〜大長編オリジナル日本史ファンタジー大河ドラマ小説〜

陰陽五行戦記

第一章 ◇平安編◇

第二十四話「湯煙温泉紀行V〜伊達男危機一髪〜」



◇940年旧暦2月13日夜10時半 常陸の国、石井の営所付近◇


石井の営所を完全に制圧し、兵を休ませていた平貞盛と藤原秀郷はこの時刻、不思議な客人の訪問を受けていた。

「将門を倒す方法を教えてしんぜよう」

名前も名乗らずそう切り出したのは信じられないほどに美しい女性だった。

「将門の弱点は額のこめかみじゃ。それ以外には、将門の身体に傷をつけることは適わぬ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」

「御意」

「あいよ」

どこか夢うつつの状態で貞盛と秀郷はうなずく。

それに満足したのか、その女性は話題を変えた。

「それにしてもそなたの鎧は興味深いものじゃの。鎧そのものが“力”を持っておる。将門を討ち取った暁にはそれをわらわに譲ってくれぬか?」

そう言う女性の顔は最高のサンプルを前にした科学者のそれに酷似していた。

「承知仕った」

まるで抗する様子もなく、秀郷がうなずく。

この一言が、めぐりめぐって輪たちの運命を大きく変えるきっかけになるのであるが、もちろんそのことを誰ひとり知るはずもない。

「ところで女御、何故我々にそのようなことを知らせてくださったのか?」

秀郷が重厚に聞くとその女性はあっけらかんと言い放った。

「なに、帰郷の前のささやかな置き土産というものじゃ。そなたたちがうまくやれば、息子の負担を一つ減らせるからのう」

東国まで出向き、将門の弱点を探っていた母の満足げな顔がそこにあった。


狐につままれたような、このときの状況をのちに二人は不思議がるが、ともかく“将門の弱点はこめかみ”であることは脳裏にしっかり刻み込まれることになった。

ちなみにこの二人、女性の名前を勘違いして覚えてしまうことになる。

すなわち“桔梗前”と。



◇同時刻 竜宮◇


あの騒動から多少時間が経過した。

結局輪が温泉に浸かって傷を治している間に広奈も目覚めていた。

広奈の証言によれば、自分の限界の見極めに失敗し、消耗した状態で大掛かりな術をかけてしまったのであんなことになってしまったらしい。

もともと広奈が陰陽道を使いこなせるようになったのは今朝だし、それから何度も術をかけとおしだったので、精神的な疲労が相当たまっていたというわけである。

コンピュータ的な概念で言えばメモリ容量がほとんど残っていないのに大規模なプログラムを動かそうとしたようなものである。

そして肝心のプログラムはあっさり暴走、その挙句にマシンが強制終了してしまった、という感じらしい。

ともかく、その一連の広奈の説明と輪の証言により、無事誤解は解けた。

そして現在は遅い夕食を終え、一行は食後のお茶など飲みつつ今後の作戦を練っていた…。

たっぷりと(常人の8倍程度の)夕食を食べて、すっかり疲労も回復した広奈がまずは晴明との作戦会議の内容を簡潔に説明する。

「まずはっきりさせておきたいことがあります。それは通常の物理的な攻撃では“魔人”である将門に傷一つつけられないという事です。つまり、今のわたくしたちがいくら頑張ったところで、絶対に将門には勝てません」

きっぱりとそう言われて一同絶句。

(そう言われればそうかもなぁ)と納得したのは美亜子を除く全員。

しかし、美亜子は釈然としない面持ちである。

つい先ほどリベンジを誓ったというのに、それが無理だと断言されたからである。

もちろん美亜子は将門が乙姫のあの攻撃を受けても無事だったことをその目で見ていないので、にわかには信じがたいのも無理は無い。

「え、でも、なんか方法はあるんでしょ?」

美亜子が少々の落胆の色を浮かべつつそう聞いてきた。

待ってましたとばかり、広奈はやわらかく微笑するとさらに説明を続けた。

「通常の物理攻撃、つまり普通の武器で攻撃しても傷をつけられないのであれば、何らかの特殊な武器で攻撃すれば将門の防御を崩せるかもしれません。たとえば“神鏑”のような、魔を払う力を持った武器ならば、その可能性はあります」

