陰陽五行戦記
第一章 ◇平安編◇
|
それを、わたしは知っている。 多分、わたしは他のみんなと少し違うんだと思う。 生まれたときから母を亡くした子だったからなのか、もっと別の理由からなのか。 わたしにとって、大切なものはすべて、いずれ無くしてしまうものだった。 失うことが分かっているから。 だから、今という時間がとても大切で。 移りゆく季節が愛おしくて。 少しずつ成長していくこの体が。 何年か後には別々の道に進む友人たちが。 無くすこと知りながら、でも、有限の時間の中で、わたしという人間は何を為すべきなのか。 わたしは、誰のために生を受けたのか。 誰と共に生きていけばいいのか。 答えは、わたしの中に最初から存在していた気がする。 だから、多分、わたしは他のみんなと違う。 みんなが手探りで、夢を見つけ、愛すべき人を見つけていく中で、わたしの道は最初から一つだけ。 どうしてなのだろう。 毎日、好きになっていく。 思い出が積み重なって、気持ちが焦がれて。 それは失う予感があったから? いつか、そう遠くない未来に…。 でも…。
輪さんを傷を治す温泉に運び込んでからも、美亜子さんはずっと黙ったままでした。 それは多分、怒っているわけじゃなくて、ただ輪さんのことが心配なだけで。 だから、わたしは余計に悲しくて、申し訳なくて。 どうしよう。 どうやって切り出そう。 謝らなくちゃ。 わたしのせいだって。 輪さんがこんな目に遭ったのも、こんなひどい怪我をしたのも、わたしがわがままを言って、輪さんを羅城門に連れ出したせいだって。 でも、わたしも輪さんのことが心配で心配で。 そして、輪さんと美亜子さんに申し訳なくて、いたたまれなくて。 わたしは、輪さんを横抱きにして一緒に温泉に入っている美亜子さんの後姿を、ただじっと見つめるだけ。 どうしよう、わたし泣きそう…。
わたしのほうを振り向かないままで、美亜子さんが呼びました。 「は、はいっ!」 驚くわたしに、やっぱり輪さんの顔を見つめたまま、美亜子さんは優しい声でこう言いました。 「この温泉、やっぱり効くのね。輪の呼吸、さっきよりずっとしっかりしてるみたい。多分、もう大丈夫」 そう、美亜子さん自身も以前平将門によって、ひどい怪我をして、それをこの温泉で治した経験があるんだった。 その美亜子さんが言うんだから、輪さんはもう大丈夫。 大丈夫なんだ。 良かった…。 「それで、ひとつ頼みたいんだけど」 「はい。何でも…」 わたしは思わず立ち上がって答えてしまった。 代われと言われたらわたしが輪さんを支えるつもりで。 でも、ちょっと違った。 「ごめん、安心したらなんか急におなかが減っちゃったわ。なにか食べるものある? それと飲み物も」 それくらいなら、竜宮に戻ればいくらでも用意できる。 それに、わたしもおなかがすいていたことに、気づいた。 「分かりました。待っててください。すぐに運んできます」 美亜子さんはようやくわたしのほうを振り返ると、微笑んだ。 「ありがとう」
「摩訶那ちゃんには悪いことをしちゃったわね」 美亜子さんはそう言ってから、わたしが『赤銅の鍋』から出したご馳走を食べはじめました。 「そうですね。あの子凄く一生懸命お夕食の用意してくれてましたから。わたし見ていてちょっと羨ましかったです」 そう、摩訶那さんのように、大好きな人の食事の支度をして、大好きな人の留守を守って、お客様を迎えして。 そんな生活に、わたしは憧れている。 竜宮にわたしはいつも一人だから。 『赤銅の鍋』から出てくるご馳走はおいしいけれども、摩訶那さんの作る暖かい料理のほうが、わたしは好き。 「ふぅ〜ん」 「あ、だからさっきもわたしは嬉しかったです。美亜子さんのためにお食事の用意をして、それと輪さんが目覚めたら、食べてもらおうって、これも」 わたしは笹の葉に包まれた握り飯をそっと美亜子さんに差し出した。 「誰かと一緒に食事が出来るって、すごく嬉しいです。だから、淳二さんと広奈さんと最初に出会って、それから輪さんと、美亜子さんと春樹さんに会って。