22XX



序章

◇22XXをタブーから検証する◇

この作品が何故これほど自分の心を動かすのかを考えたとき、あるキーワードで説明できるかもしれないと思いついた。

その言葉とは“タブー”である。

「22XX」という作品の凄い点は読む側のタブー、つまり倫理を根底からひっくり返してみせるその手法にあると思う。

そして、ここが凄いのだが作中に登場するタブーは何も一つではなく、複数のタブーを組み合わせてしかも、アンビバレンツを生じさせて読者をより深い葛藤に陥らせている。

唐突にここだけ読むとなんのことか分からないだろうから、以下に順序立てて説明していく。

書き方がつい論文調になってしまっているが、書き手の職業病(笑)のようなものだと思ってお許し頂きたい。


第一章

◇食人は本当にタブーなのか?◇


第一のタブーは人間の肉を食べるということ。

いうまでもなく現在の世界の倫理ではこれは絶対のタブーと言ってもいい。

なぜなら今この社会ではもし「人間の肉」を手に入れ、食べるためには殺す必要があるからである。

当然それは殺人であり、人肉を食べる以前に犯罪であり、タブーである。

では、その部分をこの際は度外視して、純粋に「人間の肉を食べる」ということは、本当にタブーなのか?

恐らくこの作品が読者に訴えかける一番重いテーマはそれだろう。

ではこの、人肉を食べるということに関して簡単に考察してみたい。

注意してほしいが、専門的なことに関しては私も詳しくは知らない。以下に書くのは、私の乏しい知識から絞り出したものであり、ちゃんと調べると間違っている可能性がある。

とはいえ、22XXの感想の一環としてであれば、この程度の紹介で良しとしようと思い、書いてみた。

興味のある方はより詳しく調べてみるのも一興だろう。(本当に調べた場合ぜひ掲示板などで披露してもらいたい)


カニバリズム

人を食べたい、食べなくてはいけないという考え方を「カニバリズム」と言う。

大きく分けると3種類ある(と思う)。

一つ目は未開地などに見られる単に人間を食料として見るような民族の場合である。

この場合喰う側にはそれをタブーとする倫理も存在せず、野蛮と言ってしまえばそれまでだが、単に民族の考え方の違いと片づけられる。

二つ目は、飢えなどの極限状態で食料が無く、人間しか食べるものがないとき。

もちろん今の社会の倫理に従うなら、どんな極限状態であろうと人肉を食べる事を絶対不可侵のタブーであると考える人間も多いだろうと思う。

だからこの場合そのまま飢え死にを選ぶ人もいるかもしれない。

しかし、実際にそうして生き延びた例(たしか山に墜落した飛行機の生存者がそうして生き延びる映画を見た記憶がある、これはノンフィクションだったはず!)もありこの事例は確認済みといえる。

そう、人間は極限状態では人間を喰うのだ。

この事例に関しては実は「22XX」でもほのめかされている。

これはフレディの兄ロジャーとジャックが同じ牢に投獄され、放置されたときのエピソードとして語られている。

食料が無くなり餓死寸前のロジャーは「オレが死んだら、オレ喰っていいぜ」とジャックに言っており、フレディの「オレの兄はあいつに喰われたのだ」との独白から、あるいはジャックはロジャーを食べた可能性も考えられる。

