陰陽五行戦記
第一章 ◇平安編◇
|
それから先は事態はめまぐるしく展開する。 乙姫に乗ったままの5人が最初に向かったのは、怪我を治す効能を持つ不思議な温泉。 そこで、重傷を負ったままの美亜子と輪が下車(?) 続いて竜宮の屋敷前にて淳二と春樹と小十郎が降りた。 そして広奈と乙姫は、そのまま安倍晴明の屋敷に向かうべく、滞在わずか3分で竜宮を後にしていた。
「急いでくれよ」 輪がそう言った相手は広奈と乙姫。 二人はこれから安倍晴明の屋敷に行き、美亜子の怪我を治してもらうよう晴明に頼む予定である。 「はいっ、輪さん」 乙姫は真剣そのものの声で答え、広奈も輪の目をしっかり見つめうなずいた。 それを確認すると、輪は乙姫が飛び立つのも見ず、美亜子を抱いたまま温泉へと入っていった。 温泉は直径30mほどのほぼ円形のもので、天井はほのかに輝く鍾乳洞である。 奇跡的なほどに神秘的。そして確かにこんな場所にある温泉ならば、どんな怪我も治してしまいそうだ。 そんなことを考えつつ、輪は温泉の中央部までざぶざぶと歩いてきた。 「確か温泉の真ん中からお湯、っていうか源泉ていうの? それが湧いてるんだよ、そこにいたときに一番傷の痛みが消えてった気がする…」 とは、かつてこの温泉で全身打撲を治療した淳二の弁だった。 中央部でも深さは輪の腰までない。 ちょうど座って胡坐でもかけば、首まで温泉に浸かれてちょうどいいくらいである。 輪は一瞬美亜子をどうやって温泉に浸かれるようにするか考えたが、答えは簡単だった。 この“お姫様抱っこ”の体勢のまま輪が座ればいいだけだ。 そうして、輪はしばらく美亜子を抱いたまま一緒に温泉に浸かる、という、稀有な体験をすることになる。 そうしなければ意識のない美亜子が溺れる、というのがその理由である。 神秘的な温泉に男女が二人きり…、というとなにやら妖しい感じがしないでもないが、両者が鎧姿というのが、なんというか、まぁ、ぶち壊しであった。
竜宮に入って春樹を布団に寝かせたまではよかったが、やることがない。 小十郎はかいがいしく(?)春樹の枕元にとぐろを巻いている。 その脇には春樹が腰に吊るしていた九頭竜の剣が置いてある。 「…美亜子ちゃんの様子を見てくるから」 淳二はそう小十郎に言い残すと部屋を後にした。 「おっと、もう大丈夫だよな」 淳二は変身を解いた。 ひらひらの平安時代服を引きずりつつ温泉に向かう。 屋敷からそう遠くない場所に温泉はある。 そして淳二は異様な光景を目撃することになる。 湯気の立ち上る温泉の真ん中に“愛”が浮かんでいる。 「……愛だ」 淳二が絶句。 よく見ればそれは輪の兜だったし、その傍らでは美亜子の鹿角の大兜もゆらゆらとお湯に浸かっている。 「…どうした?」 輪のほうから先に声をかけてきた。 「美亜子ちゃんは?」 「どうやら大丈夫そうだ」 「そっか…、それはよかった」 (ほんと、よかった) 心の中でもう一度つぶやく。 安堵感が淳二の中で広がっていった。 で、淳二は一つ気になったことを聞いてみた。 半ばやっかみ半分の疑問。 「なんで、美亜子ちゃんを抱えたままなわけ?」 「…鎧を着ているんだから俺が手を離せば沈んでしまうだろう」 「うにゅぅ、確かに」 そしてもう一つ質問。 「じゃあ、おまえさんは何ゆえその格好のまま温泉に浸かっているんだ?」 少々不機嫌そうな輪の返答。 「では、俺に裸で美亜子を抱えていろと? 美亜子が起きたときに俺は死にたくないぞ」 「あ、なるほど…」 「しかし、この温泉、完治するまでどれくらいかかるんだ?」 「オレのときは2時間」 「ぬぅ」 ということは、美亜子の傷の深さを考えれば2時間以上かかることは必至である。 輪の目が淳二を(代わってくれないか)という視線で射抜く。 淳二は一瞬で考えた。 美亜子ちゃんとの甘い(?)ひと時をすごす代償。