ここ何日か、わたしはずっと嬉しいんです。色々あって大変だったけど、寂しくないし。いっぱい笑ったし」 何でだろう。 わたし、凄く饒舌になってる。 「そっか…」 美亜子さんはやさしく頷いてくれた。 「だけど、わたし嬉しかったから、それで調子に乗ったんです。輪さんにお願いを言って、羅城門に、わたしと輪さんがはじめて会った場所に行って欲しいって、お願いして、そしたら…」 そう、そうしたらあんなにたくさんの妖怪が平安京に攻めてきていて。 輪さんはたった一人で、戦って、そして…。 「ごめんなさい…。輪さんが怪我したの、わたしのせいです」 やっと言えた。 「別に、あたしに謝ることじゃないわ」 美亜子さんは平然とそう言った。 ううん、平然とそう言ったように、わたしには見えた。 「あいつ、あたしが行ったときにね、死んでるみたいだった。ひどい怪我だったし。ってか、あのままだったら確実に死んでた。でも、広奈が助けてくれたの。だから、あんたは広奈にたっぷり感謝しなさい」 広奈さんが…。 「そ。だから、あれかな、あたしもしばらく広奈には頭が上がらないかもね…」 そう言ったあとで、美亜子さんは「あ、これおいしい」とか言いながら食事を再開した。 それはもしかしたら、もうこれ以上この話をするな、ということなのかな。 でも、わたしは聞いておきたかった。 聞いて、そしてやっぱり謝らないと。 「美亜子さん、美亜子さんも泣いてましたよね。輪さんがあんなことになって」 「乙姫、いいってもう、その話は…」
美亜子さんの表情が、変わるのが分かった。 やっぱりそうなんだ。 美亜子さんが何か言う前に。 「…ごめんなさい。わたしも輪さんのことが好きです」 「うん」 やっぱり、という表情で、美亜子さんは頷いた。 「でも、わたしは竜神で、人間じゃなくて。だから、わたしはきっと輪さんがもっと年をとってもずっとこの姿のままで」 そう。 分かっていた。 たとえば輪さんが年をとって、おじいさんになっても、きっとわたしは小さな女の子のまま。 流れる時間が違うから。 1千年の時を生きる竜神には、だから見てはいけない夢で。 「輪さんのこと好きです。でも、わたし見ているだけもいいんです。想っているだけでも、いいんです。それに、美亜子さんが輪さんのことが好きなら、わたし、二人に幸せになって欲しいんです。そう決めたのに、でも、わたしがわがままだったから、だから、やっぱり美亜子さんに謝らないといけなくて。輪さんに怪我をさせたのは、わたしのせいだから、ごめんなさい」 ああ、なんだかうまく言えない。 それに、どうしよう、涙が出てきた。 「乙姫、あたしは…」 ああ、でも今度は美亜子さんが言葉に詰まってる。 ごめんなさい。美亜子さんを困らせるようなことを言って。 「でも、決めるのは、輪なのよ。あたしがどう思ってても、輪が好きなのは…」 わたしは驚いた。 あの美亜子さんの目から、涙がこぼれたから。 それ以上言葉を続けるわけでもなく、声を上げるわけでもなく、ただ美亜子さんは静かに、一滴だけ涙を流して。 それを見て、わたしは何も言えなかった。 わたし、また間違えたのかな。 美亜子さんを傷つけるようなことをしちゃったのかな。 わたしは黙って、食事に箸をつけた。 とにかく夕食を食べて、この場から去りたかった。 輪さんのことは心配だったけど、でも、わたしはまた罪を背負ってしまった気がした。 やっぱり、わがままを言ってはいけないんだ。 輪さんに怪我をさせて、美亜子さんを傷つけて。 だから言えない。 わたし、輪さんと約束したこと。 平安京を見て回るって。お寺や神社を輪さんと一緒に。 もし叶わなくても、約束したことをわたしが覚えているから。 輪さんが繋いでくれた手の暖かさを覚えているから。 輪さんがわたしの頭を撫でてくれた感触を覚えているから。 きっとわたしは大丈夫。 大丈夫。一人でも。寂しくても。思い出があれば。 約束があれば。大丈夫。