「あ、そっか、確かにそうかも。神鏑はあのムカデを2発でやっつけちゃったもんな」

と言ったのはその神鏑に命を救われた淳二である。

しかし、あいにくその神鏑は使い切ってしまったので今はもうないのだった。

「なるほど、源満仲の持っていた退魔の太刀“膝丸”のようなものならば…」

そう呟いた輪は、実際にその“膝丸”で満仲にかけられた鬼女紅葉の術を破っている。

あの時は晴明の術で退魔の力を増幅させていたにせよ、魔を払う武器の力を輪は確かに実感したのであった。

そんな武器があれば将門を倒すことも可能かもしれない。

「あの…、でもそんな武器ってどこにあるの?」

多少気後れしつつ疑問を呈したのは春樹だった。

「それは……」

と言葉を濁した広奈が乙姫のほうを見た。

途端にこれまで会議を傍聴していた乙姫の顔がぱっと輝いた。

「あ、そっか。あるよ!!! うん、わたし持ってくるねっ!!」

とてとてと乙姫が部屋を飛び出した。

(もう、わたしったら淳二さんと約束してたのにすっかり忘れちゃってた…。ええと、淳二さんにはあれをあげて、美亜子さんは…あれがいいよね。そして輪さんには……)


数分後…。

「えっと、まずはこれとこれ。これが美亜子さんで、こっちが淳二さん」

美亜子に手渡されたのは白い手裏剣。

淳二には30センチほどの鉤爪がついた手甲だった。

「これは“龍牙手裏剣”。龍の牙を手裏剣にしたものなんだって。そして淳二さんのは“紅龍焔月爪”(こうりゅうえんげつそう)。それについてるのは正真正銘の龍の爪だよ」

乙姫から説明を受けた二人が、まじまじと自分の武器を手にとって見ている。

美亜子の“龍牙手裏剣”は見た感じ“白い陶磁器で作られた棒手裏剣”である。

しかし、龍の牙が材質なので鉄製のものと比べると軽く、それでいて硬度は数倍かもしれない。

大きさや重さも美亜子の手にしっくりと馴染む。

なにしろ手に持った感じは手裏剣と言うよりは使い慣れた得物、“スリッパ”に程近い。

一方の淳二の武器は手甲の上に装着するスタイルの鋭い鉤爪だった。

わずかに内側に湾曲した爪は30センチほどの長さがあり、それが3本並んでいる。

これも龍牙手裏剣のような軽く、硬い材質である。

なにより、この材質が普通の鉄と違う点があった。

「…どちらにも確かに魔を払う力がありそうですわ」

陰陽師武田広奈の鑑定結果である。

それを聞いた乙姫は、どう?すごいでしょ、といった感じににっこりと笑った。

しばらく手の中で手裏剣を弄んでいた美亜子だったが、どうやら気に入ったらしく口の端をにやっと吊り上げると乙姫に一言。

「暗器として使えそうね。気に入ったわ。ありがとう」

「どうしたしまして☆」

美亜子は小さくうなずくと、手裏剣を懐にしまい込んだ。

スリッパと同様、どこに収納したのかは永遠の謎である。

ともあれ、これで全身凶器の女美亜子にまた一つ強力な飛び道具が備わったわけである。

その一方で…。

「こりゃいいや。これだったら刀を持った奴とも互角に渡り合えそうだ」

いつの間にか変身していた淳二が実際に鎧に装着させて喜んでいる。

手甲“真田丸”と紅龍焔月爪の相性は至極良好らしい。

しばらくシャドウボクシングのように虚空に向かって突きを放ったりしていたが、手ごたえは上々。

そして満足した淳二が変身を解くと、手甲につけていた紅龍焔月爪は鎧と一緒に消えてしまっていた。

「あらま、完全に鎧に馴染んじゃったらしい…」

そう言ってびっくりしている淳二は、内心では早くこの新しい武器を振るってみたいなぁ、と少々物騒なことを考えていたりする。

「ありがとね、乙姫ちゃん」

「いえ、ムカデ退治のお礼ですから〜」

にこにこ。

そんな二人の様子を少々羨ましそうに見ている男が一人。

将門に刀を折られて現在武器のない輪である。

このまま武器がないままであれば、輪は“あの技”を主体に戦うしかない。

(まずい、このままではまずいぞ…。俺にも何かないのか、乙姫)