これは、当然極限状態での生き延びるための食人であり、この時点では“自分を人間だと思っていた”ジャックにとってはごく“自然”な行為であった。

しかし、このことがジャックにとってどれほど深い後悔になったかは想像に難くない。

まず、人間の肉を食べるというタブーを侵してしまった後悔が襲ってくる。

そして、後に自分が“食べなくても死なない”ロボットであると言うことを知った段階で“自分が食べなければロジャーは生き残れた”と思うはずだ。

悔やんでも悔やみきれないだろう。

自分の“全く意味のない食欲(これについては2章で語る)”のせいで人を一人“無駄に”殺してしまったも同然なのだ。

そして、その死体を喰ったという後ろめたさ。これはただの後ろめたさではない。食べなくても死なないのだから死体を喰う必要はなかったのだ。

これではジャックが食事嫌いになるのも当然だろう。

2番目の理由についてはこの辺にしておく。

では、カニバリズムの3番目の理由である。

これは、宗教、文化、習慣などから起因する「人肉を食べることで死者から命を受け継ぐ」というような考え方からの、いわば“神聖な”理由による食人である。

これで分かってもらえると思うが、作中ルビィによって語られる「人を食べる理由」はまさにこれである。

そして恐らく作者が一番訴えたいのは「この理由でのカニバリズムは本当にタブーと言えるのか?」ということだろう。

作中登場するルビィが魅力的なキャラクターであるのは、食事を神聖なものとする真摯な生き方、そして、人を食べるからこそ彼女の身に染みている命の大切さにあると思う。

彼女の願いである「そうやって受け継いできた大切な私の命をいつか生まれる私の子供にちゃんと引き渡すこと」は“自分の身体を子供に食べてもらう”ということで、成就される。

そして、ルビィの行動、生き方を見ているとこの考え方はとても“自然”な事かもしれないと思ってしまう。

生きることは食べることであり、食べることはたくさんの命を引き継ぐこと。

ルビィにとって食事が神聖な「儀式」であるのはそれが命を引き継ぐことであると分かっているから。

振り返って自分のことを考えたとき、普段の何気ない食事を軽く考えていないだろうか。生き物を殺し、その命を食べて自らの命を繋いでいるということをきちんと理解していたのだろうか。

ルビィの生き方を見ているとそう思うのだ。

食事の大切さ、神聖さを知るためには人間、それも自分にとって大切な人を食べる事を想像する機会があってもいいのかもしれない。

そこにはもうタブーは存在しないはずだから。



第二章

◇ロボットが何故食欲を持つのか?◇


さて、作中で散々ジャックを悩ませる食欲ですが、ジャックが誰かによって作られたロボットであるなら彼が食欲を持っているのは作った人間の意志であると言えます。

人工的に作り出されたロボットであるなら、その食欲も作った側の人間によって組み込まれたと考えられるわけです。

では、なぜ食欲を組み込んだのでしょうか。

ジャックが作り出させた理由は過去の作品を見てみると実は不定です(笑)

「メタルと花嫁」を見るとミラノという男が、自分に忠実な“殺し屋”としてジャックを作ったようですが、後にミルキーウェイでは“天竜”と言う男をモチーフに作られたらしいということになります。

まぁ、両方を矛盾無く整合させることもできますが、この際はその辺の話は丁重に無視するとして、簡単に言うとジャックは“人間として”作られたロボットであると言えます。

作中ではジャックと会話する顔のない人物の台詞「そりゃ君はより人間に近いことを重視して作られたから時間がたてばおなかは減るし、汗もかく、ケガもする、完璧だよ!!」からも、このことは分かります。

“人間”として作られたロボットですから見た目にも行動的にも人間のすることをそっくりそのまま出来なければなりません。

食欲を持ち食事する事も当然そのために必要ですからプログラムとして組み込まれていた、とごく自然に考えられます。

元々ロボットやコンピュータは「自分と同じ能力を持つものを作り出してみたい」という人間が持つ欲求の産物ですから、より人間に近いものが作り出されるようになるのは別に不思議なことではありません。

ちょっと話が脱線しますが、より未来の某猫型ロボット“ドラ…なんとか”氏は好物のどらやきなど食べてちゃんとエネルギーに変換できます。

彼の場合ちゃんと食事の意味があるわけです。

しかし、ジャックは違う。

彼の不幸は食欲や食事そのものがただのお飾りでしかないと言うことに尽きます。

食べたものは血にも肉にもならずに捨てられる。なのに時間がたてばまた何か食べたくなる。

生きるために必要というわけでもなく、単に人間に似せるための機能。人間としてではなくロボットとして生きているジャックにとって食事には全く意味がないんです。

自分を“ロボット”と自覚したとき、人間として生きることが出来なくなったジャックにとって、その“食事の無意味さ”は辛いことでしかないわけです。

結局ジャックの例では人間に近いことを目的として作られたから食欲が組み込まれていたと結論してもよいでしょう。

ここで、思いっきり脱線してそれ以外でロボットが食欲を持つのは必然かもしれないという話をしてみましょう。

ここで言うロボットというのは作中のジャックのように“人間のように”自由に思考し、行動できるものを指します。

言ってみればジャックはより完璧に近い人工知能を搭載しているわけです。

では、その完璧に近い人工知能はどうやって作るのか。興味ありませんか?