乙姫はちょっと泣いてたけど、夕食を食べ終わる頃には、だんだんと顔が眠そうになってきてた。 無理も無いか。 今日は朝から大江山に登って、酒呑童子と物凄い数の天狗や鬼と戦ったんだっけ。 なんか、色々ありすぎであたし自身も疲れてるぐらい。 乙姫にとっては、かなりハードな一日だったはず。 だから、あたしはこう声をかけることにした。 「乙姫、食事ありがとう。悪いけど、片付けもお願いできる?」 「あ、はい。やります」 こくりと頷く乙姫。 「ありがと。それと、しばらく輪のことはあたしに任せて。あんたはしっかり寝ること、いいわね」 乙姫には悪いけど、ちょっと一人になりたかった。 正直、乙姫に言われたこと、少しショックだったし。 なんだろう、あたしと乙姫は多分似ているんだ。 立ち位置が。 それは、片思いと言えば簡単だけど、それだけじゃない、もっと…。 「あ、はい、わかりました。それじゃ、輪さんを支えてあげてください」 「ん」 あたしはまた温泉に入っていった。 温泉の真ん中ぐらいには、相変わらず鎧姿のままの輪がぷかぷか浮かんでいる。 ずっと上のほうの鍾乳石の明かりを受けて、輪の愛の前立てがきらきら光っているのを、あたしはちょっと綺麗だな、と思ってしまった。 最初に見たときは爆笑してしまったのに、今はなんだかこれを見ると落ち着く気がする。 なんでだろ…。 そして、輪の体をまた横抱きで抱える。 そう、あたしが怪我をしたとき、全く立場が逆。 これで貸し借りなし、かな。 「美亜子さん…。あの、おやすみなさい」 いつの間にか、お膳や食器の類が宙に浮いていた。 乙姫が、念力を使って竜宮に持って帰る用意が出来たのね。 「うん。お休み。それと、あれありがとうね。輪が起きたら食べさせるわ」 乙姫がくれたおにぎりを指差しつつ、あたしはそう礼を言った。 そう、輪が起きたら、これを食べてもらって、そして、色々文句を言ってやらなくちゃ。 それにしても、一体いつになったら輪は起きるのかしら。 顔色もいいし、傷はもう全部ふさがっているだろうし。 「ねぇ、輪。起きなさい。いい加減寝すぎなんだけど…」 呼びかけて、頬を叩いてみる。 体をゆすってみる。
もし、二人が夜中に戻ってきたら、同じ部屋で一緒に寝よう。 ずっと、ずっと一人っきりで眠ってきた部屋。 でも、三人で一緒に眠れたらいい。 きっと、楽しい夢が見られるだろう。 もしかしたらそれは、乙姫が経験したことの無い、家族のぬくもりにも似た何かを渇望してのことかもしれない。 そう、たとえば、輪が兄で、美亜子が姉。そんな関係だったらどんなに素敵だろうか。 毎日が、どんなに輝いているだろうか。 そんな願い。かなえられることのない願い。
たちまちのうちに、乙姫は眠りに落ちていった。 深い深い眠りの中、乙姫は夢を見た。 それは…。
輪の卒業旅行は、輪の両親と綾瀬、そして綾瀬の父の5人での旅だ。 普段から家族同然の付き合いの両家にとって、これもごく当たり前のことだった。 京都観光に関しては、日中は基本的に輪と綾瀬の二人で自由行動。 夕方までに今日の宿に戻れば京都を好きに見て回っていい。 両親と綾瀬の父に許しを得て、晴れて輪と綾瀬は二人で京都デートだ。 「凄いね輪くん。京都って、修学旅行まで来れないと思ってたよ」 「だな、たまにはわがままも言ってみるもんだ」 かねてから京都に行って史跡めぐりをしてみたかった輪である。 大好きな幕末関係の旧跡を訪ね、それから有名どころのお寺を回ってみるつもりである。 「ところで、綾瀬はいいのか? どこか行ってみたいところがあれば」 「ううん、今回は輪くんの卒業旅行だから、輪くんの行きたいところでいいよ」 屈託無く笑う幼なじみに、輪は微笑み、頷いた。 「じゃあ、すまんが、今回は俺の趣味で京都めぐりと行くか」 「うん。でも、なんだかすごく嬉しい。なんでだろ。なんかね、輪くんと京都を見て回るのって…」
「ん? そうだったか?」 首をかしげる輪。 「あれ? そう言えばしてたっけ? ごめんね輪くん、なんか勘違いだったかも」 綾瀬は小さく舌を出し、照れ隠しにとびきりの笑顔を振りまいた。 「では、行こう」 「うん!」
