Mituyaさま作
『戦え! FANG GUNNERS!』外伝
少女が願う未来
第五話
| 「漆黒の未来へ」 |
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「母さん……」 香織と呼ばれた少女が見せる笑顔は、とても10代半ばには見えない、大人びた笑顔。 いや、先日彼女は少女から母へと変わったのだから、その変化は当然だ。 香織の母親、勝子(かつこ)は、香織が抱く赤ん坊に皺だらけの顔に笑みを貼り付ける。 勝子にとって、内心複雑な心境だった。 この赤ん坊は、望まれて生まれた子でないから。 もちろん母親として、香織に堕胎をさせる可能性も示唆したのだが、香織はそれを受け入れなかった。 だから今、香織は母として、病院の一室で赤ん坊を抱いている。 もっとも勝子にとって、複雑なのはこの事だけでなかった。 その理由が、香織の少し寂しげな様子に表れていた。 「……香織」 「……確かに、あの子も生まれて欲しかったけど、もう済んだこと。あたしは母親として、我が子の最期を看取っただけ」 「……」 「だからこの子のためにも、母さんがそんな顔しないでよ」 香織の顔に浮かぶのは、無理矢理貼り付けた笑顔だった。 その仮面から覗き見える、悲壮な感情があまりにも痛々しい。 勝子はそんな娘の姿を見て、自分が如何に力が及ばないかを知り、歯を食いしばった。 だが自分が怒りを溜めたところで、何が出来るわけでもない。 だからせめて、今は孫の誕生を祝おう。 「ところで、この子の名前は決めはったの?」 「うん。本当はあの子とのセットでつけた名前なんだけど、あの子は……ね」 香織は赤ん坊の腋を両手で支え、自分の頭よりも高くに持ち上げた。 赤ん坊は笑うでもなく、泣くでもなく、まだ自我すら目覚めていない知能をフルに活動させ、香織の行動をきょとんと見ているだけ。 そんな赤ん坊をとても愛おしく、香織と勝子の二人は見ていた。 「至らない母親かもしれないけど、これからよろしくね」 赤ん坊の名につけられた名前は千里。 後に『サムライガール』と呼ばれる犯罪者となる者である。
都会だというのに、やけに広い空き地に皆はいた。 憐、美奈、修一、麗奈、秋彦、瑠璃華、大河、晶、愛、翔子、聖子、孤月、草月、アリエル、ゆきめ、夏海といった『イクサクニヨロズ』、<ランデヴー>のメンバーが、ほぼ勢ぞろいだ。 近くに人がいないことは、既に確認した。 愛と聖子は、そんな状況を作り上げた後、<人払い>と呼ばれる、人間限定の不可視結界を張った。 これをしておけば、いざ外部の人に見られたとしても、何事もなく通り過ぎてくれるらしい。 ちなみに、中にいる晶からすれば、外の様子が見えないのだが。 ヒーローである憐たちにはまったく効果はないようで、海里も怪人なため、憐たち同様に効果はない。 ともかく、それらの準備の後、千里を説得するための状況作りに勤しんだ。 まず始めに、全員が妖怪の姿を取る。 人間の姿でも戦えないわけではないが、その姿では真の力が出せないとの話である。 だから憐たちが最初に会ったときのような姿を、<ランデヴー>メンバーはとる。 次に行うのは、瑠璃華、翔子による“二つ目の結界”作り。 およそ10メートル四方に、呪文のようなものが書かれた札を貼るだけ。 そしてその札を挟む位置に、さらに晶がシューティングダガーと呼んでいる小ぶりなナイフを突き刺した。 自称一般人である憐たち、それに一般妖怪である<ランデヴー>メンバーにも、二人の行うこの作業の意味はよくわからない。 知っているのは効果だけ。 美奈は、札とナイフで囲まれた中で、威風堂々とし、愛槍“林檎切”を持って立ち尽くす。 その姿は、まるで巌流島で好敵手を待つ佐々木小次郎のようだ。 となると武蔵は当然、美奈だけでなく、ここにいる全てが待ち望むあの人物だろう。 「……本当にいいの、美奈ちゃん?」 「はい、オーナー。私だけで……やります」 憐たちも、聖子の呼び名は既に「オーナー」だった。 <ランデヴー>のメンバーの全員が、聖子のことをそう呼ぶが故である。 準備が完了したので、晶は色つきの狼煙を揚げる。 快晴でも見やすい赤い色のものだ。 それから数分後、風が吹いた。 それほど強くないはずなのに、侵略するような風であり、どっしりと重い風であり、静かな風。 強い意思が込められているような風を身体に感じた美奈は、その意図を感じ取ったのか、自らの愛槍を正面に構える。 何事かと思った一同だが、その矢先の出来事だった。 一歩一歩、無造作なのに恐怖を感じてしまう、そんな歩みで寄ってくる少女。 美奈はふと、初めて彼女と会ったときのことを思い出した。 疲労と空腹で、泥のように眠っていた彼女が目を開けたとき、自分たちを介抱してくれた彼女。 優しい笑顔で皆をはげまし、真面目な気質で皆を感化し、いつも影ながらに応援してくれる彼女。 今、そんな彼女にかつての面影は見られない。 本当にないのか、それとも隠しているのかはわからない。 だけど美奈は、彼女を止めると誓った。 だから……逃げない。 そして千里は、不可視結界へと侵入した。