1:服が濡れる。 「…がんばれよ輪」 淳二は逃げた。 「あ、淳二っ、くそっ」 美亜子を抱いたままなので輪は動けない。 「…こうなったら早く美亜子が目を覚ますことを祈るのみだな」 輪はやれやれとため息を漏らした。 もちろん美亜子の意識が戻れば輪が抱えている必要もなくなるのだが、そこにいたるまで、彼にとって思いもかけない苦行が待ち受けているのだった…。
相変わらず春樹は気絶したままだったし、とりあえず話し相手は小十郎しかいない。 「暇だ…」 ちろちろ。「そうだね〜」 「やっぱり広奈ちゃんについていけばよかったなぁ、ハルはこの辺に放置しといてさ」 ふるふる。「だめだよぉ〜、ボクのご主人さまを見捨てちゃひどいの〜」 「冗談だよ。でも、勝手にこの屋敷を見て回るのも気が引けるしなぁ、何してようか?」 ちろちろ。「ボクが話し相手じゃ、つまんない?」 「あ、別にそんなことはないよ。じゃあさ、ちょっと聞くけど、何で春樹についてきたの?」 つんつん。「ん〜と、これこれ」 「え? なに、その剣?」 ちろちろ。「うん」 「あ、わかった、おまえ九頭竜の部下か何かだろ?」 …………。「う〜〜〜ん…」 「あれ? 違うのか? でもこの剣があるから来たんだろ?」 ちろちろ。「そうなの」 「そっか、要するにおまえにとってこの剣は、群れから離れてついてくるほどに大事なもんなんだな」 ちろちろ。「うんっ」 「じゃ、ハルのやつはあれか? 剣のおまけか?」 ふるふる。「そんなことないもん」 「あれ? 剣も大事だけどハルも大事ってか?」 ちろちろ。「大事なご主人さまだよ」 「てことは群れを捨ててハルについてきたってことで…。あらま、これは駆け落ちってやつですか〜?」 ………? 「かけおちってなに?」 「そりゃ、駆け落ちといえば、愛する二人がだな、こう、『ご主人さま、好きです、どうかボクを連れてってください』『でも小十郎、君には家族が…』『家族なんて関係ないです、ボクにはご主人さましかいません! どこまでもご主人さまについて行きます、お願いです』『小十郎…』『ああっ、ご主人さまっ、お慕い申しておりますぅ』『小十郎っ!』『ご主人さまぁぁっ!!』」 「…あの真田君?」 「のわぁぁぁぁっ!?」 気絶していたはずの春樹に突如声をかけられ、身振りまでつけて熱演していた淳二は飛び上がって驚いた。 「なにしてるの?」 「な、なにって、そりゃ、もう、あれだ、こうオレは小十郎と楽しいトークをだな…」 思いっきり狼狽しつつ淳二が答えた。 「トークって、さっきから真田君しかしゃべってなかったけど…」
「いや、まぁそれはその、小十郎の分もオレがアテレコして、こう、なんとかコミュニケーションをとろうと頑張っていた訳であり……、って 「駆け落ち…のあたりから、あの、邪魔するのも悪いかな、と思ったんだけど…」 「余計悪いわぁ!!」 えらい恥をかいた淳二だったが、彼のこの痴態を目にした春樹にとっては、ある意味いい緩衝材となっていた。 普通に目覚めれば、春樹は自分の身に起きた事を思い返してブルーになっていたはずだったが、この淳二の謎の言動によって見事にかく乱されていたのである。 「ご、ごめん…」 案の定まずは条件反射的に謝ってから春樹は気付いた。 「あ、あれ? 小十郎は?」 あわてて布団から起きて淳二の目線の先、枕元にたたずむ(?)小十郎を発見した。 ちろちろ〜♪ その純白の身体には怪我一つない。 春樹が目覚めたのでゴキゲンである。 もし犬だったらきっとちぎれそうなくらいに尻尾を振っているだろう、という雰囲気を醸し出している。 しかし、そんな小十郎の姿はむしろ春樹にとっては不可解だった。 「…どうして?」 将門に思いっきり踏みつけられた小十郎の姿は、かなりのショッキング映像として春樹の中に記憶されていた。 はっきりと致命傷とわかるくらいにひどい姿だったはずだ…。 「どうしてって、なにが?」 