そこから徒歩で霊山歴史館、そして円山公園へと向かうのが午前中の輪のプランだった。 その、清水の舞台。 京都の町を一望する景色。 もちろん輪にとっては初めて見る風景だ。 その眺望に輪が感動していると、不意に綾瀬が輪の手を握ってきた。 「ん?」 綾瀬の顔を見た輪は、言葉を失う。 泣いていた。 綾瀬が、その景色を見て、唐突に。 なぜ? 「ど、どうしたんだ?」 でも、綾瀬は流れる涙を拭おうともせず、ただ、黙って、小さく首を振った。 左手で輪の手をぎゅっと握り締め、右手で口元を押さえたまま。
と、輪が慌ててハンカチを取り出すと、綾瀬の目を拭った。 そして、 「その…、人目もあるし、こっちへ」 綾瀬の言葉をさえぎって、別の場所へいざなおうとする。 確かに大勢の観光客が回りにいる中、女の子を泣かせているのだ。 輪は居心地が悪いだろう。 でも…。
何か、奔流のように綾瀬の中を駆け抜けた“想い”が。 それは、とても大事なことで。 それは、生まれてからずっと待ち続けた答えのようで。 だから、 「約束…」 そう。 遠い昔に交わした約束。 それが…。
「輪くん、わたしは…」
夢の中でわたしは、輪さんと…。 「………約束、守ってくれた」 そう。 だんだん朧に消えていく夢の記憶。 でも、確かに輪さんは約束を守ってくれていた。 なんだか胸の奥が暖かい。こんなに嬉しい気持ちで目覚めたのは初めてかもしれない。 きっと、輪さんが元気になったんだ。
左手に、まだ輪の手のぬくもりが残っている気がした。 そして部屋の中を見渡す。 3つ敷いた布団はしかし、夜に敷いたときのまま。 輪も、美亜子も、そこに寝ていない。 「…輪さん」 居てもたってもいられず、乙姫はそのまま部屋を走り出た。 そして、温泉へ駆けていく。 少し息が切れる。 でも、そのまま走り、やがて鍾乳石の幻想的な光の中に見た。 温泉の中に美亜子と、そして相変わらず横抱きにされたままの輪。 そして、昨日置いたときのまま、解かれていない握り飯。 「美亜子さんっ」 温泉のふちで立ち止まり、乙姫が声をかけると、美亜子は顔を上げた。 その目は、寝ていないのか、それとも泣きはらしたのか真っ赤だった。 「輪さんは…?」 恐る恐る、乙姫が聞く。 でも、答えは分かっている気がする。 だって、美亜子の表情は、どうしてあんなにも…。 「起きないの。輪、呼んでも、叩いても…。起きてくれない…」 か細い声。 きっと一晩中輪を介抱し、そして何度も呼びかけたのだろう。 でも、それは報われなかった。 「まさか…」
でも、乙姫には聞こえる。 輪の呼吸する音が。 生きている。 ささやかに上下する輪の胸の動き。 それに、輪は約束を果たしてくれるのだ。 だから大丈夫。 きっと…。 今朝見た夢のぬくもりが、乙姫に勇気をくれる。 「あの、わたし、これから皆さんを呼んできます。広奈さんに何とかしてもらえば、きっと…」 今度は憔悴しきった美亜子を励ますように、乙姫は言い切ると、返事も待たずにまた走り出した。 「…お願い」 小さくなっていく乙姫の後姿を見送り、美亜子は目を閉じて、すがる様に輪の体を抱きしめた。
自分の無力さと、不安に押しつぶされそうな、一人の弱い少女だった。 「輪、どうしよう…。あんたが起きなかったら、あたし…」
だけど、今の美亜子を襲っているのは、もっと深く、じわじわと胸を締め付けるような恐ろしさ。 死が、二人を分かつ恐怖。 もう二度と、輪の声を聞けないのではないか。 再び輪と心を通わせることが出来ないのではないか。 それは、美亜子にとっては、今一番遭遇したくない最悪の事態だった。 人は誰でも、等しく死の前には無力だ。 それでも美亜子は死の淵に落ち込みそうだった輪の手を間一髪で掴んだ。 だけど、輪のことをまだ“こっち側”に引っ張り上げられないでいる。 いつ、落ちてしまうのか分からないまま、必死で輪の手を握り続けて…。 そしてたった一晩で、美亜子の精神は、もう擦り切れる寸前だった。 それくらい、美亜子にとっては輪の存在は重くて、輪が死ぬ恐怖は大きかったのだ。