そしてそんな輪を見てこっそり安心している男が一人。

(よかった、何ももらえないのが僕だけじゃなくて…)

などと考えている春樹だった。

しかし…。

そんな淋しげな輪の様子を目ざとく見つけた乙姫が、満面の笑みを浮かべて近づいてきた。

そして、輪の顔を見上げて嬉しそうに告げた。

「あのね、輪さんにも、とっておきのいい物があるの。いま持ってくるから待っててね」

輪は少々戸惑いつつ、しかしこっそり心中でガッツポーズを取っていたりする。

「あ、ああ、すまない」

ぱたぱたと走り去る乙姫を見つつ、実は期待に胸を躍らせる直江輪君16歳、であった。

その様子を見ながら、じゃあ次は僕の番かな…、などと考えている伊達春樹君そろそろ17歳であった。


…数分後。

「はい、輪さん」

乙姫が差し出したのは柄から鞘まで黒一色の刀だった。

漆黒の鞘にはなにやら白く輝く梵字が書いてあり、それだけで不浄な者が触れてはいけないような厳格な雰囲気をかもし出している。

「ああ、ありがとう」

輪がその刀を受け取り、その鞘をつかんだ瞬間。

『ナウマク・サマンダボダナン・ベイシラマンダヤ・ソワカ』

「なっ?」

突如、輪の頭の中に声が響いたのである。

と同時に輪は自覚しないうちに変身を遂げてしまっていた。

まるでこの刀と共鳴するかのように輪の兜の“愛”が輝いた。

それには輪だけでなくほかの4人もびっくり。

5人があっけにとられていると乙姫がうれしそうに説明をはじめた。

「これは、神刀『毘沙門天』っていうの。高潔な精神の持ち主でないと使いこなせないんだって。でも輪さんは認められたみたいだね」

乙姫はそう言ってにこにこ。

「高潔ねぇ…、高潔なロリコンてやだなぁ」

よく分からないことを淳二が言うと、つられて春樹も連想。

(高潔な“ふたまた”ってやだなぁ)