小十郎を見てびっくりしている春樹に、淳二の好奇心が刺激された。 しかし、それが淳二にとって墓穴を掘る結果となった。 「小十郎はひどい怪我をしていたのに、どうして元気なの? それに、…僕だって将門に斬られたのに、何で生きてるの? どうして?」 春樹に詰め寄られて淳二は思いっきり困惑。 「そ、それはだな…」 淳二にもよくわからない。 なにしろ前回、九頭竜のときは広奈が春樹の傷を治したことになっていたからである。 で、淳二もその嘘に騙されていたので、困ったことに今回は二人にとって理解不能の事態だった。 輪と広奈にしてみれば、春樹が斬られてもいつの間にか傷が完治していることに何の不思議もない。 もう二人の中ではそれが“春樹の特殊能力”として認知されていたからである。 そしてなにより、今回は輪と広奈は美亜子のことで頭がいっぱいで、春樹に対するフォローをするのをすっかり忘れていたのであった。 ために、淳二と春樹がこうして理解不能の現象に翻弄される羽目になったのであった。 しかも、淳二の脳裏には前回の広奈のあの表情がよみがえっていた。 絶対君主の前に引き出された奴隷のようなあの心境…。 天地がひっくり返ってもこの人には絶対に逆らえない、と思い知らされたあの瞬間。 あの時広奈は明らかに淳二の口を封じたかったのだ。 つまり“何も喋るな”という広奈からの厳命。 (てことは、今回も迂闊な事を言うと広奈ちゃんに…) 淳二の背中を滝のような冷や汗が滑り落ちて行った。
「晴明さんっ! 大変なの!」 龍はそう叫んで庭に降りてきた。 「あらまぁ〜、乙姫さん〜。おかえりなさいませ〜」 パタパタと庭に出てきた摩訶那のセリフである。 「…あ、広奈さんも」 摩訶那が乙姫に乗る広奈に気付いた。 「あの、晴明様はご在宅ですか?」 「あ、はい〜」 摩訶那が呼びに行こうとしたところ、ちょうど晴明が庭に出てきた。 「どうした?」 その姿に乙姫があわてて喋りだす。 「将門にやられて美亜子さんが大変なの! 晴明さん、助けてあげて」 晴明は無表情で乙姫に告げた。 「あの娘なら心配要らぬ。死ぬことはない…」 「そう、だから急いで…、って、え?」 「どうやら私の予感は多少外れたらしい。出て行った段階では本多美亜子、真田淳二の二人に死相が見えたのだがな。運命を変えたのは乙姫の力らしいな」 「え、えと?」 乙姫は狼狽している。 と、その背から降りてきた広奈が、何事もなかったように晴明と会話を開始。 「では、単刀直入にお聞きします。将門を倒す方法はあるのでしょうか?」 「??」 乙姫が困惑している間に晴明と広奈の間で、会話がはるか遠くへと行ってしまっていた。 この陰陽師二人の間で省略された会話はおおよそ次のようなものである。
広奈:「つまり晴明さまはあのあとずっと戦場の様子を見ていらしたのですね」 …という一連の会話を二人は一瞬でシミュレートし、あっさりと省略していたのだった。 で、先ほどの広奈の質問に戻る。 「では、単刀直入にお聞きします。将門を倒す方法はあるのでしょうか?」 晴明はその秀麗な顔をわずかに笑みに形作ると、直衣をひるがえした。 「貴殿らが戦ってくれたおかげで、一つ方法を思いついた。それを伝授しよう…。来るがいい」 「はい」 二人が屋敷に消えていくのを乙姫は呆然と見送っていた。 そんな乙姫に摩訶那が笑顔で声をかける。 「そういえば、乙姫さんのあの技すごかったですねぇ〜」 「えっ?」 「いや〜、こう雷でずど〜ん。風でびゅ〜んって。すっごいですね〜♪」 「な、何で知ってるの?」 摩訶那は笑顔で答えた。 「晴明さまと一緒に見てましたから〜」 「あっ…」 乙姫もようやく気付いた。 晴明は自分たちが出発する前に、戦場の様子を鏡に映していた。 それを使えば、自分たちの戦いを見ることも出来るのだ。 だから晴明は美亜子の容態についてすぐに答えることが出来たのだ。 