いくつかの例が考えられますが、それは第三章でお話ししましょう。



第三章

◇工学的見地からジャックの作り方を検証◇


まず、一番簡単な考え方として「人間の脳の働きを完璧に解析し、それを物理的に再現するマシンとしての人工知能を作ることが可能なだけの高度な技術がある」という仮定をしてみましょう。

「22XX」を始め清水玲子の作品は潜在的にはこの世界観に従っているようです。

これだとそれこそパソコンを組み立てるように人工知能を作り出し、プログラムを組むように人工知能に記憶を与えることが出来ます。

しかも、機械で出来ているとはいえ脳の働きをそのまま再現できるので、人間と同じように考えたり、泣いたり笑ったり出来ます。

もちろん人間の脳をコピーしているわけですからそのままだと食欲を持つのは必定ですね。

むしろ「食欲」だけをプログラムから消すほうが難しいかもしれません。


これだけだとあっさり話が終わってしまうのでもう少し深く考えてみましょう。

そもそもこの仮定は「人間の脳の働きはすべて物理現象として解析が可能である」という大前提に基づいています。

これは唯物論という考え方ですが、これが本当に正しいのでしょうか?

「脳をそっくり機械でコピーしたときそこに精神が宿る」確証はありません。

もしかしたら魂というものが本当にあるかもしれないのですから。(私はあまり信じてませんけど)