男性陣からそんなことを思われているとはつゆ知らず、輪はしみじみと呟いた。

「そうか『毘沙門天』とは。これを奇縁というのか…」

輪が感慨を受けたのにはもちろんわけがある。

この兜のもともとの持ち主は戦国武将の直江兼続であるが、その兼続が仕えたのは上杉家である。

かの有名な戦国最強の軍神“上杉謙信”が深く帰依していたのがその毘沙門天であった。

そのため上杉軍は“毘”の一字を軍旗としていたのである。

もちろん直江兼続もその家風の中で育っていたので毘沙門天とは縁遠からじ、であった。

そしてなにより、毘沙門天は北方の守護神であり、五行の水は方位で言えば北。

つまり陰陽五行的にもこの刀を持つのは輪が一番ふさわしい、と言うわけである。

そんなことを輪が考えていると、乙姫が催促してきた。

「ね、ね、抜いてみて」

「ん? あ、ああ」

輪が我に返ると、乙姫だけではなくほかの4人も興味津々で輪のことを見ている。

「よし」

居合い抜きをするような格好に構えた輪がゆっくりと刀身を引き抜く。

するとまるで摩擦係数が0であるように刀はなんのストレスもなく鞘から抜けた。

抜刀すると、輪はその刀を皆にも良く見えるように掲げて見せた。

水に濡れたようにも見える刀身はきらきらと光沢を放っていて、とても美しい。

凛とした造形美を誇るように、刀身は緩やかなカーブを描いて鋭い切っ先に至る。

研ぎ澄まされた刃は空気をも切り裂きそうなほどに薄く、鋭い。

重さもちょうど良く手になじむ。

「へぇ、いい刀じゃない。かなりの業物ね」

値踏みをするようにまじまじと刀を見ていた美亜子がお墨付きをくれた。

「ああ、すごいな…」

輪はそう言い、実際、皆同じように感嘆していたが、ひとり広奈のみは怪訝そうな顔でその刀を凝視していた。

そしてちょっと遠慮がちに、むしろ申し訳なさそうに広奈が口を開いた。

「あの、確かに良い刀ですが普通の刀です…。“退魔の力”を感じられません…」

「あ、あれ?」

にこにこ顔のまま乙姫が凍りついた。

「なんだと…」

輪もショックを受けた。

いかに名刀とはいえあくまでただの刀では将門を倒すことは絶対に無理である。

しかしこれだけの業物がただの刀だと言うのはにわかには信じがたい…。

では、何か原因があるのだろうか?

そして、一瞬遅れて『高潔な精神の持ち主でないと使いこなせない』との乙姫の言葉が一同の頭の中をリフレインした。

ということは…

(やっぱロリコンはだめなのかっ!?)

(やっぱりふたまたは良くないよ直江君…)

内心そんなことを考えつつ、淳二と春樹は仲良く絶句している。

広奈と美亜子も言葉がない…。

まさに絶体絶命。

このまま駄目男の烙印が押されてしまうのか?

クール、ストイック、そして“高潔”。

知的無敵輪くんのアイデンティティ崩壊の危機である。

そして輪にこの大ピンチをもたらした乙姫は、先ほどまでの嬉しげな様子が急転直下、今にも泣きそうな顔で申し訳なさそうに輪を見つめている…。


が、しかし、当の本人は周りのなんとも重苦しい空気をまったく無視してしばし考えると、あっさりと解答を見つけ出した。

「…多分こういうことだろう」

そう言って輪は再び刀を鞘に収め、先ほど頭の中に流れた“声”を思い出していた。

(俺ではない、この兜があの言葉に反応した。多分あれは、毘沙門天の真言…)

そしてこの鞘に書かれている白く輝く梵字がその真言であるはずだ。

(間違いない)

輪は成功を確信して、力を込めて叫んだ。

いや、輪が叫んだと言うよりは、毘の旗とともに戦場を疾駆したこの兜が叫ばせたといったほうが正しいかもしれない。

『ナウマク・サマンダボダナン・ベイシラマンダヤ・ソワカ』

輪の口から真言が唱えられた瞬間。

ぞわっ、と輪の左手が鞘から伝わった“力”を感じ取った。

「むっ」

抜刀は一瞬だった。

闇夜を貫く稲光のように鞘から光が飛び出してきた。

そう見えてしまうほどの、それほどの鋭い居合い抜きであった。

ゆっくりと掲げてみると、先ほどと違い、自ら光を放っている刀身はガラスのように透明だった。

透明な刀身が霧風のごとき白い光の粒子を放って輝いているのである。

その輝きのためか、まるで刀身が水の中にあるかのようにゆらゆらと揺らめいて見える。

武器というにはそれはあまりにも美しかった。

「ふぅ…」

と、輪の頬から力が抜け、微笑と表現するべき表情になった。

「おろ?」

「まぁ」

「わっ」

「よかったぁ」

そして、安堵の空気がその場を包み込んだ。

素人目にも、これがただの刀などではなく、とんでもない退魔の力を放っていることが分かったからである。

「…こりゃ見切るのが大変だわ」

刀身が見えにくくては、防御が難しい…。

真っ先に美亜子がそう言って肩をすくめて見せた。

そして広奈も、感嘆。

「とても強い力を感じます。これならば将門の“魔”を払えるかもしれません」

「ああ」

短く答えた輪の顔には、これならばやれるかもしれない、という自信が表れていた。

美亜子ほどではないにせよ、輪だって実は結構な負けず嫌いである。

あのまま将門にコテンパンに負けっぱなし、と言うのはやはり矜持が許さない。

「これがあれば…」

そこから先の言葉を輪は呑み込んだ。

というのも、輪が内心で考えていたことがつい口に出そうになったからである。

(これがあれば“俺が”将門を倒せるかもしれない。そうなったら、…かなりおいしいぞ)