広奈に遅れることおよそ1分、ようやく乙姫が納得していると、摩訶那はさらに笑顔で話を続けた。 「あとあと、あの輪さんの“愛”。“愛”がびぃぃぃぃ〜って、もうウチは笑いすぎて“柱”がよじれるかと思いましたよ〜」 注:摩訶那は家です。“おなかがよじれる”と言いたいらしい。 ちなみに乙姫は、“愛”まで聞いた瞬間にあの“輪の素敵な姿”(笑)が脳裏をよぎった。 摩訶那のセリフの後半は聞いていない。 「そうなの〜。あの輪さんの“愛”はわたしを助けてくれたの〜。ああっ…(惚け)」 「ね〜♪ あの技最高ですよね〜(笑)」 「最高よね〜(はあと)」 …かくのごとく乙女二人(?)の会話は微妙にずれたまま続く。
美亜子と輪、二人の身体にそれぞれ変化が生じていた。 まず美亜子だが、将門に斬られ、損傷していた鎧が徐々に修復されていた。 その様子を見た輪は改めて実感する。 (そうか、もう俺たちにとってこの鎧、『式神武戦具』はある意味肉体の一部に等しいのだな…) 思い起こせば春樹の超回復を間近で見たときもそうだった。 九頭竜の消化液で損傷していた春樹の鎧もいつの間にか修復されていたのだった。 ということは、美亜子の怪我の具合もだいぶ回復してきたということだろう。 美亜子の顔を見ると、先ほどまでと違い血色もよくなり、表情も穏やかだった。 輪はようやく安堵した。 張り詰めていた緊張の糸が緩んだ途端、輪は自らの身体に生じたある変化に気付くことになる。 (な、なんだ?) 美亜子の顔を見ていると妙にドキドキするのだ。 さらに顔が上気しているのを自覚する。 しかも、改めて状況を客観的に見れば、美亜子を“お姫様抱っこ”している自分に気付く。 鎧越しとはいえ美亜子とは密着しているし、顔も接近している。 そしてなにより過去に例がないことに、美亜子は現在意識がなく、言わば“まったくの無防備な表情”をさらけ出している。 かつてこれほど間近で美亜子の顔を見たことがあっただろうか…。 ドキドキドキドキドキ……。 輪の心拍数が増加する。 視野が狭くなり美亜子の顔しか見えなくなる…。 顔が赤くなり、全身は燃えるように熱い。 (俺は、…どうしてしまったのだろう) 半ば朦朧とし始めた意識でそう考える。 答えは一つだった。
「…あの、真田君?」 「あ、まぁ、待てハル。早急に結論を出すのはよくないぞ。急がば回れ、石の上にも300年、弘法も木から川流れ、現状をよく理解したうえでだな、熟慮に熟慮を重ねて、その上もう一個熟慮を重ねて豪華三段重ねで考慮することが、唯一無二にして絶対の、この場を収めるために肝心な得意技になるんじゃないかな、ていうか、過ぎたことは忘れたほうがいいのかもしれないぞ、という我が心の叫びにもちょっとは耳を傾けたくなる、そんな気がしたりするオレの苦悩の色はいったい何色だ、みたいな少々錯乱気味な意見を述べてみたりすることでこの謎を解くためのヒントがオレの脳裏を領海侵犯しねぇかな、というオレの本音が見え隠れ、てな感じぃ〜、みたいな〜、ていうか〜、ちょっちまいっちんぐ…」 もはや自分でもなにを言っているのかわかっていない淳二だったが、その目的は一つ。 とにかく事態をあいまいなままお茶を濁して、輪か広奈の到着を待つ。 むしろ将門を相手にするよりも苦戦は必至だった…。
屋敷から出てきた広奈の顔に不安の色はなかった。 「乙姫さま、あまり時間がありません。すぐに竜宮へ…」 「あ…、はい」 乙姫が屈んで広奈を背に乗せる。 「またお話ししましょうね〜♪ 広奈さんもお気をつけて〜」 ぱたぱたと摩訶那が手を振る。 乙姫に乗った広奈が、庭まで見送りに出てきた晴明に言った。 「晴明さま、何か皆さんに伝えておきたいことはありませんか?」 「…そうだな」 考えること1秒、晴明は無表情のままこう言った。 「直江輪に女難の相が出ている」