千里の殺気は、自分に向けられていなくても簡単には耐え切れるものでなく、後退するのは本能なのかもしれない。 だがそれでも美奈は退かない。 そんな中、千里は無造作に鞘を抜き取り、それを放り投げた。 刀は、かつて憐たちが見たときと同様に、妙に魅了されてしまうような美しい刀だ。 推測が間違っていなければ、あれこそが千里の言う『龍くん』なる妖怪だろう。 いや、正確に言えば、妖怪だった刀である。 今はただの刀にしか過ぎないのだろう。 美奈も、それに呼応するかのごとく、千里に向けて“林檎切”の刃を向けた。 美奈は、今の千里ほどの殺気は放出することは出来ないと自覚こそしているが、だからといって殺気を出す気にはなれない。 やはり相手が千里だということが原因の一つだが、無論それだけではない。 一歩一歩、千里は美奈に近づいていく。 結界まであと数歩。 美奈は嫌な汗を、肌に張り付く下着から感じ取っていた。 いつもなら蒸れることを気にするところだが、やはり自分の生死が関わっていることもあって、今はそのことは念頭においてはいない。 そして美奈以外の全員も、千里の一挙一動に警戒を置いていた。 あと二歩、一歩、侵入……。 そして完全に千里が“第二の結界”に入り込んだその瞬間、瑠璃華と翔子の二人は叫ぶ。 「物質障壁、急急如律令!」 「フォースシールド、展開っ!」 次の瞬間、美奈と千里の二人を囲うように、物理攻撃を全て弾く壁が作り出された。 千里は一瞬の出来事だったために対応が遅れ、気づいたときには自分と相手が、まるで一騎撃ちをさせられるかのような状況に立たされている。 ギッと千里は美奈を睨みつけたが、美奈はそれでも動かない。 千里以外のメンバーは、このことは予想通りの展開だ。 しかしそれでも、皆は美奈を心配する。 相手は殺人犯で、仲間だと言い張る美奈にまで攻撃を仕掛けてきたことがあるのだから、当然である。 「貴女……あの人たちに戦わされて、いいのですか!?」 「私が望んだことです、千里さん。……私は貴女を説得しに来ました」 美奈の言うとおり、この状況は美奈が望んだもので、<ランデヴー>メンバーを必死に説得して作り出したもの。 憐たちは、美奈が一番千里と仲が良かったことを知っているし、また美奈が一番千里を尊敬していたことも知っている。 さらに言えば、この世界で千里と渡り合えるのもまた、美奈であることも確信していた。 だからこそ、全てを美奈に委ねる事が出来た。 「だったらこのバリア、解いてください……」 「でもそうしたら千里さん、私の話を聞かないで、仲間を攻撃するでしょう?」 「……」 千里が返したのは沈黙。 それは図星をつかれた証拠なのだろうと、そう憐たちは思った。 事実、この世界の千里と初めて会ったとき、千里は迷うことなく、一番戦闘力の低い瑠璃華を真っ先に狙っていた。 千人斬りをする以上、倒しにくい相手一人と倒しやすい相手一人は等価なのだから、それが効率のいい作業なのだろう。 そのことを踏まえて、憐が考えたのが、この二重の結界なのである。 「千里さん。もうやめてください。千里さんがなさっていることは、無意味です」 次の瞬間、千里は美奈に向かって飛び出していた。 ついカッときて、といった行動で、人の枠を遥かに越えた脚力で一気に美奈への間合いをつめる。 両手で振りぬかれた刃は、美奈の鼻先をすり抜ける。 だがその勢いを利用して、千里は一瞬で身体を反転させるというフェイントを織り交ぜ、左腕へと水平に斬りつけた。 一瞬の出来事に、美奈は少々反応が遅れたが、それでも美奈は超反応と呼べる反射神経をもって、“林檎切”で受け止めた。 前回の戦いで、力押しでは負けると判断している美奈は、素早く刀を弾き、再び距離をとって、千里と相対する。 「千里さん。今貴女が人を殺したところで、人が死ぬだけ……。何も戻ってこない!!」 「嘘!! そんなの出鱈目です!! 私が罪を背負えば、必ず龍くんは帰ってくる!!」 「貴女が見たその本が違うのです! 蘇る魂は、貴女の言う『龍くん』じゃあない!!」 「もう……遅いんです!!!」 美奈の必死の説得に、千里は反論しながら刀で斬りつける。 それを必死に捌きながらも、再び千里を説得しようとする、そんな応酬。 <ランデヴー>メンバーは、美奈の持つ戦闘力に驚いていた。 まるで武神同士がぶつかり合う、コンマ一秒よりももっと短い速度でのやり取りに、一同目を奪われていた。 「風刃!」 千里は、空を切り裂くスウィングで作り出した真空の刃を、美奈へと飛ばした。 一度見た技なだけあって、美奈が棒立ちになることは、もうなかった。 『金剛障壁!!』 美奈が作り出した巨大な盾の前には、真空の刃と言えども通る道理はない。 千里の端整な表情が歪み、その盾が消え去る瞬間、刀は稲妻を浴び、そして千里はそれを地面へと突き刺そうとする。 「雷縛……」 「遅いっ!」 地面を伝う稲妻の技は、一度食らったし、その目でしかと見た。 特に美奈は、この技を警戒していたが故に、千里にこの技を使わせないように行動していた。 美奈は“林檎切”を反転させ、石突の要領で刀を強く打ち付けようとする。 「壱拾七式『竜虎天傷撃』!!」 しかし、千里の反応は人外レベルで、刀への衝撃を、自ら力を抜くことによって受け流し、がら空きとなった腹に蹴りを加えた。 だが蹴りといっても妖怪化することによって、その一撃はとんでもないレベルまで跳ね上がっており、恐らくコンクリートくらいなら軽々と粉々にできるくらいの威力だ。 それを、バランスを崩している美奈は、避けきれずに受け、その拍子に障壁へと突っ込んだ。 障壁の硬さは尋常でないため、その程度では壊れない。 だからこそ、美奈はその障壁へと衝突し、さらなるダメージをその身に受けていた。 それでも美奈は、痛みを堪えて立ち上がる。 千里はそんな美奈相手にも、まったく容赦せずに斬撃を加え続ける。 美奈はそれをただ亀のように受け続けるだけ。 時折反撃を加えているのだが、あくまでけん制の意味合いが強く、千里へと届く一撃は皆無だった。 故に美奈は序々に傷を増やし、致命傷と言われるレベルの傷はないものの、満身創痍と言われるレベルまで傷を負った。 