みんなの前でいいところを見せたい、という功名心も多少は持ち合わせている輪であった。

野望に燃えつつ、輪は『毘沙門天』を再び鞘に収めると、折れたままだった刀を鞘ごと鎧から外した。

代わりに『毘沙門天』を装着すると、折れた刀はあっさりとかき消えてしまった。

要するに輪の力の源である『式神武戦具』たる“愛”の兜は、今まで使っていた刀に代わって『毘沙門天』を新しい武器として認めたらしい。

そんなわけで、輪が変身を解くと『毘沙門天』は鎧と一緒に消えてしまった。

念のためにと再び輪が変身すると、『毘沙門天』はしっかりと腰に装着されている。

淳二の紅龍焔月爪と同様、完全に『式神武戦具』に馴染んでしまったようだ。

「ありがとう、乙姫。これ以上無いくらいの良い刀だ」

すっかり気に入った輪が珍しく表情をほころばせて乙姫に感謝を伝えた。

「い、いいえ、喜んでもらえてわたしも嬉しいですぅ(はあと)」

一瞬の落胆から一転、完璧に舞い上がった乙姫。

幸せの絶頂にあって無邪気に喜んでいた乙姫だったがしかし、春樹の顔を見た瞬間、また凍りついた。

いや、別に春樹は何も言ってはいない。

しかし、その顔は百万の言葉よりも雄弁に語っていた。

「僕には何もないの?」、と。

冷や汗など垂らしつつ、じわじわと後ずさりする乙姫。

そして春樹に背を向けると焦燥を押し殺しつつ死に物狂いで記憶力を総動員。

しかし、春樹が使えそうなものは何も残ってはいなかった。

当たり前である。

春樹のメインウェポンはこの時代には存在すらしていない火縄銃である。

いくら竜宮とはいえ、破魔の力を持った銃などあるはずもない。

乙姫は必死に考えるが無駄な足掻きであった。

この竜宮にある道具は持ち主を選ぶのである。

(ど、どうしよう…。春樹さんにも何かあげなくちゃ。でも、太刀も槍も弓もなにもない…。どうしよう、どうしよう……)