いわゆる“吊り橋効果”と似た現象である。 そんな輪に追い討ちをかけるような出来事が起きてしまう。 鎧の修復も完了し、すっかり外傷が回復した美亜子が、自分の身の安全を無意識のうちに自覚したらしく、変身が解けてしまったのである。 「なっ…」 当然驚く輪。 あわててまじまじと美亜子の姿を観察してしまったのが運の尽き。 元に戻った美亜子の姿といえば、太郎坊が用意した武家装束である。 そして美亜子の身体は温泉に浸かったまま…。 当然、濡れた着物が美亜子の肌に密着。 それはもう、とっても艶めかしい、色気過多の光景が展開されていた。 それを間近で目撃した直江輪は16歳。 青春真っ只中の彼には少々刺激が強すぎた。 というか、輪はこれまでの長い長い美亜子との腐れ縁の付き合いの中で、初めての“オンナの色香”攻撃を受けていた。 しかも二人きり、温泉、濡れた着物、無防備な表情、お姫様抱っこ、密着する体…。 オプションがいろいろ付いて攻撃力倍増。 (い、いかん、俺はなにを考えているんだ) ドキドキドキドキドキドキドキドキ…。 輪の心拍数はさらに増大した。 もはや輪の精神はいろいろな感情がせめぎあい、非常に危ういバランスの元にあった。 この均衡を崩さないため、輪に出来ることはただただ石のように固まることだけだった。 悟りでも開けそうな輪のこの苦行はもうしばらく続く…。
「…ね、真田君、それはもういいからさ、結局あのあと将門はどうなったの?」 ようやく春樹が質問の矛先を変えたのだった。 「その言葉に待ちぼうけッ!」 「え?」 「先程からオレはもうそれを言いたくてしょうがなかったのよん。よし、よく聞けよハル、オレたちの愛と友情の逃避行フロム将門ストーリーッ!」 「は、はい」 再び呆然とする春樹に淳二はここぞとばかりにマシンガンのように喋り続けた。
うっすらと目を開けると湯気によってぼんやりと霞む視界の中、きらきら輝く鍾乳洞が見えた。 (…ここは?) 見たことのない景色、それはこの世のものとも思えない美しさだった。 (綺麗) 霞みがかった意識のなか、そう思う。 (あたし…どうしたんだっけ) ぱちぱちと二度まばたき。 だけど、身体はふわふわのぽかぽかで、気持ちがいい。 もう、すべて忘れてもう一度眠りたい…。 そしてゆっくりと目を閉じる。 そんな美亜子の様子を輪はしっかりと見ていた。 というか、輪は硬直したまま美亜子から視線をはずすことが出来なかったのだが、それが幸いした。 「…おい、美亜子、気が付いたのか?」 指一本動かせずにいた輪だったが、美亜子がようやく覚醒したことで行動の自由を取り戻していた。 とにかくこの大変危険な状態から脱却するためにも、美亜子に起きてもらうのが一番いい。 というわけで、冷静を装って声をかけたのだった。 そして美亜子の夢うつつのまどろみは輪の声を聞いたことによって一気に現実に引き戻された。 「輪?」 目を開けて起き上がろうとした美亜子だったが、ようやくそこで自分が温泉に浸かっているということに気付いた。 そして固まったままの輪の腕の中にいるということも…。 「…っ?」 当然美亜子はびっくりした。 で、条件反射的に左アッパーが出た。 どがっ!! 「ぐあっ」 変身時だったのでダメージないが、美亜子の一撃は輪の精神状態を一気に冷ますのに十分だった。 パンチを放ってあわてて輪から離れた美亜子。 「ああ、びっくりした…、ってここは?」 「竜宮の中にある温泉だ。おまえの傷を治すためにここに連れてきたんだ」 とりあえず、素に戻った輪が少々不機嫌そうに答えた。 あれだけ心配してやったのにいきなりパンチをもらったのだからある意味当然だが。 「…傷?」 そう聞き返した美亜子はその段階で、ようやく自分の身に何が起きたのかを思い出した。 「あっ!」 あわてて左胸から肩にかけてぺたぺたと触っている。 痛みはない。 「うそ?」 