それでも美奈は、不屈の精神で立ち上がる。 呼吸は荒く、流れる血は既に美奈の立っている場所に水溜りみたくなっている程。 もう立っているのがやっとで、事実美奈は“林檎切”を支えにしてようやく立っているだけ。 <ランデヴー>のメンバーは、今すぐ美奈を手助けしてやりたかった。 翔子はこの結界を解き、美奈を治癒してあげたかった。 だがそれを許さなかったのは、美奈といつも共にいる憐たちだった。 自分たちも助けに行きたいという気持ちはある。 いや、美奈が傷ついているからこそ、飛び出さなければならなかった。 それでもそうしないのは、美奈がまだそれを望んでいないから。 憐は、歯を強くすり潰すあまりに、口から血を流す。 そうでもしないと、自分が飛び出してしまいそうだったから。 「貴女……殺されたいのですか?」 千里は唐突に動きを止め、美奈へと言う。 「ただ殺されたいというならば、私が素直に殺して差し上げます。……なのにどうして抵抗するのですか? 私は貴女を殺したいのに……」 「千里さん……」 「どうして私を殺そうとしないのですか? 私は貴女を殺そうとしているのに……」 千里はうつむいて、美奈に問う。 だけど美奈は、千里がそれらの問いの答えを知っていることに気づいていた。 だから美奈は何も言わない。 「私は殺人犯ですよ!? 普通ならば絶対に死刑囚になるような人ですよ!? だから私なんかを殺そうとしても何ら問題はありませんよ! それとも本当に殺されたいだけですか? だったらいつでも私が殺して差し上げますよ!!」 「だったら……」 美奈は戦いの最中、千里の心に触れていた。 戦う者同士が通じ合う、とかいうものでなく、ただ美奈が千里を思うが故。 だから誰よりも早くに、千里を知る事となる。 千里が放つ叫びの意味も……。 「罪を背負うのが怖いのですか!? だったら安心ですよ。だって正当防衛ですし。それでも嫌なら私の前からさっさと姿を消せばいい!! そうよ、私の前からさっさと消えればいいんですよ!!」 「何で……」 そして一同も、千里の様子に気がついた。 美奈が構想していたシナリオ、そう一番最良のシナリオに。 「……千里さんは泣いているのですか?」
感情を殺し続ければ、いつかそれも慣れると思っていた。 仮面さえ被り続けていれば、それで殺人犯を演じることが出来ると思っていた。 だけど美奈が容赦なくそれを剥ぎ取る。 千里の素顔は、臆病で脆い、どこにでもいる女子高生。 たった一人がいなくなるだけで、悲しみに耐え切れなくなる、脆い女性。 千里は大粒の涙をぼろぼろとこぼし、その場へと崩れ落ちた。 美奈が見ているのは、美奈の知る天下無敵のツッコミ役でなく、ただ打たれ弱い女の子だ。 そんな千里だからこそ、美奈の保護欲を駆り立てる。 美奈は支えにしていた“林檎切”をその場に放り、一歩一歩千里へと歩み寄った。 そして千里の傍まで来ると、涙が止まらず両手で顔を覆う千里を優しく抱きしめた。 戦乙女と呼ばれてきた美奈だったが、このときだけはまるで聖母のようだった。 ただ子どものように、美奈の胸で泣き続ける千里。 とても彼女が、今まで人を殺し続けてきたとは思えない。 千里の殺意が消えたときこそ、この忌まわしい事件は幕を閉じるとき。 全てが終わったと確信した一同は、すぐに結界を解き、美奈と千里の下へと駆け寄った。 しばらくすると千里も泣き止み、そして抵抗する素振りも見せない。 「龍くん……ゴメン……。私、もう……戦えないよ……」 ただ地面に座り、愛刀への懺悔をし続けるだけ。 それよりも問題は美奈の方だった。 全身傷だらけで、瑠璃華と翔子が治癒をし始めるのだが、魔法や陰陽術というのは万能でないらしく、治療は思いのほか進まない。 「困りますね、『サムライガール』」 一同の耳に、突然聞こえたのは、妙齢の男性の声だった。 次の瞬間、千里に向けて何かが突進してくる。 思わず千里は『龍殺』を手にとり、それを一刀両断にしてみせる。 千里が切ったのは、小型ながらも化け物と呼ばれるような、異質なものだ。 声にならないような奇声をあげて、それはぴくぴくと痙攣をしてみせる。 だがそんなことは気にせず、一同は声がする方へと視線を向けた。 「貴様は……」 「お久しぶりですね。しかし、まさか貴方方が『サムライガール』の凶行を止めてしまうとは、少々意外でした」 空に浮いているのは、憐たちがこの世界に来て間もない頃に出会った、一人の悪魔。 「ベルッ!!」 アリエルは、自分の追う宿敵がそこにいることに、思わず叫んだ。 威圧を込めて言ったその言葉は、普段温厚に見える彼からしてみたら意外なもので、まだ付き合いの浅い憐たちでも少々驚いてしまう。 だがベルは、まるでそんなことを意に介していない。 「『サムライガール』と知り合い、というのもまんざら嘘ではなかったのですね。本当の事だと知っていたら、君たちを早々に片付けておいたものを……」 少し楽しそうに言うベルは、誰の目から見ても気に食わない存在だった。 ベルは、人の命をまるで子どもが小さな虫をいたぶるかのような目で見つめている。 ギロリと一同が絶対零度の視線で見つめているが、ベルは気にかける様子はない。 美奈や千里なら、かなりのプレッシャーになるかもしれないが、美奈は重傷、千里は目がどこか虚ろだ。 「ふふふ……」 ベルが楽しそうな目で見ているのは千里だった。 その視線に気づいた憐たちは、千里を見てみると、千里の様子がどこかおかしい。 千里が膝立ちのまま両手で自らを庇うかのようにし、目を虚ろにして身体を震わせている。 