陰陽五行戦記
第一章 ◇平安編◇
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まだ、着陸はさせず、上から輪の姿を捜す。
あたりは静寂そのもの。 少し、虫の音が聞こえる。 そして完全な暗闇に包まれた平安の夜の中で、美亜子の目はそれでも輪の姿を探して、星明りを頼りに素早く周辺を見渡していた。 戦いを予期すれば、ぴりぴりするその肌も、今は何も感じない。 そして、胃の辺りが、きりきりと締め付けられるような、なんともいえない嫌な気分。 気のせいか、美亜子の鼻は微量だが、血の匂いを嗅ぎ取った。 「輪?」 思い切って呼びかけてみる。
返事は無い。 再び暗闇の中、目を凝らした美亜子の視界に何かが飛び込んできた。 闇の中、うっすらと見える愛の前立て。 羅城門から、東側に少し離れた地面に、それはあった。 「見つけた…!」 十二神将を着陸させ、美亜子は輪の元へと駆け寄った。 なぜ、あんな低い位置にあるのだろう? 暗くてよく見えないが、輪は倒れているのだろうか? 美亜子の心拍数が上がった。 妙に息苦しい。 いても立ってもいられない。 「輪っ!」
近付くにつれ、気のせいかと思っていた血の匂いは、確かに美亜子の鼻をついた。 仰向けに倒れている輪の右胸に、何かが刺さっている。 暗くてよく見えないが、輪の鎧が随分汚れているような…。
だが、美亜子は見てしまった。 輪の全身は血に染まり、右胸には矢が刺さり、そして、ピクリとも動いていない。 胸が上下に動いていない。 呼吸音が聞こえない。
浅く、空気を吸い込んだきり、美亜子は次の息を吐けない。 衝撃の大きさに、息もできない。 地面がぐらぐら揺れる。 自分が立っている足元が、無重力空間に変わったように、三半規管が機能しない。 「…り…ん?」 かすれるように息が漏れた。 力なく歩みを進めていた両足が役割を放棄し、美亜子は両膝をついた。 輪の横にぺたんと座り込む格好になった。 手を伸ばす。 それが、不思議なくらい、震えている。 「輪…? あんた、なにやってんの…? ねぇ…」 輪の肩をゆする。 でも、反応しない。 輪が目を開けない。 だって、輪は息をしていない。 「嘘でしょ、ちょっと、輪!」 冗談にしては悪趣味すぎる。 悪ふざけにしては、でも、この輪の姿は…。 「輪?」 さらに激しく輪の肩をゆする。 「輪っ! 輪っ!?」 首に手を当ててみる。 でも、脈がない。 輪の心臓も、動いていない…?
輪が、死んでいる?
そんなことが…。 そんなはずは…。 だって、輪のことはあたしが守るって。 みんなで一緒に現代に帰るって。 さっき誓ったばかりなのに。 それなのに。
輪の姿がにじんで見える。
たとえ現代から1000年離れた時代に飛ばされても。 どんな強敵が相手でも。 一緒に戦って、一緒に障害を乗り越えて、敵を蹴散らして。 そして、冗談を言って、からかって、一緒に笑って。 そんな、心地よい時間がずっと、ずっと続いていく。 本当に、そう思っていたのだ。
輪が、絶対に帰ってこない所へ行ってしまった。 何も出来なかった。 間に合わなかった。 助けられなかった。 もう、手が届かない…。
失うべからざる人を。 自分の最高の理解者を。 そして、密やかな想いを寄せていた相手を。 永遠に失おうとしている少女の、悲しい叫び声だった。
「ヲルスバン、辺りにまだ敵がいるかもしれません、警戒を」 「はっ、長官殿」 的確な命令をヲルスバンに下し、自身も周囲を警戒しながら美亜子の傍へと。 だが、広奈はそこで信じられないものを目撃した。
ただ涙を流しつつ、ただ輪の手を握って嗚咽に震えている、哀れで無力な少女がそこにいた。 「美亜子さん」 さすがの広奈も、驚きに言葉が出てこない。 「り、輪が…、息をしてないの…。心臓が、動いてない…」 かつて、広奈はこんな美亜子の声を聞いたことがなかった。 涙も、嗚咽も隠そうともしない。 「あ、あたしが…、来たときには、もう…」 そこまで言うと、美亜子はこらえきれずに声を上げて泣き出してしまった。 迷子になった幼い少女のように、人目もはばからず…。 この世の終わりを迎えたように、絶望に打ちひしがれた泣き声で…。 それもまた、広奈にとってはじめて見る美亜子の姿だった。
美亜子がこんな様子だから。 一番衝撃を受けた人が、先にいたから。だから、広奈は一瞬で冷静さを取り戻した。 驚きと悲しみに備えることが出来ていたから。だから、広奈は自分がすべき行動が真っ先に分かった。
魂が、完全に抜けているわけではない。 輪の魂は、現世にとどまろうとしている。 まだ、死んで、いない。 輪はまだ、生きることをあきらめていない!