驚いた美亜子は間近に輪がいることを一瞬失念し、思い切りよく着物の襟をめくった。 ばーん。 輪の見つめる先、さらしこそ巻いていたが“オンナの色香攻撃”究極の最終決戦兵器、胸の谷間がばっちり見えていた。 「!!!!!!!!!!!!!!」 Eカップの破壊力は輪の脳天を直撃。 驚愕した輪は目を見開いたまま、またしても石のように固まった。 で、美亜子はそれには気付かず、まじまじと自分の肌を凝視するが、左肩から胸にかけて一切傷は残っていなかった。 少々の驚きと、安堵に息をつくと美亜子は襟を戻し、そして固まっている輪に気付いた。 「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 美亜子の顔が羞恥に染まり、悲鳴とともに右ストレートが輪の顔面にめり込んだ。
直江輪に女難、と聞いた瞬間から乙姫は慌てていた。 ちなみに乙姫は女難を受難と勘違いしていたので、とにかく輪によくないことが起こる、と思っていたのである。 その背では広奈がこう考えていた。 (女難、ということは、わたくしか美亜子さん、あるいは乙姫さまに関することで輪さんに不幸が起こる、ということかしら。それなら慌てて帰らないほうがよいのでは…)
「真田君、話が脱線してるけど…」 「おっ、そうそう脱線と言えばオレの兄ちゃんが昔、ロンドン・パリに行くときにだ、千歳空港に向かう列車が脱線事故に巻き込まれて足止めされたことがあって…」 「………」 そろそろ呆れ顔の春樹をよそに、淳二はバルカン砲のように喋り続けた。
吹き飛んだ輪に美亜子は追い討ちをかける。 いったいどこに収納していたんだ、と輪が思う間もなく、二挺スリッパを構えた美亜子が恐怖の必殺技の名を叫ぶ。 「参拾八式『十六夜花吹雪!!』」 すぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱんぱん!!!! 「馬鹿、やめろ、痛っ、おいっ、ぐふっ、ぬあっ、くっ、こらっ、美亜子っ!」 何とかガードをしつつ(しかし結構たくさんのクリーンヒットを受けつつ)輪が耐えしのぐ。 しかし、輪の顔面にスリッパを11発叩き込んだあたりから、美亜子の動きが鈍くなった。 「あ、あれ…?」 くらくら。 そのまま倒れそうになる美亜子。 その身体をとっさに輪が支える。 「馬鹿っ、無理をするからだ」 「無理? 別に無理なんか…」 そう言って力なく笑う美亜子。 やはりまだ完全に治った訳ではないらしい。 傷はふさがっても、あれだけの出血をしておいて、いきなり激しい運動ができるはずもない。 一気に美亜子の顔が青ざめていく。 むしろ、一時の興奮状態からさめ、ようやく自分の身におきた事をしっかりと自覚していたのだった。 「もうしばらく浸かっていろ」 輪が半ば強引に美亜子を座らせる。 「……」 珍しく美亜子は素直に従った。 そして辺りをきょろきょろと見回す。 しかし、目当てのものが見つからなかったのか、今度は輪を見た。 無言のまま輪を見上げる目は心細さに揺れて見える。 「どうかしたのか?」 つられるように輪が美亜子の目を覗き込んでそう聞いた。 「…みんなは?」 どうやらこの場に輪以外の姿が見えないため、あまりよろしくない想像をしたらしい。 そう思った輪は、安心させるためにぽんぽん、と美亜子の肩を叩くと断言した。 「全員無事だ。乙姫のおかげでな。無事逃げ延びることができた」 「そっか…、やっぱり将門は倒せなかったのね」 「ああ、おまえがやられたあと俺と淳二も戦ったが完敗だった。俺は刀を折られたし淳二も一撃でKOされて…。春樹も斬られたが今は回復しているはずだ」 “負けたのは美亜子だけではないぞ”という慰め半分の輪の言葉。 美亜子が黙って聞いているので輪は続けた。 「それで、絶体絶命だったんだが、乙姫が、そうあれがたぶん龍神の力なんだろうな、ものすごい雷と突風で将門を吹き飛ばしたんだ。