すると次の瞬間、千里は漆黒の光を身に纏い、空高く飛び立った。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」 千里が叫んだ後、千里は空中に浮いたまま、両手をだらりと垂らし気を失ったように見えた。 ベルはそんな千里の様子が変わったことに笑みを浮かべ、千里の正面で浮く。 憐たちは、ようやく千里の身に何が起こっているのかを確信した。 千里が見たというあの本、そしてオリジナルに確かに書かれていた。 蘇る魂は古の悪魔……。 「千里……さん?」 秋彦が不安げな声で尋ねたとき、千里の目が開かれる。 身体に力が戻ったのか、手を握ったり開いたりし、身体の様子を確かめている。 そして……にやりと笑った。 「ククク……」 千里の身体、千里の声で、どこからどう見ても千里なのに、憐たちはその姿に違和感を覚えた。 千里との付き合いから、千里がどのような人物かをわかっているからこそ、今の千里が別のモノであることを悟ってしまう。 「どのくらいかな、この下界の空気は?」 「およそ五百年でございます、主様」 「……ベルか、久しいな。アスラは?」 「主様を復活させる過程で、命を落としました。しかし尊い犠牲があればこそ、主様がこうやってこの世に存在できたのだと、私は信じております」 空中に浮いている千里は、ちらりと下にいる憐たちを見下ろした。 その表情は、いつもの千里では決してありえない、見下した表情だ。 そんな千里の表情に、憐たちは嫌悪感を覚える。 そして同時に身震いをも感じていた。 絶対的強者との対面は、本能が関わってはいけないと拒絶を起こしている。 そんな身の震える恐怖に、千里を見ている一同は辛うじて耐えていた。 「ちょうどいい。準備運動がてらに、あの雑魚どもを片付ける。……むかつく顔もいることだしな」 「私たちの探した、最良の器。存分に堪能してください」 そう言った千里は、自らの身に漆黒のオーラを纏わせた。 この世の、ありとあらゆる怨念、恨み、妬み、殺意、そういう負の感情が全てあわさった、そんな……。 千里は、自らの腕を振るうだけで地は裂け、風は猛威を振るう。 まず千里が狙ったのは、最前線にいる憐だった。 咄嗟に氷の壁を作り出したが、それをいとも簡単に砕き、その拳が憐を直撃した。 憐はまるで紙くずのように吹っ飛び、水平に垂直落下しているかのようだった。 次第に勢いは落ちていったが、それでもダメージは相当のものだろう。 修一はそんな千里を無力化すべく、当て身から投げのコンビネーションを放とうとしたが、千里としての能力も保有しているように思えるほどの超反応でそれをかわし、横っ面を引っ叩く。 憐同様に、修一も一撃で吹っ飛ばされた。 「ククク……。貴様らの絶望に襲われるその感情、とても甘美で旨し。この身体の持ち主の、悲痛な叫びもまた旨し」 「……っ!!」 咄嗟にけん制に走ったのは、遠距離攻撃専門の麗奈と秋彦の二人だった。 千里への攻撃は避け、なるべく敵を足止めするために得物を撃ち続ける。 やはり相手が千里であることと、それを操っている精神体という真の悪が存在することが、どうしても千里への直接攻撃を拒んでしまうから。 だがまるで遠距離攻撃のけん制は意味をなさず、千里は突進を仕掛けてくる。 その際にけん制の意味合いで放った矢、銃の一撃が当たるのだが、千里を纏う漆黒のオーラが千里の本体に当たる前にそれらを弾いてしまう。 麗奈と秋彦の二人に攻撃が届く前に、<ランデヴー>の接近戦担当である大河とアリエルが素早く二人を庇うように前に出る。 しかし大河が放つ、刃物のような爪、そしてアリエルが放つグレイブの一撃は、千里の両腕が鉄で出来ているかのようにいとも簡単にガードされ、意気消沈している二人を、憐、修一同様に軽々と吹き飛ばした。 人間タイプのアリエルはともかく、体重の大きく違う大河を、見た目がごく普通の女子高生が吹き飛ばす様は異様の一言に尽きる。 あまりに雑魚が多く、少々いらついたのか、千里の表情が大きく歪んだ。 それは異様とも言える、人間が浮かべる表情じゃない。 次の瞬間、黒の閃光が辺りを包んだ。 何事かと思った瞬間、全員はまるで全身を切り刻まれたかのような衝撃が走る。 次に理解したのは、全身に走る痛み。 辛うじて難を逃れた……というよりは運良く射程圏外にいた美奈、瑠璃華、翔子の三人はその、全員が倒れている光景に、目を疑った。 何事も無かったかのように、千里は一歩一歩三人に近づく。 ぱぁん! 「……」 千里は一瞬だけ、聞こえてきた破裂音と、地面をえぐる弾丸に驚いて見せた。
近くのビルに隠れて、スナイパーの役割を果たしている海里は小さく舌打ちをした。 いくら威力を増強させている改造銃だとはいえ、ありとあらゆる攻撃を弾く今の千里にこの『H&K PSG−1』が通用するとは思えない。 だが今は、先輩二人と恩人の危機。 効かないとわかっていても、今は千里を殺すことに専念することにする。 スコープから千里の頭を狙うべく、千里を見たその瞬間。 「……っっっ!!!」 強烈な殺気。 いつでも貴様を殺せる、と言わんばかりの禍々しい狂気。 両の腕が絶えず震えてしまう。 それだけで、海里はもう役にはたたなくなった。