そしてもうひとつ問題があって、この場合具体的にどうやって脳を機械で再現し人工知能を作るのかという手法が想像の域を出ないということです。

それがどういう機械になるのか、どういう手法で、どういう理論で作られるのか今の科学では想像するのも難しいかもしれません。

せいぜい脳細胞(ニューロン)と同じ働きをするマイクロチップを数億〜数兆集めて脳と同じネットワークを形成するのかと想像するのが関の山です。

実際のところ今の科学では脳の働き自体がほとんど分かっていないと言っても過言ではないのですから、それを機械で再現するなんて夢のまた夢です。

タイムマシンを作るような途方もないSFだと断言したいくらいです。

では、もう少し現実的にジャックを作ってみましょう。

考えられる方法としてはいくつかあります。


その1:プログラムを人工的に進化させる。

さて、この方法は具体的に言うとまず簡単な生物(単細胞生物でもよいでしょう)の脳を再現します。

この場合、最低限“食欲”と“子孫を残す”の2点だけプログラムすれば事足ります。

上手く動いたら今度はそれにもう少し高度なものを付け加えます。

魚類程度の脳を再現できれば言うこと無しです。

そうやってどんどん高度な脳と同じ働きをするプログラムを組んでいけばいずれは人工知能が完成するでしょう(多分)。

つまり生物学的な脳の進化をプログラム上でトレースするわけです。

もっともとんでもない時間がかかることは疑いありませんし、そもそも人間と同程度の知能を持つものが完成する可能性は実際には低いでしょうね。

それがどんな複雑なプログラムになるのか想像するだけで恐ろしい話です。

もし、この方法で人工知能を作り出せたら進化そして人類の誕生という奇跡を人為的に起こせるということになり、これはとんでもなく凄いことです。


その2:超高性能人工無能ジャック。

この場合の人工無能とは「○○のときは□□せよ」という条件文によって動作するプログラムのことです。

最近はホームページに置く人もいますね。

例えば「あなたは誰ですか」と入力があったら「私はジャックです」と返す。

このように、質問や状況に応じた反応をあらかじめ決めておくことであたかも知能があるように見せかけるのが人工無能というわけです。

この場合人工無能は入力からプログラムに書かれている条件文に従って出力を返すだけで人間がするような思考はしていません。

しかし、ありとあらゆる条件を網羅しプログラムを組んでおけばジャックの再現も(多分)できるでしょう。


その3:ほんとに人間の脳を使う。

例えばクローン技術などで脳を作り出し、それをロボットに移植。

そのままだとなんの知識も持たないので、人間と同じように学習させていくといった方法が考えられます。

これだとどちらかというとサイボーグですね。

そしてこの方法を使うと、人間の脳そのものですから食欲は必ず伴います。

この食欲を満足させるために、たとえ無意味でもロボットにものを食べる機能を付ける理由にはなります。

もちろんこの方法だと食欲だけ後から消すことも無理でしょうね。

ただし、これだと厳密な意味で人工知能とは言えません。


その4:人間の脳を研究し、少しずつまねていく。

ええ、どう考えてもこれが一番の近道でしょう。

そしてそのためには生物学的な知識こそがロボット工学において必要となるでしょう。

だからこれは予言でもなんでもなく、21世紀は生物学の世紀になります。

脳の働きの解明を始め、遺伝子配列の完璧な解析により恐竜やマンモスの復活も考えられます。

また遺伝子操作によるキメラ(ネオドーベルマンの世界ですね)なども生まれてくるかもしれません。

しかし、この方法で人工知能を作り出すにはあと100年では無理でしょうね。

具体的な方法は多分以下に書いた“その5”を使うことになるでしょう。


その5:ニューラルネットワークを使う。

現在の科学で分かっている乏しい知識によると、脳は脳細胞が集まってネットワークを形成しています。

従って、脳細胞(ニューロン)と同じ働きをするチップを大量に作って人間の脳と同じようにネットワークを形成し、それを学習させていく方法が考えられます。

(注意!:以後の説明は間違っている可能性があります)

この場合の学習というのは、普通に使う勉強とはちょっと意味が違います。

簡単に説明すると、ある単語を聞いて連想するものを増やしていくことです。

例えば「赤」という入力があると脳の中で「赤」という概念を記憶、学習している「ニューロン」が興奮し、それと繋がっている周りのニューロンを刺激します。

すると、「赤」から「ポスト」とか「火」とか「林檎」とか「共産主義」とか「赤い彗星」とか「シューマッハ」など、関連するニューロンが興奮します。

ある単語を聞くことでそれと関連する単語を思い浮かべる。これが連想記憶です。

もちろん「おはよう」といわれたら「朝」とか「挨拶」とか「「おはようございます」と返事しろ(という命令)」などの色々な反応が脳の中で起こります。

もっと言うと「ジャック」という入力には「ロボット」「男」「サングラス」「エレナ」「身長188cm」「詩的私的ジャック(?)」「ビルヌーブ(?)」などなど、それをキーとして様々な情報が引き出されるわけですね。

もちろん脳にとって未知の新しい言葉。例えば「カニバリズム」が入力されたらそのニューロンは「人喰い」「タブー」などのこれまでのニューロンと結合されることで単語としてはもちろん「概念」としても「記憶」されることになります。

この辺のことに関しては感覚的に理解していただけますね。なにしろ、“あなたの”脳でも行われていることなんですから。

だからものを覚えるときは、なるべくいろんな事象と関連付ければなかなか忘れなくなるわけですね。

歴史の年号だけ覚えても意味はありません。そのときに何が起こってどうなったかを覚えておいた方が絶対に忘れなくなる道理です。

話が脱線しましたが、そうして様々な事柄を学習し強化されたニューラルネットは人間と同じような知能を見せることでしょう。

欠点があるとすれば、当然ネットワークは何億何兆のニューロンが複雑に絡み合いますからそこから「食欲」だけ消すようなことは絶対に不可能だと言うことですね。


さて、長々と説明しました、そろそろ「22XX」の感想に戻りましょう。



第四章

◇タブーとタブーのアンビバレンツ◇


なかなか謎なタイトルですね。

「22XX」について語りたいことは山ほどあるのですが、あえてその多くに目をつぶります。

物語をトレースしてもあまり意味はないでしょう。

それよりどうしてこの話がこれほど私の心を打ったか、読み終わってやるせない気持ちになったか。

実はずっとずっと考えていました。

そしてつい最近自分なりに結論が出てすっきりしました。それをこれから書きますね。


私はこの話を読むときにはジャックに感情移入しています。多くの読者もそうだろうと思います。

そして読み進んでいくうちに食事を辛く感じるジャックの心情をも自分の気持ちに重ねているわけです。

その理由については第二章で少しふれました。詳しくは書きません。そちらを参照してください。

さて、作中のジャックもそうですがだんだんとルビィの考え方も理解できるようになります。

これも第一章で書きました。

こうしてジャックとルビィの2人の気持ちに強く共感していきます。

作中でも2人の考え方はどんどんエスカレートしていきます。

まずジャックは極限の飢えの中で「間違っているのはフレディではなくオレの存在そのものだ。狂うほどにものを食いたいと欲するオレ自身だ。呪うべきは総てこの……」と自分の食欲、そしてものを食べることを最大限に嫌悪し呪っています。