で、その隙にみんな逃げ出した、ってわけだ。とにかく、完全な誤算だった。将門の強さがあれほどだとはな…」 そこまで喋った段階で、輪は美亜子の異変に気付いた。 うつむき、唇を噛み締めた美亜子の瞳に見る見るうちに涙が溢れてくる。 「…!!?」 またしても輪は狼狽することになる。 美亜子の涙を、輪は見たことがなかった。 美亜子が泣くなんて、これまで一度もなかったのだ。 輪が硬直していると、美亜子の瞳から涙が零れ落ち、水面に波紋を広げた。 美亜子の口から、かすれたような、か細い声が漏れる。 「あたし…、負けちゃった…。誰にも、負けたことないのに……」 (ああ、そうか) 輪は理解した。 この天才少女は今生まれて初めての敗北を経験したのだ。 強すぎたがゆえに味わったことのない挫折の痛みを、今ようやく知ることになったのだ。 …理解したのはいいが、輪は途方にくれていた。 何しろ輪も美亜子に泣かれるなんてことは初めての経験、果たしてどうしたものか…。 「…相手が悪かったんだ。俺たち全員でも勝てないような化け物だったんだから」 とりあえず、そう言って慰めてみる。 「でもっ、あんな一瞬で斬られて…、あたし、自分が情けなくて…、悔しくて…」 心なしか美亜子の嗚咽が大きくなってしまった。 いったん涙がこぼれてしまうと、後は堰を切ったように感情の奔流が美亜子を押しつぶしていく…。 (逆効果かっ?) ますます狼狽する輪。 もはやこの状態の美亜子に慰めの言葉をかけても逆効果、だったらむしろ美亜子を怒らせるぐらいの厳しい言葉をかけて、彼女の奮起を期待しよう。 “情けない”と、そう思っているのなら、その部分を重点的に責めて、むしろ美亜子を逆上させるくらいのほうが手っ取り早く泣き止ませる方法かもしれないな。 てなふうに発想を転換した輪が気を取り直してアプローチを試みる。 「そうだな、作戦の主力と考えていた美亜子がやられたせいで、俺たちの戦線はあっさり崩壊してしまったからな…。将門を倒す以前に、重傷を負ったおまえをどうやって無事に連れて逃げるか、ってことに作戦の目的が変わってしまった。主戦力が一転して足枷になってしまったわけで、将門の強さを図り損ねたのと並ぶ俺の大誤算だ。だからだな…」 輪の言葉はそこで止まった。 (しまったっ!) 再び、輪は後悔することになる。 はっきり言ってしまおう。 輪の作戦は大失敗だった。 「足枷…? あ、あたしが足枷だったの?」 辛うじて美亜子はそう言い、あとはただただ泣き崩れるだけだった。 要するに輪は美亜子の一番イタイところを突いたのだった。 「だ、だからだな、今後はそういうことのないようにだ…」 もう遅い。 輪の言葉はむなしく響くのみだった。 で、泣いているうちにだんだんと、ますます悲しくなってきたり、余計に怒りが募ったりするのは女性にはよくある現象で、美亜子もその例外ではなく、感情の起伏が増大してきた。 そして…。 「よりによって、あ、足手まといになるなんて…、こんなことならあたしのことなんて、放っておいてくれたほうがよかったわ。そしたら、こんな、惨めな気持ちになんてならなかったのに…」 嗚咽交じりに美亜子が輪にそう言い捨てた。 …ぷち。 先に逆上したのは、輪のほうだった。 これまた彼の計算違いだったが、さすがに美亜子の言葉は腹に据えかねた。 「おいっ、よくも、そんなことが言えたもんだな。いったい俺がどれだけ心配したか、どんな思いでおまえをずっと抱えてきたのか、わかって言ってるのか! おまえを助けようとした俺たち全員の気持ちを踏みにじっているぞ。なにが惨めだ、だいたい足手まといだのそんなことを気にする神経が俺には理解できん! そんなに自分のプライドが大事なのかっ!?」 「うるさいっ、あんたに、なにがわかるって言うの? あたしに一回も勝ったことないくせに!」 