瑠璃華が美奈を庇うようにして千里を睨みつけ、その二人を庇うようにして翔子が仁王立ちをする。 「生憎ね。私は確かに<魔王>だけど、二代目。あんたなんかに恨まれる筋合いはないわ」 「あるさ……。貴様がいけ好かないという理由がな」 んな理不尽な、と思う翔子。 何にせよ、まだ自分が<魔王>として覚醒していないと自負できる以上は、絶望的だ。 はっきり言って、翔子に戦闘力はなく、攻撃力、防御力ともに人並みだ。 魔法を使っても、ここにいる妖怪たちの方が遥かに攻撃力や防御力が高かったり、もしくは汎用性が段違いなのだ。 それに関しては瑠璃華も同じで、自分が戦闘を行えないことは熟知してた。 「……誰も……やらせません!!」 嫌な汗を流して相対していた瑠璃華と翔子を押しのけるようにして、まだ傷の癒えていない翔子が息を切らして前に出た。 流れる血は、まるで汗のように流れ、出血のあまりに手先は震え、今は憐や修一にも勝てないかもしれない。 それでも退けないのは、やはり恩人のため。 「邪魔だ」 一瞬の油断だった。 美奈の目が一瞬かすんで、瞬きをしている最中、千里は一瞬で間合いをつめ、美奈を通り越して翔子の脳天めざして手刀を突き出す。 美奈の超反応でも、決して間に合わない速度。 瑠璃華は、翔子の心配で声を出すことすらも間に合わず、ただその光景をスローモーションを見ているような感じで傍観するだけ。 翔子は自らの運命を呪いつつも、ギュッと勢いよく目を瞑った。 「……くっ……はっ……」 いつまでも来ない、自分の頭に来るであろう物理的な接触を不思議に思い、恐る恐る翔子は目を開けた。 思いのほか光が強く、暖かな日の光に、少しだけ目がくらむ。 次第にはっきりしてくる視覚を頼りに、千里の方を見る。 そこには、確かに自分に向けて手刀を伸ばそうとする千里が存在していた。 だがそれを止めていたのも、また千里だった。 手刀をつくり殺そうとする左手と、その手首を掴んで離そうとしない右手がそこにある。 左手はそれを払おうと必死なのだが、力が拮抗しているのか右手は離れなかった。 まるで、両手が別々の意思を持つかのように。 「……聞こえますか?」 苦しそうな声で話すのは、憐たちが知る千里だった。 僅かの間ではあるが、千里は支配を断ち切ったのである。 所々で息を切らし、呼吸が荒い。 「これから話すのは……ハッ……遺言……です……ハァ……。……私は……ささやかな希望……にすがり……多くの罪を背負い……ました……。ですから……天罰……なんでしょう……ね……クッ……」 突然の事で声の出ない美奈は、身体も動かずに千里の話をただ聞いていた。 翔子はまだ現状が理解できず、また瑠璃華もどうすればいいのかわからずに混乱していた。 「もう……私……罪を背負う……のは嫌です……。です……から……死を……選びます……。最期に……」 千里は残る力を振り絞り、美奈に笑顔を見せた。 この世界の千里と最初に会ったときのような、寂しげな笑顔で。 「貴女とはもっと早くに出会いたかった……」 その言葉と同時に、千里の右手は力を無くしたかのように左手を離した。 そして同時に千里の表情も、前の悪魔の表情へと変化する。 「小娘が……。おとなしく死んでろっ……」 再び千里は、左手を振りかぶって手刀を翔子へと突き出した。 だが今度は、翔子に届く前に失速していく。 いや、左手だけではなく、千里の全身の力を失っていくかのように、千里の身体は大きく崩れ、そして勢いのままうつぶせになって倒れこんだ。 そのとき、三人は始めて千里の言っていた意味を理解した。 千里の右手が、千里の左胸を大きく貫いていたからだ。 千里は倒れながら、誰にも聞こえないように小さく呟いた。 「一緒に死にましょう……」
自分の力は過信ではなく、優れていると自覚していた。 だがそれを、一介の少女が断ち切ったのである。 しかも、誰もがかわいいはずの我が身をあっさり死に追いやるということもまた、動揺を生む。 それは、千里の持つ罪悪、覚悟というものを知らなかった。 最初はただのいい子ちゃんだと思い、その心の中で叫ぶ悲鳴が、それのサディスティックな欲望を満たしていた。 しかし千里は、自分の予想の外となる行動をいくつも起こし、彼女は今さっき自分の身体を破壊した。 もうこの身体は使えない。 それは、千里の身体を見限った。 折角復活したのにも関わらず、また以前の戦いのように封印されたくない。 だからそれは強い身体を求めた。 この中で最も強い身体を……。 見つけた……。 身体は傷ついてはいるが、致命傷でなければ問題ない。 すぐに修復してみせる。 それの姿は、普通の人には見えない。 妖怪であっても、見える種族は限られている。 だからそれは隠れもせず、一直線に目的の身体へと急いだ。 それが間違いであることも知らず……。 愛はそんな様子に、にやりと笑みを浮かべた。 身体は先ほどの衝撃で、多少悲鳴をあげているが、動けないほどではない。 衝撃から目を覚ましたとき、千里を纏う黒いオーラが千里から抜け出していくのを見た。 そしてそれが、悪の根源であることも、咄嗟に察知する。 だから、それに向かって自らの羽で飛ぶ。 悲しみの連鎖を解き放つために……。 そして彼女は、それに向けて拳をつきつけた。 「チェックメイトね」 それはただのオーラだから、どのような表情を浮かべているかはわからない。 だが愛にわかったのは、それが始めて浮かべた恐怖という感情だった。 「ソウルフィスト!!」
