りるぞ。

「えっ?」

降りたら早速カーナビの設定を変更。有料道路を使わないで帰れるようにしてくれ。

「了解っ!」

てなわけで、我々はさっさと高速道路に見切りをつけて国道を通って帰るルートに変更したのである。

つまり、それは行きも帰りもまともに高速道路を完走できなかったという事になる…。

まぁ、波瀾万丈、嵐を呼ぶ旅人の私にとってはこれくらいは全然余裕の日常茶飯事である。

「あんまり自慢にならないねぇ」

いいのっ。

こうしてネタになってるんだからまったくの無駄じゃないさ。

「最近の兄ちゃんって酷い目にあっても全部ネタにしてるよね。ある意味開き直ってる?」

うむ。これが苦難を幸せに変えて毎日楽しく過ごす秘訣だぞ。

「…参考にするよ」

かくして到着予定時刻は5時だったのに、国道に降りたとたん7時になった。

「あれ、二時間も余計にかかるみたいだよ」

だな。ちょっとくらい渋滞でも高速にいた方が良かったかも知れんなぁ。…今更遅いけど。

「うぐぅ」

まぁ、気にするな。こういう時のために非常食もあることだし、のんびり行こうや。

「…この辺のマイペースぶりは広奈ちゃんを思わせるなぁ。あと毎度の不幸っぷりはハルも顔負けだし」

てなわけで、我々は名物栗饅頭などをつまみつつ、ドライブを続けたのである。

結局、レンタカーを返したのはホントにカーナビの通りの7時きっかりだった。

かくして二日間に渡った私と淳二の旅も終わりを告げたのである。

「旅は二日で終わったけど、旅行記の完成はずいぶんかかったねぇ…」

うぐっ、イタイ所を…。

結構忙しかったし、お前らのサバゲー話を優先的に書いてたからな。

ま、でも無事に完結したからよしとする。

「うん。じゃあ、今後は小説のほうで、オレの活躍見てくれよ。またね〜♪」

さて、あとは美亜子と本多忠勝めぐりか、輪と直江兼続めぐりか、春樹と伊達政宗めぐりという三大企画が残っている。

お金と暇があったら実行するので、気長に待っててくれ。


次回の企画を待て!

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