結果、錯乱した乙姫は、春樹に向かって一言。

「あ、あの、春樹さん。お茶のおかわりはいかがですか?」



◇一方その頃 常陸の国、石井の営所付近◇


夢でも見てたんじゃないだろうか、と思うような不思議な客人はすでに帰り、二人は現在作戦会議中。

この段階ではすっかり元に戻った貞盛が話を進めていた。

「で、どうだおっさん? あの馬鹿は?」

「…斥候の報告では北山にて陣を張った。今宵はそこに宿営しているようだな」

「よしよし、あのアホもつくづく馬鹿正直だぜ。だから都で出世できなかったんだ。…ま、そういうところは俺は嫌いじゃなかったが」

「何か言ったか?」

「あ、いや、…なんでもねぇ」


貞盛の策というのは実はこうである。

まず石井の営所にいた将門の妻子、女子供などを解放する。

その後、戦場に放っていた多数の斥候により将門の居場所を見つけ次第、彼女らを誘導して将門に逢わせてやる。

すると将門はそのお人よしの性格からいって彼女らを保護せざるを得ない。

つまり、復讐の怒りに燃えてたった一人で石井を奪還に来るという、貞盛が一番恐れている事態を回避でき、なおかつ将門の行動の自由を奪うことが出来る。

さらに将門は、妻の口から『明朝、北山の麓で“正々堂々”決戦を行いたい』との伝言が聞かされる。

となれば将門の性格からいって、馬鹿正直に北山に陣を張るだろうとの予測が容易に出来る。

逆に言えば女子供の安全を確保しつつ、明朝の決戦に備えるには、将門は北山に陣を張る以外の選択肢は事実上無いのである。

こうして、“将門が自分の意思で決めているようだが、実は貞盛の掌の上で踊らされている”という状況が出来上がるわけである。

そしてここまでは実は貞盛の策の第一段階でしかない…。



◇夜10時50分 竜宮◇


そんなこんなで美亜子と淳二、そして輪が将門に傷を負わせる“可能性がある”武器を手に入れた。

それによって将門を倒せるかどうかはまだわからないが、あとは実戦で実践あるのみという駄洒落のような状況である。

そして広奈はさらにその次の手を考えていた。

先ほど晴明に伝授されたとっておきの、しかし非常に実現困難な方法である。

それを広奈が言い出したのは、一つには、お茶をすすりつつあまりに淋しそうにしている春樹を見るに見かねたからであった。

その方法ならば春樹にもちゃんと出番がある。

「あの、皆さんちょっと聞いてください。もし仮にそれでも将門を倒せない場合の最後の手段について話します」

そう言われればさすがに全員の注意が広奈に向いた。

広奈はおもむろに袖の中から5枚の護符を取り出した。

護符にはなにやら複雑な文字や模様が書いてあるが、中央にそれぞれ『土克水』『水克火』『火克金』『金克木』『木克土』と書いてあるのが見て取れた。

「この護符をわたくしたちが一枚ずつ持ち、将門の中の“魔”を封じる結界を作成するというのが最後の手段です。具体的には“木は土に克(か)ち、土は水に克ち、水は火に克ち、火は金に克ち、金は木に克つ”という五行相克の流れを利用します。イメージとしてはこうなります」

そう言うと広奈はおもむろに集中。

『幻影作成・急急如律令』

すると、食卓の上になにやらアニメーションが現れた。

それを見せながら広奈が説明する。

「わたくしがまず『土克水』の護符を輪さんに向けます。次に輪さんは『水克火』の護符を淳二さんに向け、淳二さんは『火克金』を美亜子さんに、美亜子さんは『金克木』を春樹さんに、そして春樹さんが『木克土』をわたくしに向けると、このようになります」



「あ、わかった。この星の真ん中に将門がいれば良いんでしょ?」

美亜子が目を輝かせて答えた。

「その通りです。そうすればこの結界の中のものは五行相克の理によって“物理的な攻撃によらずして”ダメージを受けることになります。簡単に言えば生命力が枯渇してしまいます」

「なるほどね〜。ちょうどオレたちが広奈ちゃんを助けたときの逆バージョンかぁ」

淳二が納得顔でそう言った。

5人がパワーアップするきっかけとなった五行相生の力を考えれば、それを逆に使ったときのダメージも想像が容易だった。

「晴明さまが教えてくださった将門を倒す唯一の方法がこれです。しかし、もうお分かりと思いますが、大きな問題があります」

広奈がそう言って声を落とした。

「ああ、問題は将門がこの攻撃を黙って受けるはずがないということだな」

輪がそう言うと、全員が顔を曇らせた。

この方法が成功するにはこちらが技の準備をしている間“将門が一歩も動かずにこの結界の中にいる”のが前提条件である。

で、そんな条件を果たして満たすことが出来るのか?

答えは限りなく0%に近かった…。



◇夜11時 竜宮◇


かくして彼らは深夜まで秘密特訓をすることになった。

秘密特訓というだけに本来は秘密なのだが、今回はその模様を少しだけお伝えしよう。


結界展開! 急!!

そう叫んだ広奈が『土克水』の護符(練習用)を輪に向けて掲げる。

すると広奈の気合に応えるようにひらひらの護符がぴんと張り詰めた。

急!!

輪は『水克火』の護符(練習用)を淳二に向けた。

その護符(練習用)もまたぴんと張り詰めている。

如!!

淳二も合格。

律!!