皆は、愛が何をしているのかは皆目見当がつかないところではある。 だが彼女の母親である聖子だけは、愛が起こしたそんな行動を暖かい目で見ていた。 愛もそんな聖子に気づいたのか、母親に向かってVサイン。 一同が受けたダメージも回復したようで、その怒りをベルへと向けていた。 「貴様ら……。下級生物の分際で……」 「ふん……」 互いの怒りは、両者を焦がそうと荒れ狂う。 憐たちが向けるのは、千里を使って悪事を働き、そしてその千里に危害を加えた恨み。 ベルが向けるのは、自分の主を滅ぼされた恨み。 互いの恨みは熱を帯び、ここにいる全ての肌を焦がすかのよう。 「だが『サムライガール』はもういない。そして『サムライガール』に対抗する娘も、もう戦えまい。……だからせめて貴様らを……」 ベルがそう言い放ったそのときだった。 辺りがまるで漆黒の闇に覆われたかのように、空に陰りが出てき始めたと思ったら、次の瞬間、空にいたのはベルだけではなかった。 彼と同じような悪魔が、空を埋め尽くすかのごとく存在する。 妖怪一人一人が、美奈や千里のような実力を持つものだとしたら、それはまさに無敵の兵だったかもしれない。 だが現れた悪魔に、二人のような、ましてや憐たちのレベルすらも感じさせはしなかった。 怖いのは圧倒的な物量なだけ。 だから皆、悪魔に恐れはしなかった。 「修一、麗奈、アキ、それに来栖、聞こえるか!? お前らは俺と一緒に悪魔の迎撃に回れ! 美奈は殿(しんがり)を! 瑠璃華は千里さんを任せた!」 「愛とアリエルは空中戦に回れ! 俺が前線に回って敵を抑えるから、オーナー、晶、孤月、草月はサポートを! 御堂、氷室は五十嵐を守り、五十嵐は『サムライガール』を!」 憐と大河が指揮官となり、一同に指示を出す。 指揮官がいるだけで、士気というのは大きく変わり、やはり鼓舞されるものだ。 憐たち『イクサクニヨロズ』、そして大河たち<ランデヴー>の間の統率は強い。 開戦と同時に、多くの悪魔たちを倒していった。 秋彦がまるでマシンガンの如く銃を撃ちつけ、それで撃ちもらしていった悪魔を精密な射撃で一体一体撃ち落していく。 それでも倒しきれない悪魔は、空中でアリエルがグレイブを閃かせ、愛が投げを利用して地面へと落としていった。 もちろん数が多いので、それでもまともには戦えない。 地上へと襲い掛かる悪魔を、憐たち接近戦の係が屠っていった。 一見、順調に憐たちに戦況が傾いているかのように見えた。 憐たちは誰も兵を失っていないのに対し、ベル率いる悪魔軍は次第に数を減らしているからだ。 だが悪魔はまだ、空を埋め尽くすほど多い。 さらに、憐たちの体力も無尽蔵ではない。 銃座の如く撃っている秋彦には、体力に関してはともかく、遠くの相手を倒そうとするために酷使した目の疲れ、さらに尖兵とも言える攻撃の役目というプレッシャーが次第に、秋彦を精神的に蝕んでいるのだ。 麗奈も同様で、彼女の場合は弓を引く体力の面でも、疲労がある。 そんな二人以上につらいのが、愛とアリエルの二人だ。 悪魔は全て、翼での飛行を可能にしているので、必然的に地上戦がメインの憐たちから見れば、制空権を奪われているに等しい。 そんな制空権を必死で守っているのが、この二人だからだ。 二人をサポートするべく、秋彦、麗奈、そして震えの収まった海里の射撃があるものの、焼け石に水のようなものだ。 それに気づいた憐、大河も氷の刃を飛ばしたり、咆哮による音波攻撃を行うが、それでも数はなかなか減る気配を見せない。 そんな中、一体の悪魔が猛攻を逃れ、地上の大河へと牙を向けてきた。 咄嗟の出来事に近かったため、大河は自慢の脚力をもってしても、よけきれない。 金属同士がぶつかりあう高い音が、辺りを響かせる。 大河が見たのは、人間の身でありながら、悪魔にナイフを向けて勇ましく戦う晶の姿だった。 「さっさとやれ……ダス!!」 細腕で、攻撃をいなしつづける晶。 その一瞬の隙を見て、大河は悪魔に牙を立て、悪魔の首筋を食いちぎった。 「これでも俺は<ランデヴー>の一員ダスよ。任せろダス!」 それでも戦況は一向に安定せず、終始憐たちが押されていた。
姉妹が揃って叫ぶと、瑠璃華、千里、翔子、ゆきめ、夏海の五人を覆うように氷の檻が作られた。 瑠璃華や翔子が作る障壁に比べると強度は落ちるが、それでも憐たちが作り出すのより遥かに強固だろう。 「……こんな状況だけど、そのどこかの漫画にあるような技の名前は何?」 ゆきめは、緊張した状況ながら、夏海に呆れたような口調で尋ねた。 もっとも夏海は緊張状態であったため、ゆきめの言葉に応対する余裕がないのか、悪魔の攻撃を受け続ける氷の檻の維持に必死だった。 この二人より緊迫した状況なのは、瑠璃華と翔子。 千里のポッカリ開いた胸からは、面白いように血が流れ落ち、既に出血量は一リットルを越えているだろう。 次第に顔が白くなり、体温がどんどん奪われていくのが手に取るようにわかる。 折角、こういう状況のために作った<治癒>も、瑠璃華の陰陽術も、そして翔子の魔法も功をなさず、千里からは生命力がどんどん奪われていった。 「ここまでなの……?」 「師匠、それは違う!! 終わらせない。絶対にハッピーエンドにしてみせるんだから!!」 あきらめかけていた翔子に、瑠璃華は喝を入れた。 本人にその気はなくとも、少なくとも翔子にとってはそう感じ取れた。 瑠璃華の、千里を助ける思いに感化され、翔子も失いかけていた希望を再び胸に灯し、治療を再開する。 瑠璃華は、自らの体力と引き換えに治療を続けてきたが、もう限界が近かった。 体力の猛烈な消費のあまり、目から、鼻から、口から、耳からも血が流れ始めている。 「瑠璃華。私の上げたマナ・クリスタルに意識を集中するの! そこからエネルギーを貰うようにするの、いい!?」 瑠璃華は翔子の言葉通りにしてみる。 すると今まで全身が悲鳴をあげていたのにも関わらず、それが嘘のように楽になっていく。 自分を糧とするはずの陰陽術だが、それをマナ・クリスタルが立て替えてくれるような……。 代わりに、マナ・クリスタルは透明だった中に、不純物を作り出していたのだが。 「よし。じゃあ続けるわよ!」 「はい、師匠!!」 そして二人は、再び千里の治療に専念する。 そして……。