「…ひろ、な?」 呆然と聞き返す美亜子の頬を、広奈は一発張った。
「しっかりなさい! すぐに処置を行います! 手伝いなさいっ!」 声を張り上げる。 広奈も、必死だ。 美亜子の返事も待たず、広奈はてきぱきと動き出した。 救急救命の知識を思い出す。 「まず、気道を確保」 輪の下あごを押し上げ、頭を後方に傾ける。 ちょうど、兜の重さがあるおかげで、ちょうどよい角度になった。 「それから…」 輪の鼻を人差し指と親指でしっかりつまみ、もう片方の手で輪の口元を押さえ、しっかりとその唇を重ね、息を吹き込んだ。 輪の胸が少し膨らむのを横目で確認する。 口を離し、頬を使って、輪の吐く息を確かめる。 「もう一度…」 再び呼気を送り込む。 輪の胸がかすかに膨らみ、また元に戻る。 「…人工呼吸を2回。そして循環のサインを確認」 輪に反応はない。 呼吸も戻らず、身体に何らかの動きが起きた様子もない。 「心臓マッサージが必要…」 そんな広奈の様子を、美亜子は呆然と見守るだけ…。 「…鎧を脱がせる時間はない。それと」 広奈は身を起こすと、輪の右胸に刺さったままの矢をなるべく垂直に引き抜いた。 心臓が止まっているので、それ以上、血が噴き出すことはない。 その傷口に手を当て、 『矢傷治癒・急急如律令』 傷を塞ぐ。 そして、輪の心臓の上辺りに両手を交差させて置くと、ぐいぐいと体重をかけ、圧迫を繰り返す。 「1,2,3,4,5…」 15まで数えると、再び輪の口に息を吹き込む。 それを2回。 さらに、心臓マッサージを15回。 輪に反応は、まだない。 次の人工呼吸を広奈が始めようとしたところで、美亜子が動いた。 「やるわ」 もう泣いていなかった。 瞳に、強い光が蘇っている。 ようやく、いつもの美亜子が戻ってきたらしい。 「はい。ゆっくり二回息を吹き込んでください」 「わかった」 今度は美亜子が輪の鼻を塞ぎ、その口から呼気を吹き込む。 (輪、お願い。起きて!)
美亜子の呼気が吹き込まれたとき、輪の身体からほとんど消えかけていたオーラが、また強くなったのだ。 『金生水』、五行相生の理。 なるほど、輪さんは水。ならばそれを蘇らせるのは美亜子さんの金の気ということですわね。 それなら… 「美亜子さん、急いで変身を。変身して金の気を強めて、人工呼吸を」 心臓マッサージをしつつ、そう指示を送る。 「分かったわ」 『天下無敵っ!』 美亜子の変身が完了。 その状態で広奈の指示に従い、さらに呼気を吹き込む。 願いをこめて。 そして、偽らざる想いをこめて。 冷たかった輪の体が熱を帯びる。 それにあわせ、広奈は輪の怪我の具合を確認し、陰陽道の治癒の術で傷を塞いでいく。 さらに心臓マッサージを続けつつ。 「美亜子さん、律令を変えるのは言葉の力です。息を吹き込んだら輪さんに呼びかけを」 「ん!」 美亜子は強く頷いた。 そして二人して思い思いに呼びかける。 「輪さん、大丈夫です。どうか目を開けてください」 「輪っ! 起きなさい!!」
「この馬鹿っ、早く生き返りなさい!!」
「輪っ!」
慌てて広奈が心臓マッサージをやめ、首筋に手を当てる。 「脈が…、心臓が、動いています」 「輪! そうよ、頑張って!! 戻ってきなさい!」 呼気を送り込む。 (あんたは生きて、生きて、生きなきゃ駄目なんだから) もう一度、呼気を送り込む。 (絶対に生き返るの。そしたら、今度はあたしが守る。絶対に死なせないわ) 重ねていた唇を離すと、美亜子は輪の耳元で思いっきり怒鳴った。 「輪っ! 聞こえてるんでしょ! 息をしなさいっ!!」
咳をした。 輪が、そして、今度は自分で息を吸い込んで…。
「はい!」 輪の呼吸が再び始まった。 心臓も動いている。 輪が、また息をしている。 「ははっ…、あははは…」 安心したのか、涙を流しながら、美亜子が笑っていた。 「よかった、本当に…」 広奈も、胸をなでおろした。