すでに安倍晴明は儀式を終了し、小摩訶那を通じて広奈たちに出撃命令が下っていたらしい。 本来なら晴明と入れ替わるようにすぐに鞍馬に飛ぶ予定なのだが、三人は輪と美亜子を迎えに竜宮に立ち寄った。そこで乙姫とばったり会ったのだ。 たっぷりと睡眠をとり、摩訶那お手製の豪華朝食をたらふく食べたおかげで、三人はすでに元気満々、やる気十分の臨戦態勢だ。 これから鞍馬山に侵入し、魔王との最終決戦をする心構えも出来ている。 だが、そんな自分たちとはあまりにも対照的な輪と美亜子を前にして、三人そろって絶句した。 泣きはらした赤くはれぼったい目元、青白い顔色に、うつむいたままの暗い表情。 そこにいたのが誰なのか、淳二には一瞬分からなかったほどである。 ここまで憔悴している美亜子を誰も想像できなかった。 そして一見するとごく健康そうに見えて、しかし、全く目を覚ます気配がない輪。
誰も、口を開こうとはしなかった。 みんな無言のまま、輪が起きるそぶりを見せないか、固唾を呑んで見守るだけ。 いつもの勝気な表情を全く見せず、贖罪を乞う罪人にも似た頼りなさで輪のことを見つめ続ける美亜子。 そして、淳二は、強く、強くこぶしを握り締めて、立ち尽くした。 一番強かったのは後悔だろうか。 輪の容態について全く楽観的過ぎたことへの。 そして、美亜子がこんなに憔悴しているのに、何も出来なかった自分への。 後悔はすぐに自分自身への怒りに変わり、そして虚脱感が淳二を襲った。 この状況で、あまりに無力な自分。 だったら…、だったら考えろ淳二。オレはこの状況で何が出来る? 今からでも遅くない、考えろ…。
昨日あれほど戦うことを決意し、今日も心の準備をしたというのに、それでも5人にとってやはり精神的支柱だった輪と、最大の戦力である美亜子の今の姿を見て、一気に怖くなった。 5人で力を合わせて戦うのであれば、春樹だって頑張れる。 だけど、このままじゃ…。 一転弱気に陥りそうになった春樹だが、今の彼は昔の春樹ではない。 このままじゃ、なに? このままじゃ戦えないの? 僕は、直江君や本多さんの陰に隠れないと戦えない? いや違う。そうじゃない。 この状況だからこそ、僕は…。
美亜子の話によれば、死にかけていた輪を助けたのは広奈だという。 だったら、きっと今度も広奈が輪を目覚めさせてくれるに違いない。 自分に出来るのは、ただ願うことだけ。 どうか、輪さんが目覚めますように…。 そして美亜子さんの気持ちがどうか輪さんに届きますように…。
輪は、目覚めなかった。
「輪のことは、晴明さんに任せるのがいいと思う。今頃屋敷に戻ってきて寝てるだろうから、起きた頃合に治療してもらえばいいんじゃないかな」 美亜子と、乙姫、それに春樹は、驚きをもってその発言を受け止めた。 それは、すでに淳二が、鞍馬山への侵入を輪抜きで行うことを決定したことによるものだった。 そして広奈は静かに頷いて淳二の意見に賛意を示した。 反論の声は起きなかった。 もはや誰が見ても輪の状態が異常であることは明らかだったし、それを治療できるとしたら、確かに晴明が適任であるとも思えたからだ。 「乙姫ちゃんは最初の予定通り晴明さんの屋敷に行って待機してて」 「はい」 乙姫は淳二を見てそう返事をし、それから輪のほうに目をやって、 「輪さんのことは、わたしがしっかり看病してますから」 と、しっかり決意表明。 もちろん一条屋敷に待機するからには、鞍馬山への侵入チームが危機に陥ったら、天候を操作できる秘宝『如意珠』を手に、救援に駆けつける役目を負うことにもなる。 そして、鞍馬山へ赴き、魔王を倒す役目は、 「美亜子ちゃん」 淳二の声には、どこか傷心の少女を慈しむような響きがあった。 だから、それだけで広奈はすべてを理解して、淳二に向かって微笑んだ。 常にない淳二の声色に、美亜子は若干の不信感を感じていた。 