千里は河原に立っていた。 どうしてここにいるのか、何のためにここに来たのか、まったくわからない。 ふと気づいたが、自分は裸足だった。 いや、足だけではなく全身に衣服を纏っていない。 とはいえ千里にとっては、そんなことは無意味だ。 周りを見渡してみても誰一人としていないし、さらに言えば、いたとしても自分の発育の悪い身体を見て何が面白いのか、そう思う。 とりあえず、無駄に広い河原を歩いてみた。 不思議と裸足なのに、足はまるで痛くない。 全部の石の角が取られているようにも感じる。 川は、現代では考えられないほど澄んでいた。 その水を飲もうと、川に近づいた、そんなときだった。 「千里様、向こうに渡ってはいけません!」 「……誰?」 千里の耳に響くのは、懐かしい声。 声の主に興味があり、千里は振り返った。 少々髪がぼさぼさだが、顔つきは思いのほか精悍な男の人。 彼も千里同様に、衣服を着ていない。 見たことない人物だったが、千里はそれが誰だか直感的に理解した。 「大丈夫。そこにいるってわかれば、渡るつもりなんてないよ……龍くん」 千里はにこりと笑い、龍殺も笑顔で返す。 二人は自然と、隣り合って河原に座り込む。 「ここって、やっぱり賽の河原?」 「某も、始めてですので存じませぬが……ですが対岸に、千里様の母君様、それに勝子様の姿が見えました故、恐らくは」 「ふーん……」 千里はふと、懐かしい母や祖母の顔を見たくなって、対岸に目を凝らしたが、深い霧に覆われているのか、どうしても見ることが出来ない。 見えないなら見えないで、千里はすっぱりあきらめることにした。 「それにしても、龍くんって人間の姿をとると、こんなにもカッコイイんだね。惚れ直しちゃった」 「い、いえ、某など、千里様の美しさに比べたら……ってそうではなく、某は千里様の家来にございます!! 千里様には、千里様に相応しい方がおられると、某は信じております」 あたふたして、人間同様に表情を変える龍殺の姿は、妙にかわいくて千里はにこにことそんな龍殺の様子を楽しんだ。 龍殺はというと、そんな千里が不服のようで、僅かに頬を膨らます。 「……千里様はいじわるです」 そんな龍殺の反応も、千里にとっては笑顔の元だった。 くすくすと笑いながら、千里は自然に龍殺の手に自分の手を重ねようとする。 ハッとそのことに気づき、千里が思うのより速く、龍殺は自分の手を自分の胸へと引き寄せた。 千里は驚きのあまり、目を点にさせる。 「……申し訳ありません。恐らく、某が千里様と接触したときが、千里様とのしばしの別れのときとなるでしょう。……家臣のわがままですが、某は千里様と、しばらく一緒にいとうございます」 「……そっか。龍くん、私に嘘ついたことないもんね。信じるよ」 二人はぼーっと、河原に座っていた。 何も語らずとも、二人は通じ合っている。 口下手なカップルの如く、目と目で通じ合い、片方が笑いかければ、同様に片方が笑顔で返す。 そんな二人だから、何がなくても幸せだった。 「龍くんと始めて会ったときね……」 千里は、自分の思い出を龍殺に話し始める。 それは千里が最も幸せだった、ワンシーン。 「私、びっくりした。龍くんっていう存在が怖かった。ほら、私ってその頃何も知らなかったでしょ?」 「存じております。確かに、少々某も困惑しておりました。勝子様は、千里様に某の事を語りませんでしたからな。あと、今だからお話しますが、勝子様は、自らの身のかわいさゆえ、某を千里様の母君様である香織様に受け継がせなかったことを後悔しておりました」 「だからお祖母ちゃん、死ぬ間際にお母さんに対して謝ってたんだ……。ありがと、教えてくれて」 「いえ……。それで?」 「でね。でも龍くんが私の味方だって知ったとき、すごく嬉しかった。もう龍くんさえいれば、どんな事があっても生きていける。そう思ってた」 「千里様……」 「でもね……」 千里は、すくっと立ち上がった。 龍殺を前にしても、自分の裸身を隠さず、惜しげもなく見せ付けた。 龍殺もそれをわかっているのか、動じることはない。 「もう大丈夫。私は龍くんの助けがなくても生きていける」 龍殺も立ち上がり、千里の決意の顔を確認すると、にこりと微笑んだ。 それが、千里にとって最良の返事。 「では……」 「龍殺! 黒川家後継者、千里として命令します!」 龍殺が、千里の肩に触れようとした矢先、千里はまるで人格を変えたかのように、りりしい声で龍殺を制した。 龍殺は千里の想像通り、肩をびくっと震わせたと思うと、娘を見る父のような目から、一介の部下へと戻る。 「気をつけ! 目を閉じ、そして両手を後ろで組み、足は肩幅に開きなさい!」 主の命令は絶対だ。 龍殺は、千里の言葉に従って目を閉じ、両手を後ろで組み、そして足を肩幅に開く。 千里という存在が如何に誠実とわかっていても、五感の一つを奪われた状態では、恐怖を感じてしまう。 そんなとき、龍殺は唇に柔らかなものが触れた感触を覚えた。 咄嗟に龍殺は目を開くと、そこには顔を赤くして恥ずかしそうに微笑む千里がいた。 千里はいたずらっぽく「えへへ……」と笑う。 「セカンドキスも、龍くんだね」 「……左様ですな」 そして二人は抱き合い、世界は白色の光で覆われた……。