普通であれば、絶対に助かるはずのない状況から、輪は命を拾い上げた。 強い想いと、想いのこもった声が輪を現世に繋ぎとめたのだ。 だが、二人が安心したのもつかの間、輪の顔が苦悶にゆがむ。 「くっ、かはっ…」 呼吸がか細い。 それに、一旦輝き始めたオーラが再び消えかかっている。 「…これは」 なるほど、美亜子の金の気による人工呼吸をやめたせいだ。 今だって輪の体は心臓が動いているのが不思議なほどの状態には違いないのだ。 これ以上の出血がないように、外傷はすべて塞いだはず。 だが、鎧に付いた血の量などから判断するに、依然輪の体には血が足りていない。 出血多量の状態には変わりがないのだ。 「美亜子さん、輪さんの呼吸に合わせ、人工呼吸をそのまま続けてください。今の輪さんの状態ではそれをしないと命が繋ぎ止められません」 「分かったわ」 輪が息を吸い込むタイミングにあわせ、美亜子が呼気を吹き込んでやる。 この場合、輪の肺には美亜子の金の気が込められた空気が入り、『金生水』の理により、それがなんとか輪の生命を維持している状態なのだ。 だが、依然として危機的な状況にある輪を助けるには、このままでは不十分だ。 ここは乙姫の到着を待って、竜宮に輪を運び、あの不思議な温泉で治療を行うべきだろう。 しかし、今の輪に残された体力では、竜宮までの飛行に耐えられるだろうか? (このままではいけない。今の輪さんは、竜宮まで持たないかもしれない。どうすれば…) 広奈はすばやく自分の使える術を一通りシミュレーション。 まず、自分がつけていた被衣(かずき)を脱ぐと、その上に指で梵字をなぞる。 この梵字の力で被衣に“火”の属性を持たせる。 『オン・トン・バザラ・ユク』 三角印を結び、真言を唱え、それによって被衣を一定温度以上に保つように、コントロール。 『オン・アサンモウ・ギネ・ウンボツタ』 これで準備完了。輪の体温維持のため、それをかぶせる。 「えっ、なにこれ、これもあんたの術なの?」 その電気毛布のような温かさに美亜子も驚く。 「はい、輪さんの体温が低下しないよう、応急の処置ですが」 美亜子にはそう答えながら、広奈はてきぱきと被衣の位置を直し輪の体の大部分が覆われるようにしていく。 「…なんでもできるのね」 輪に“金”の呼気を吹き込んでから、つぶやくように美亜子が口にする。 倒れた輪を前にして、何もできず、泣くだけだった自分とは大違いだ。 広奈は…、やっぱりすごい。 自分とは、違う…。 悔しいけど、あたしとは、違う。 あたしより、ずっと凄い人だ。
唐突にそんなことを言われて、美亜子は思わず広奈の顔を見返した。 「わたくしたちのどちらか一方が欠けても、輪さんは助からなかったでしょう。ですから、運の強い方ですわ」 これは、広奈一流のフォローなのかしら? 美亜子が漠然とそう思っていると、さらに広奈の行動は飛躍していく。 「わたくしはこれから、術を使って輪さんの体力を回復させます。人工呼吸が必要なくなる程度になればよいのですが…。その後は美亜子さんにお任せします。乙姫さんが到着されたら、すぐに輪さんを竜宮へ。あの温泉に行ってください」 「ええ、わかったわ」 「それと、わたくしが倒れても、夕飯をいただいてゆっくり休めば回復いたしますので、あまり気になさらないでください」 「広奈?」 怪訝そうな、心配そうな美亜子の視線に対し、広奈は悠然と微笑むと、倒れた輪の胸の辺りに手を当てて、術を唱えた。 『体力賦与・急急如律令』 出血のため極端に消耗した輪に、自分の体力を移してやる。 一度唱えただけで、広奈の全身の力が抜ける。 冷や汗が、どっと出てくる。 