次にルビィですが、ジャックに惹かれるほど彼を食べたいと思うのです。

そしてそれこそがフォトゥリス人の最高の愛情の示し方なのですから。

さらには誰にも食べられずに死ぬことがどれほど恐ろしいことなのか、カートという男によってまざまざと見せつけられます。

そしてルビィの母の言葉「もしこれから先あなたが自分より相手に生きていてほしいと思う人が現れたら、誰より大切な人が出来たら、その人に食べてもらいなさい」「おしまずその人に命をあげなさい、あなたの命はちゃんとその人に重なってゆくのよ」

この考え方共感できますよね。もはや人の肉を食べること、自分の肉を食べてもらうことはタブーだとは思えないほどです。

だからルビィが「何も食べていないため衰弱している」ジャックに自分の左手を食べさせようとしたのは、この母の言葉通りの行動であり、彼女の哲学、生き様の結晶「自分の命を何より大切な人に引き渡す」という彼女の人生最大の願いそのものだったのです。

最大の悲劇はジャックがそれを食べても無意味だったことです。

いえ、そうではなくそのときジャックは自分が食べても無意味だと思ってしまったことですね。

だけど、このとき食べなかったジャックの気持ちはこれまで十分に説明されていますよね。

それが彼にとって最大のタブーなのだから。

でも、その最大のタブーこそがルビィにとっての最大の願いであることに気づいたとき、ルビィはフォトゥルス人にとって一番恐ろしい死を迎えてしまうのです。

彼女にとっての最大のタブーである「誰にも食べてもらえずに死ぬ」羽目になってしまうのですから。

つまり、お互いの最大のタブーが二律背反であり、それが悲劇を呼んでしまったわけです。

物語の最後、ジャックは彼女の左手を食べなかったことを“いつまでも消えることのない後悔”として悔やみ、慟哭することになります。

どうしようもなく悲しい結末です。

そして、読んだ後いつまでもやるせなさが残ります。

それは何故なんでしょう。

読者は物語に深く感情移入していた場合、ルビィの願いを叶えてあげたいと強く思う事でしょう。

でもそれってつまり人の肉を食べるというカニバリズムを肯定することになります。

つまり、これまで持っていた自分の中の倫理に従わず、タブーを侵すことになってしまいます。

だからといってルビィのその真摯な願いを頭から否定できますか?

私は出来ません。

ここで葛藤が起きてしまいますね。

タブーを侵すか、倫理に従うか。

さらに、もしジャックが食べなかったことを肯定した場合、それは彼がロボットで食べる意味がなかったからという理由を付けたとき、じゃあ、食べなければ生きていけない自分自身はどうなんだ?

ジャックと違い人間である自分は彼のように食欲を捨てることは出来ない。

だから、彼がタブーとして消し去った食欲をいつまでも抱えて生きなければならない。

ジャックの抱えるタブーを自分は生きている限り侵すことになる。

そう思ってこれまた葛藤に陥ります。

この物語の登場人物を否定するにせよ、共感し、肯定するにせよ、二律背反(アンビバレンツ)を抱えることになってしまうのです。

これが、やるせなさの正体です。

そう、この物語で一番救われないのはジャックでもルビィでもなく読者なんです。

生きている限り食べ続けなければならず、たとえ死んでも誰も自分を食べてくれない、そんな世界で生きている読者こそがこの物語最大の悲劇の具現者ではないでしょうか。

そしてこの「22XX」がこれほど心を打つ理由だと思います。

もちろん随所に見られる清水玲子らしい演出がそれに花を添えますが、本質的な物語の核はここにあるのです。

何より凄いのが自分たちにとって何気ない食事、死んだら荼毘に付すその当たり前の習慣をタブーとして描ききっている清水玲子の説得力、構成力、表現力に尽きますね。


さて、ずいぶん長くなってしまいましたね。

なにしろ一日で書き上げたものなので、途中から論文調に疲れて書き方(口調)が変わっている部分がありますがお許しください。直すのも面倒なので(苦笑)

書いた私としては長年わだかまっていたものがある程度クリアにまとまって胸をなで下ろしました。

皆さんはどう思いましたか? ぜひ意見を聞かせてくださいね。

戻る