一旦千里への治療を止め、そちらを見ると、そこにあるのは鞘と柄。 護身刀『龍殺』だったはずのそれに、刀身がなかった。 「な、何……?」 翔子は混乱した頭で何を考えるでもなく、龍殺をただ見ていただけだったが、それも自分の身体の前で起こる物音で再び視線を戻す。 大怪我だったはずの千里が、何事も無く起き上がったのだ。 自らの手刀で貫かれた傷はなく、元からそんな出来事がなかったと言わんばかりに、綺麗な白い肌だけが存在する。 千里が自分自身を確かめている最中、瑠璃華たちは絶望的な状況でありながらも、希望を見出していった。 千里は、そんな笑みがこぼれ始めた瑠璃華に、笑顔で応えた。 「私は、龍くんのくれた命をもう二度と、無駄にはしない。そして、私はやりたいようにやってみせる!」
それは、悪魔たちの侵攻を許すことになるのだが、相手は百戦錬磨で、しかも単体対複数の戦いはなれていた。 しかも実力が大きく違う雑魚相手に、『サムライガール』と呼ばれ、皆から恐れられてきた存在が遅れをとるはずもない。 まるで一瞬の出来事。 瑠璃華たちが気づいたときには、襲い掛かってきた悪魔たちは全て、地で悶えていた。 誰一人死を迎えることなく、そのような芸当をするのは、妖怪であっても難しい。 だがそれを実践できるのが『サムライガール』黒川千里であり、そうやろうとする意思は憐たちの知る千里そのものだった。 憐たちが信じた道が正しいものだと証明できた瞬間であった。 千里はベルに一瞥を向けると、自らの拳をベルへと突き出し、こう言い放つ。 「退いてください。命まではとりません!!」 その言葉は、かつて龍殺と共に戦ったとき、妖怪に向けて言い放った言葉とまったく同じだった。 千里の実力が高いのを知り、妖怪が自分よりも弱いことを知り、そして弱き者にも慈愛を向ける千里らしい言葉。 だがプライドの高いベルにとっては、ただの挑発でしかなかった。 ベルはかちんときたのか、指揮していた悪魔軍の標的をすべて千里へと変更し、悪魔たちはベルの命令に従って千里を襲う。 「グレートヘイスト、ゴー!!」 「敏捷増強、急急如律令!!」 鬼神のレベルまで達している千里の能力を、さらに増強するべく瑠璃華と翔子は魔法、陰陽術を使う。 そして千里は、そんな鬼の神すらも殺す“神殺し”へと進化する……。 千里は悪魔を、一秒に七体は屠る。 どんなに囲まれていても、戦う敵は最高で四人、という俗説が存在する。 それだけ戦えれば、どんなに多くても大勢の敵と戦えるのだ。 だが千里はそのレベルすらも軽々と突破し、体重の乗った拳、蹴り、稲妻の鞭、風の刃を飛ばして一体一体屠る。 いや、千里からすれば、そのような形容すらも優しすぎる。 美奈はそんな千里を見て、尊敬し、嫉妬し、そして自らも悪魔と共に戦いたいとも思った。 今の千里は、まるで踊るかのように華麗に戦い、そしてそのペアの相手をリードするかのようにいなしていく。 美奈は千里の相手になれれば、どれだけ楽しいのかを知っているから。 無限かと思われていた悪魔たちは、千里によって一気に数を減らしていた。 たった一人で……と考えていたベルからしてみれば、千里の存在は最大の誤算だった。 彼の仲間、アスラが見つけたと言う逸材は、確かに極上だった。 アスラが自らの命と引き換えに、千里を暗黒の道へと誘ったときは、アスラを本気で称えもした。 だが、今の千里は、彼にとっては最大の障害。 主は死に、主の右腕とも言われるアスラも千里に殺された。 「ひ、ひぃ……!」 今は逃げよう。 今はただ遁走して、次の機会を待とう。 身を翻そうとした、そのときだった。 動揺していて気づかなかったが、ベルの背後をとっていた人物がたった一人存在していた。 ベルを捕らえるために来日した、純白の羽を持つ戦士、アリエルが。 次の瞬間、ベルの身体をアリエルのグレイブが貫いた。 まるで、神話にでも登場しそうな、天使が悪魔の息の根を止める、そんな様子がそこにあった。
だがほとんどの悪魔はまだ息があり、特に千里が戦ったであろう相手は全て生きていた。 ベルもしぶとく生き残っているが、アリエルがしっかり捕縛したので、もう悪事は出来ない。 ともかく<ランデヴー>のメンバーは、この悪魔たちを一体一体捕らえて、しかるべき場所へと突き出さなければならない。 そう考えると、一体一体捕縛する作業は、下手したら先ほどの戦いより面倒くさいかもしれないと、大河は思った。 しかし晶や孤月や草月といった、戦いが苦手なメンバーが率先してそういうことをやってくれているから、思いのほか楽かもしれない、とも思っている。 とにかく、大河にとってはさっさと帰って、櫻に無事な姿を見せてやりたい気持ちでいっぱいだった。 遠距離で狙撃した海里も、この頃になると戻ってきていた。 彼女もまた、頑張って支援した一人なため、安全なところにいたとはいえ、敢闘賞の一人だった。 そんな彼らに、再び緊張が走った。 千里が、無造作に大河たちに近づいてくるから。 憐たちは、今の千里を敵とは思っていないのか、まるで緊張している様子もない。 しかし今まで敵として認知していた<ランデヴー>のメンバーとしては、そうはいかない。 「貴方方のリーダーは誰ですか?」 聖子が、無言で手を上げた。 彼女もまた、夫と息子を殺されて、千里を警戒している一人。 その雰囲気に気圧されて、一歩だけ後退してしまう。 だが千里はそれを気にせず、聖子の傍へと寄った。 そして……。 「私、『サムライガール』黒川千里。今までの罪を悔い、自首します」 千里は毅然とした様子で、両手を揃え、前に出した。 聖子は警官じゃないので、手錠を持ってはいない。 だがそれを受け入れるような仕草をする千里に敵意がないことを、深く理解した。 そして、罪を受け入れる千里の表情は、最初と同様に寂しげな笑顔だった。 千里が望んだのは、ささやかな希望。 叶ったのは、みんなの涙……。
「あれから一週間、世界は元へと戻った。 |