だが、その分輪のオーラが強まった。 命の輝きが増す。 『体力賦与・急急如律令』 もう一度。 さらに力が抜け、広奈は思わずそのまま倒れそうになる。 「広奈っ、あんた大丈夫なの?」 その広奈の体を美亜子は両手でしっかり支える。 「…美亜子さん、輪さんは、ちゃんと自分で呼吸できていますか?」 広奈の声が小さい。 美亜子は広奈の体を支えたまま、輪の様子を観察する。 規則正しい呼吸音、胸が上下する様子。 …大丈夫だ。 輪は、自分で呼吸できている。 ちゃんと、生きている。 「ええ、大丈夫よ」 …こくり。 広奈は微笑み、小さく頷いた。 「美亜子さん、あとはお願いします。わたくしに出来るのはここまで。…すこし疲れました。すみません、休みます…」 「ありがとう。本当に、広奈…」 ゆっくりと目を閉じた広奈のその華奢な体を美亜子はぎゅっと抱きしめた。 この人がいなければ、輪は助からなかった。 絶対に、この恩は忘れない。 絶対に、広奈の優しさを忘れない。
広奈はあえて言わなかったことがあった。 心肺停止状態が長かった場合、たとえ蘇生しても、意識が戻る可能性は低い。 あるいは、輪の脳に重い障害が残ることも十分にありえた。 これまでどおりの輪が完全復活する保証はないのだ。 だから…。
もしも…。 もしも、再び目覚めることがなくても。 輪さんの見ている夢が、優しい夢であるように…。
片方には春樹、もう片方には淳二と乙姫が。 とりあえず、泣いている乙姫をなだめたり、なぐさめたり、励ましたりと、ここに至るまでには淳二と春樹の涙ぐましいまでの努力とやさしさが存分に発揮されたのだが、あえてそれは語るまい。 3人は美亜子の姿を発見すると、あわてて着陸し、駆け寄った。 そして、倒れている輪と広奈の姿に、3人して立ちすくんだ。 「えっ…」 「にょわ…」 「り、輪さんっ」 機先を制すように、美亜子の声。 「大丈夫、二人とも生きてるわ」 美亜子の声はいつもの調子で、さっきまで泣いていたとは思えない。 「でも、輪の怪我は重いわ。乙姫、急いで竜宮に。輪をあの温泉に」 「は、はいっ…」 「ハル、輪を運ぶわ。十二神将をつれてきて」 「わ、わかりました」 「淳二、広奈をお願い。輪を治療するため、術を使いすぎたの。休ませてあげて」 「う、うにゅ」 なにやらさっきまでの広奈の手際のよさが移ったかのように、美亜子はてきぱきと3人に指示を送り、輪の救急輸送体制を構築していく。 そんな美亜子の様子を、淳二は少しだけ複雑な表情で見つめていた。 あれほどまでに、真剣で、心配そうで、片時も輪から目を離さない美亜子を、淳二は見たことがなかった。 輪を見つめる美亜子の瞳に、これまでと明らかに違った色があるように、淳二には思えた。 無論、輪の状態が、尋常ではないことは、容易に想像できた。 乙姫に話を聞いた限りでは、輪は妖怪軍団を相手に、たった一人で戦っていたはずなのだ。 恐らく、美亜子ちゃんと広奈ちゃんが到着し、援護したおかげで敵は全滅したのだろう。 ただ、輪の怪我は広奈ちゃんが気絶するまで治癒の術をかけても、まだ治らないくらいの重傷だったのだ。 美亜子ちゃんが心配するのも、無理もない。 でもきっと、それだけじゃないはずだ。 自分の手の届かないところ、自分の力の及ばないところで、美亜子ちゃんの心の天秤が、どんどん輪に向かって傾いていくような…。