美亜子も文句なし。

り、令……

へなへなへな…。

「あ、あれ…」

しかし、春樹の護符(練習用)は持った先からへなへなと萎れている。

「気合が足りないわよ、ハル。そんなんじゃ将門に殺されても文句は言えないわ」

厳しい美亜子の叱咤激励。

「ご、ごめんなさい」

何度やってみても春樹は護符に力を送り込めないでいる…。

駄目なのである、春樹にとって将門に殺されかけた恐怖がある限りもう絶対に将門には立ち向かえない。

春樹がこの恐怖心を乗り越えない限り、この『五行相克封魔結界』が完成することはありえない。

どうやってこの技を将門に命中させるか、という命題以前に、春樹を何とかしなくては技自体が発動しないという、これまた大ピンチである。



◇夜11時15分 竜宮◇


「よし、こうしよう。春樹、温泉に入って少し休め。あれは結構気が晴れるから、むしろその方が良いかもしれない」

との輪の提言により、いったん練習は中断。

春樹は一人(いや、小十郎を連れて)とぼとぼと温泉に向かった。

さて、竜宮温泉に到着した春樹はいきなり困っていた。

温泉に入るなら服を脱がなくてはならない。

「あ、あの小十郎、悪いけどあっち向いててくれる?」

「ちろちろ」

小十郎はちゃんと察したのかその純白の身体をくねらせてその場を離れていった。


ちゃぽーん。


「ふぅぅぅぅ」

すっかり独りきりになった春樹は存分に手足を伸ばして温泉に浸かっていた。

温かいお湯に全身を包まれつつも、春樹の心の中はまだ凍結されたままだった。

恐怖、焦燥感、望郷の念、そして数え切れない後悔…。

思えばつらい日々であった。

わけも分からぬまま『陰陽武道士』になり、気付けば平安時代。

何度も死にそうな目に遭うし、戦う相手は恐ろしい敵だらけ…。

しかも自分以外の4人がしっかり堂々と戦っているのに自分は足手まといになるばかり。

そう、実はこれまでは頑張って堪えていたものの春樹のストレスはもはや限界すれすれ、決壊直前であった。

こんな状態では将門との決戦など無理と言うものである。

温泉行きを勧めた輪は、それと気付かないで春樹を救ったようなものだったのだ。

「僕…、何してるんだろう。こんなところで、こんな、こんなひどい目に遭って…」

わずかに白くにごった温泉の水面に映る自分の顔を見ながら、春樹が呟く。

いつものように学校に行って、いつものように授業を受けて…。

そんな平凡な日常を送っていた自分を、退屈で、だが懐かしい日々を想像した時、これまで耐えていた感情が堰を切ったようにあふれ出した。

「戦いたくない…。早く、帰りたい…」

春樹だって男の子だ。人前で弱音なんて吐きたくないし、泣くところだって見せたくない。

だけど、今は、二度と戻れない日々との決別をするため、涙という薬が必要だった。

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

初めて、春樹は思い切り泣くことが出来た。

5人の中で一番脆く、傷つきやすいその心を隠すことなく、春樹は泣き続けた。

しゃくりあげ、嗚咽し、顔を覆って泣いていた春樹は周りの状況に気を配る余裕はない。

そのため、静かに近づいてくる人影に気付かないでいた。

その人影はゆっくりと温泉の中を進み、やがて春樹の後ろに立つと優しくその手を春樹の肩においた。

「…!」

突然のことに春樹は固まった。

そして振り返ろうとした春樹は涙と鼻水でぐしょぐしょの自分の顔に思い至り、やっぱり硬直してしまった。

「だれ?」と聞こうとするが、さっきまで嗚咽していた春樹はうまく声が出せない。

と、その人影は静かに屈むと春樹の首筋に顔を寄せてきた。

暖かな吐息がかかり、髪の毛が春樹のうなじをくすぐる。

「!!!」

春樹は羞恥心と後ろを振り向けない葛藤にひたすら困惑しつつも、思った。

(も、もしかして、武田さん?)