「なに?」 自分を見る美亜子の目に、いつもの光はなかった。 今の淳二にとって、美亜子の姿は冷たい雨の中いなくなった母を捜す迷子の少女のようにも見える。 将門に斬られた美亜子を見て、味わった恐怖が淳二の脳裏に浮かんだ。 もう、あんな思いをするのはたくさんだ。 輪がいない今、オレはオレのやり方で、美亜子ちゃんを守ってやらなくちゃ。 だから、 「美亜子ちゃんも、晴明さんの屋敷で待機。というか、おとなしく寝てて」 淳二の一言に美亜子の柳眉が逆立つ。 「ちょ…、なに?」 「だって、昨日一睡もしてないっしょ?」 「それくらいなんでもないわ」 嘘だった。 本当は不安でたまらない。 出来るなら輪のそばについていたい。 美亜子の中にある“女”としての人格はそう告げている。 でも、美亜子の“戦士”としての矜持がそれを許さない。 守ると誓ったのは輪だけではないのだ。 魔王と戦うなら、その先鋒は自分でなければいけない。 先頭に立って奮戦し、そしてみんなを守る盾となる。 それでこそ、天下無敵の美亜子なのに。 「まぁ、ゆっくり休んでもらって、オレらがピンチになったら、乙姫ちゃんと一緒に助けに来てもらうってことで」 これも淳二なりに気を遣った発言だったのだが、美亜子は突っぱねた。 「馬鹿にしてもらっちゃ困るわ、淳二。あたしは…」 そう。思ったとおり、こう言えば美亜子ちゃんは絶対についてくる事を、オレたちと一緒に戦うことを自ら選ぶに決まっているのだ。 そして、オレも本心では美亜子ちゃんと一緒に戦いたい。 でも…。 淳二は美亜子の言葉を最後まで聞かなかった。 そっと広奈に視線を送る。 それだけで、広奈はすべてを察してくれる。 本当に、賢い人だ。 『睡眠誘導・急急如律令』 やはり今の美亜子は弱い。淳二に目配せされた広奈の動きを見落とした。 「あっ…」 広奈の方術に、美亜子の精神は抗うすべがなかった。 襲い来る眠気の前に、美亜子は力なく膝をつく。 抵抗は出来なかった。このまま目を閉じれば輪と離れずに済むのだ。 睡魔に身をゆだねつつ、美亜子は感謝した。 ああそうか、淳二のやつ、こんな形であたしのこと……。
「…というわけで、悪いなハル。結局オレたち三人での最終決戦だ」 頼りの戦力が、結局二人とも参戦できない状況。 この大事な局面で、三人だけで戦わなければならない。 当然、春樹にとっては弱気に陥るであろうことは想像に難くない。 「大丈夫。直江君や本多さんの分も、僕がみんなを守るから」 「…あれ?」 予想外だった。しかも、守られるのオレですか? 一瞬あっけに取られた淳二に春樹は微笑んだ。 「僕だって、覚悟は決めてるよ。だから、大丈夫」 そこにいたのは弱気で不幸な春樹ではなかった。 逆境にあってもそれに負けない強さを持った、一人の“漢”だった。 「春樹さん…」 広奈様もこの春樹の姿にかなり好感を抱いたご様子。 「ごめんハル、オレ実は今ちょっとだけ感動してるかも」 照れくさそうにそう言うと、淳二は美亜子をお姫様抱っこしてそのまま輪の傍らまで運んだ。 服が濡れていたせいで、ちょっと重かったが、それは淳二だけの秘密だ。 輪の隣に美亜子を寝かすと、二人の手をそっと取り、しっかりと繋がせた。 「というわけで美亜子ちゃんには、輪の夢の中に入っていって、奴を叩き起こす任務を命じます」 淳二はそう呟くと、乙姫を手招きした。 「じゃあさ、二人のこと任せたぜ」 乙姫は真剣な表情で頷くと、淳二、広奈、春樹の三人をそれぞれ見つめてから言った。 「皆さんも気をつけてください。怪我とか、絶対にしないでください。わたし、もう泣くのは嫌ですから…」
東の空の朝焼けが目にまぶしい。 空は少しだけ曇天模様だった。 輪と美亜子、二人が自分たちと離れても。それでも… (ご主人さま、きっとまたみんな会えるよね?) 小十郎からのテレパス。 (うん。僕はそのために戦うんだ。絶対にみんなを守ってみせる) 決意に満ちた春樹の意思に、小十郎は嬉しそうに答えた。 (はいっ!)
果たして、彼らの運命は!?
|