十二神将に慎重に輪を抱えさせ、自分ももう一体の十二神将に乗り、さらにもう一体には乙姫が。 「後は任せたわ」 ようやく、美亜子と目が合った。 「おう! 輪のこと頼むぜ」 あえて笑顔を作って、親指を立ててみせる。 それが、淳二。 淳二のやり方。ずっと不器用だけど、それが…。 「わかってるわ」 そして、三体の十二神将は上空に舞い上がり、琵琶湖方面に向け、ぐんぐん加速していった…。 「さ、真田君…」 夜空に消えていく美亜子の姿を見送っていた淳二だったが、何かにおびえるような春樹の声に、現実に引き戻された。 「うにゅ? なした?」 淳二が振り向くと、春樹は手に矢を持っていた。 その矢じりが、どす黒く…。 「…血?」 さらに、春樹はさっきまで輪が倒れていたあたりの地面を指差す。 「この矢、そこに落ちてた…。それに、これって、直江君の血、だよね…」 地面には、血だまりが出来ていた。 「…直江君、本当に大丈夫なのかな」 春樹の心配も、もっともだった。 だが、淳二はあっさりと断言した。 「あのロリロリ大王がそう簡単にくたばるわけないっしょ」 (それに、美亜子ちゃんがついているんだから…) と、淳二は心の中で付け加えた。 絶対に輪を助けるんだ、という決意に満ちていた美亜子の顔を、淳二ははっきり見たのだから。 「う、うん…」 「それよりも、オレたちは、広奈ちゃんを……」 と、そこで淳二は、とっても重大な事実に気付いた。 「なぁ、ハル。オレたちさ、どうやって帰るんだ?」 「あっ…」 移動手段(十二神将)はすべて美亜子にとられてしまった。 真っ暗闇の羅城門前。 すやすや寝息を立てている広奈と、その前に立ち尽くす淳二と春樹。 「どうやって帰るか、というか、僕たち何しに来たんだろう…」
あえてあっけらかんと言い放ち、淳二は広奈様の元へ。 まあ、なんというか、切り替えが早いのも淳二の淳二たるゆえんである。 「そ、そうだね…」 「オレたちは広奈姫を守って一条屋敷までお連れするナイトってわけだ。夜のナイト、とはこれいかに…」 「ベタベタだね…」 「とりあえず、広奈ちゃんは、代わりばんこにおぶって行くって事で。疲れたら交代な」 そう言いながらも淳二は結構うれしそうだったりする。 スリーピングビューティをおんぶして夜の道を歩く、なんてのは、またそれなりの萌えポイントだ。 寝息を立てる姫。その吐息が首筋に当たる。 ついでに、柔らかなお胸の感触が背中に当たる。 (たまらん) どんな状況であれ、そこに自分が楽しめるところを見出す。 そのお気楽極楽なところが、淳二の長所なのだから。 「えっと…、そっか、そうだよね…」 広奈姫をおんぶ。 春樹の中で、沸々と緊張感が高まった。 ドキドキである。ワクワクである。甘酸っぱいのである。青春の情動である。 なんといっても、広奈様と体が密着なのである。 だから春樹は、こう言っちゃ何だが、もう輪の怪我のことなんかどうでもよくて、頭の中は広奈様100%だ。 すやすや寝息を立てている広奈様の前で、春樹は、もう面白いくらいに舞い上がっていた。 がんばれワカゾー。 「じゃ。とりあえず、ハルから、どうぞ」 いつもであれば、真っ先に先鋒を勤めるであろう淳二だったが、さすがに今の心理状況ではそんな気にもなれないし、何より春樹の反応を見ているほうが面白い。 「うぇっ? は、はい…」 思わず変な声で返事をしてしまうくらい、春樹は緊張。 「なぁ、ぶっちゃけ聞いていいか? お前さん、広奈ちゃんに触ったことある?」 ぴくっ。 今、まさに今、広奈様を抱き起こそうと恐る恐る手を伸ばしていた春樹。淳二の質問に、面白いくらい固まった。 「そ、それは……」 「ないの? もしかして初タッチ? 初めてのお肌のふれあい?」 いや、無いことはない。 春樹だって広奈様と触れ合ったことはある。 「えっと、五稜郭のときと、あと、将門を狙撃する前に…」 広奈様のほうから、春樹の手を握ってくれた。 あの不安が消えていく感じ。 そして、広奈様の手のやわらかさ、暖かさ。 たった二回の経験だったけど、その後にものすごく酷い目にあったような気がするけど、でも、春樹にとっては大切な思い出だ。 「ふ〜ん」 「そういう真田君は?」 