その瞬間、春樹は沸騰した。

(そ、そそそそそ、そんなっ、僕たちまだ高校生だし、よ、よくないよぉ)

ところが、彼の耳元でささやかれた声は、聞いたことがない女の子の声だった。

「…泣いたら、だめ」

春樹は再び固まった。

広奈じゃない、美亜子でもないし乙姫でもない。

「強くなって。誰より強く。今はまだ無理でも、いつかボクの…」

(まさか!?)

その言葉を最後まで聞かないうちに春樹が慌てて振り返ると、その人影は怯えたように春樹から離れた。

純白。

春樹の視界に飛び込んだのはその色だった。

年の頃は15ほどだろうか、そこにいたのはまだ幼さの残る少女。

どこかアイヌ民族を思わせるような結い方をした髪はきらきらと白く輝き、その肌は透けて見えそうなほどに白い。

何より春樹の視線を釘付けにしたのは、およそ人知を超えたほどのその少女の美貌だった。

エメラルドグリーンの瞳は幾千の星屑を集めたかのように輝き、処女雪のような肌と硝子細工を思わせる髪がその美貌と相まって、神がかり的なまでの美しさを醸し出している。

それは人が我が物に出来る類の美ではない。

広奈よりも綺麗な人を、春樹は初めて見た。



魅入られたように少女の顔を凝視していた春樹だったが、その視線を下に向けた瞬間、目が点になった。

少女が一糸纏わぬ姿だったからである。

「…あ、ぅ」

絶句し、驚きに固まってしまった春樹のことを心配したのか、少女がさらに接近して来た。

が、あまりにも美しいものを目の前にしたとき、人は畏敬とともに己の矮小さを恥じ、居た堪れなくなってしまうものである。

まるで神に贖罪を乞う哀れな罪人のように…。

で、春樹もその例外ではない。

もはや事態は春樹の精神のキャパシティを超えてしまった。

「びっくりさせちゃった? ボク、小…」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」(←聞いていない)

で、逃げた。

そりゃもう脱兎のように逃げた。

慌てて目を逸らすとくるりと後ろを向き、ジャブジャブお湯を掻き分けつつその場を離れようとする。

「待って、逃げないで」

しかし、少女のほうが速かった。

ほとんど水の抵抗を受けていないかのようにするすると近づき、春樹の背中にしがみついた。

…というか、えらい勢いでタックルした。

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、がぼっ」

ぶくぶくぶく…。

後ろから少女にタックルをかまされた春樹はそのまま温泉に沈んだ。

まぁ、なんというか溺死の危機である。

じたばたじたばた。

すっかりパニックに拍車がかかった春樹はひたすらもがき、酸素を求めて手近な何かにしがみつくと、水面から顔を出した。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、…ふぅぅ」

ぐいと目をぬぐった春樹はようやく視界が回復し、そしてその目に飛び込んだのは純白の肌。

「ご主人さま…」

春樹の頭上から心底嬉しそうな、甘えを含んだ声が聴こえてきた。

今更ながらだが、春樹がしがみついていたのはその少女の身体だったわけである。

「あ、あ、あぅ…」


この後春樹の身にいったい何が起きたのか、それは誰にも分からない…。



◇同時刻 常陸の国、石井の営所付近◇


闇の中4000の軍勢が息を殺して移動を開始していた。

それは貞盛の綿密な指揮により蟻のはい出る隙間も無く、北山を十重二十重に包囲しつつあった。

「悪く思うなよ将門。子の刻を過ぎたら一応“明朝”だからな…。正々堂々決戦しようぜ」

そうつぶやく貞盛の傍らに、藤原秀郷が近づいてきた。

「どうだ?」

秀郷の問いかけは短い。

「…いいぜ。声をかければいつでも。乱戦に持ち込めば、あとはおっさんの腕次第だ」

「分かっている…」

小声でうなずいた秀郷の箙の中、うっすらと輝く鏑矢が一本だけ入っている。

それこそが、彼らの奥の手、将門を倒す切り札であった。


こうして2月13日が終わり、運命の2月14日になる。


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