やぶ蛇な質問だったが、ついつい淳二にそう聞いてしまう春樹。 「そりゃ、アレだ。自慢じゃないが、大ムカデ退治で、オレが怪我をしたとき、広奈ちゃんにしばらく肩を貸してもらったことがあるぞ。アレは…、役得だったなぁ…」 要するにどっちもどっちだった。 ちなみに、この場にいない愛野郎は、上半身裸で広奈様に覆いかぶさったことがあったりするが、それは彼にとっての黒歴史なので、忘れてあげよう。 「えっと、それじゃ、失礼します…」 馬鹿丁寧に、寝ている広奈様に頭を下げ、おずおずと春樹は腕をさし伸ばした。 今、彼は初めて、自分から広奈様に…
そう、鈍く輝くプラチナボディの…。 『ヲルス体当たり!!』(若干手加減) どかっ! 「はぅぅぅっ?」 ごろごろごろ…。 たっぷり重力加速度が乗っているヲルスバンの上空からの体当たりに、たまらず春樹は三回転ほど地面を転がった。 「…ヲルスバン?」 傍らでその様子を見ていた淳二が、呆然とつぶやく。 そういえば、こんなのいたっけ…。 いたんです。 広奈様の命令を忠実に守って、上空からずっと周囲を警戒していた式神が。 「おのれ不埒なやつめ。長官に何をする!」 びしぃっ、と春樹に指を突きつけ、ヲルス詰問。 「あ、す、すみません。でも、僕は…」 しかし、春樹がそれ以上言う前に、ヲルス遮り。 「長官の安全は、俺が守る!」 そして、広奈様を抱え、ヲルスお姫様抱っこ。 ヲルスウィング展開。ヲルスジェット噴射。 「さらばだ。うはははははははははははははははははははははははははははははは…」 ぼひゅーーーーー。 広奈を抱えたヲルスバンは、たちまち上空へと飛び去り、見えなくなった。 「そ、そんな……。武田さん…」 伊達春樹、完全敗北。 ダスティ・ホフマンに花嫁をさらわれたように、がっくりと立ち尽くす。 取り残されたのは、淳二と春樹の二人っきり。 淳二が、ぼそっとつぶやく。 「男二人でこの状況かよ。やだなあ…」
輪でも淳二でも春樹でも、もちろん晴明さまでもない声に、摩訶那は一瞬首を傾げたが、とてとてと玄関まで小走りで急いだ。 「はにゃ〜」 そして絶句。 そこにいたのは広奈様を丁重にお姫様抱っこするヲルスバン。 「長官殿は大変お疲れです。さらには大変お腹がすいていらっしゃいます」 鈍く輝くメタルボディの変な式神にそう言われ、でも、摩訶那は平然と了承した。 「ふにゅ、わかりましたですぅ、すぐにお布団と夕食の用意をしますね〜」
輪を治療するため、その体力を回復させるため、広奈様は極限まで自身の霊力を消耗していた。 常人なら、三日三晩の昏睡状態になりかねない状況で、しかし、夕食を前に広奈様はプチ復活。 ゆっくりとその目が開く。 焦点が、微妙にあっていない。 その目は、ぼんやりと、お膳とそこに載ったおいしそうな夕食しか捉えていない。 ゆっくりと手が箸に伸びる。 そして…。
摩訶那がこれまで見たことがないほどの、それはそれは素晴らしいまでのスピードで。 あっという間にお膳に載ったすべての料理はきれいになくなっていた。 「御代わりをいただけますか?」 そう言う広奈様のお声も、ちょっととろんとしている。 たぶん食事を取るために必要な部分以外、彼女の脳は半分以上寝ているのだろう。 「お待ちくださいですぅ」 摩訶那は大急ぎでお膳を下げる。 とてとてと台所に急ぎ、おかわりをたっぷり盛り付ける。 「はにゅ〜」 そして、再び広奈様の元へ。 ちなみに、その間、広奈様は目を閉じ、座ったままですやすやとお休みモード。 でも、それがお行儀悪く感じないのは、広奈様の真骨頂。 「お待たせしました〜。どうぞですぅ」 おかわりが届くと再び広奈様のスイッチが入る。 「どうもありがとうございます」 そして食事を再開。 省電力モードで、エネルギーだけたっぷり補給。 まさにそんな感じの広奈様は、ただただ食べることにのみ専念。 結局、摩訶那は広奈様と台所の間を10回以上往復。 「御代わりをいただけますか?」 「お待ちくださいですぅ」 のやり取りは、無限ループを思わせる勢いで、続いていた…。
「ただいま帰りました…」 たっぷり2時間かけて、それでも淳二と春樹は幾多の苦難を乗り越え、夜道を歩きとおして一条屋敷に帰り着いた。 なにせ春樹がいる以上、二人は幾度も大変な目にあったのだが、それはあえて語るまい。 それにしても、夕食の前にあわてて屋敷を出たので、二人の空腹はもはやピークである。 そんな疲れ果てた二人が屋敷の門をくぐると、真っ先に出迎えたのは摩訶那ではなかった。 「しゃー」 (ご主人さま、ボクを置いていくなんて、ひどいの〜) 白き夜刀神、小十郎だった。 犬ではない。犬ではないのだが、千切れんばかりに尻尾を振る勢いで、春樹のもとに駆け寄る…、もとい這い寄る。 「こ、小十郎。ごめんね、急いでたものだから…」 あわてて春樹はフォローに入り、しゃがみこんで小十郎に手を差し伸べる。 (うん、分かってます。でも、ボクずっと待ってたんだから…) じっと春樹の目を見て、そうテレパスを送り、一拍おいてから小十郎は、春樹の手にするすると巻きついた。 蛇なのだが、あくまで相手は蛇なのだが、春樹はなぜか、美少女が自分に抱きついてくれたような、そんな照れくささと甘酸っぱさを感じ、顔を赤くする。 「ええと、みんなは?」 (広奈さんはもうお休みです。今いるのは摩訶那さんだけ。ほかの人はまだ帰ってないよ) 「そうなんだ…」 (じゃあ、まだ竜宮にいるのかな…) 怪我をした直江君と、本多さんと乙姫さん。 …なんか、微妙な取り合わせ。
「なぁ、ハル」 淳二に声をかけられたため、春樹の妙な思考は中断。 「はい?」 「摩訶那ちゃんが出てこないな。いつもなら『はにゅ〜、お帰りなさいですぅ、遅くまでお疲れ様でした〜』とか言って、出迎えてくれそうなもんだが」 「なんか、今の凄く似てた…」 「そうですかぁ〜? どうもですぅ〜」 調子に乗る淳二だったが、確かに摩訶那が出てこないのはおかしい。 「勝手に上がって大丈夫かな?」 春樹が心配そうにそう言った声にかぶって、とてとてと一条屋敷の中から足音。 そして、割烹着姿のはにゅほにゅ系少女が、灯りを持ってひょっこりと現れた。 「はにゅ〜、お帰りなさいですぅ、遅くまでお疲れ様でした〜」 礼儀正しく膝を折って、摩訶那お出迎えのご挨拶。 一流旅館の女将さんを思わせるその動作だが、返ってきたのは二人の爆笑だった。 「す、すごいよ真田君。そ、そのまんま…」 「いや〜、摩訶那ちゃん、君は最高だ。疲れも吹っ飛ぶ。心から和むよ〜」 実際、長距離を歩きとおしの二人だったが、今の摩訶那のお出迎えで、心底リラックス。 「ほにゅ? ウチ、なにかおかしいことしたですか〜?」 「ううん、わざわざお出迎えしてもらって、うれしかっただけだよ」 春樹、さすがの気配りである。 「それより摩訶那ちゃん。晩御飯! もう、オレ猛烈に腹減り。このままでは飢え死に〜」
いや、表情だけではない。 はにゅほにゅ系が、カチコチギシギシ系の動きに。 そして、摩訶那はうつむき、とっても申し訳なさそうに、小声で告げた。 「ふにゅ、それがですねぇ、広奈さんが先ほど全部…」
「うにゅぅぅぅぅぅ…」 遅れて、二人の嘆きの声が見事に重なり、屋敷の庭に響き渡った。
苦しい心情の吐露。決定的な一言。 そして、ついに迎えた魔王との最終決戦の朝。 昏々と眠り続ける輪を前に、美亜子は? 淳二の下した決断とは?
『二人を分かつもの』 お楽しみにっ!
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