「やかましいっ、俺はおまえと違って負けるたびに泣いたりふてくされたりはしない! 大体今のおまえが俺に勝てるとは思えないな。一回負けたぐらいでめそめそ泣くような根性なしには!」 「だったら、やってやろうじゃないの!!!」 こちらも逆上した美亜子が勢いよく立ち上がる。 『天下無敵っ!』 美亜子が変身するのを受けて、輪も刀の柄に手をやった。 いわゆる居合い抜きの構えで美亜子の攻撃を待ち受ける。 「さぁ、来いよ、絶対に防いで見せてやる!」 むしろ美亜子をさらに逆上させるように輪が挑発。 それを受けた美亜子は、案の定感情に任せて突きを放ってきた。 「壱拾七式『竜虎天傷撃っ!』」 さすがに蜻蛉切の穂先の部分を使わないくらいには、美亜子の理性も残っていたらしい。 それでも穂先の反対側、槍の石突の部分が神速で輪に迫る。 『破ぁぁっ!!!』 しかもご丁寧に“金”の力、剣気による不可視の衝撃つきである。 しかし、所詮逆上した敵の攻撃など見切るのは簡単である。 戦いは常に心技体が充足した状態で行ってこそ、真の強さが発揮できるのだ。 今の美亜子は、確かに輪が言うように、まともに戦って輪に勝てる状態でなかった。 「むっ!!」 輪は美亜子の攻撃を読みきっていた。 槍を弾き飛ばすべく、抜刀した輪は、ある重大なことを失念していた。 (軽い…) 何ミリ秒の瞬間に輪は違和感を感じていた。 そして…。 「ごふっ!?」 美亜子の一撃は見事に輪の胸板を直撃、さらに不可視の衝撃を受けて輪は吹き飛んだ。 (…なぜだ!?) 吹き飛びながら輪は理解不能の現象に動揺を隠せない。 タイミングはばっちり、輪の刀は美亜子の槍を弾き飛ばしていたはずだった。 しかし輪の手に、槍を弾き飛ばした手ごたえは伝わらなかった。 なにしろ、輪は忘れていたが、彼の刀は将門によって折られていたのだった。 刀身がないのでは防御もできない。 かくして輪はあれだけの見得を切っておいて、結局美亜子には勝てなかったのである…。 ちょっと、…いや、かなり情けない結末だった。
もはや根性だけで喋りまくり、ひたすらお茶を濁していた淳二だったが、ようやく気付いた。 輪が来るのを待つよりも、自分たちがそっちに行けばいいのだと。 「おい、ハル、美亜子ちゃんの様子を見に行こうぜ」 「えっ?」 「いいからっ、おまえさん心配じゃないのか?」 「あ、うん、わかった。…おいで小十郎」 春樹が右手を差し伸べると、小十郎はその手にくるっと巻きついてきた。 ちなみに、春樹は自分が気絶していた間に起きた出来事はほぼすべて把握していた。 頑張って話を逸らそうとした淳二の努力の結果である。 「大丈夫かな…」 そう呟いた春樹が心配する相手は美亜子だった。 「大丈夫かなぁ」 淳二が心配していたのは、美亜子が起きた際、輪がボコボコにされていないか、という点だった。 温泉に向かう道中、二人は無言だった。 春樹はあの明らかに怪しい淳二の言動から、彼が自分に隠し事をしていることをすっかり見抜いていた。 そして、自分の身に起こったことと、いったい淳二がなにを隠しているのかをあれこれ想像してブルーになっていたのである。 一方の淳二は、ようやくあの苦しい状況から開放されると思って割とゴキゲンだった。 とても地下空間とは思えない高い鍾乳洞の天井をいい気分で見物しつつ歩みを進めていた。 そして温泉が見え始めた頃。 淳二の耳はなにやら輪と美亜子が怒鳴りあっている声が聴こえていた。 ちなみに春樹は考え事をしていたので聴こえていない。 そして二人が温泉のほとりに到着した瞬間。 『破ぁぁっ!!!』 「あっ、やっぱり…」 淳二がそう言うのと、美亜子の一撃を受けた輪が華麗に宙を舞うのは同時だった。 というか、走り高跳びの背面跳びのようにして吹き飛んだ輪は、ちょうど淳二のいる方向に飛んできた。 「おっと」 淳二が右にステップしてかわす。 「えっ?」 淳二の後ろにいた春樹が顔を上げた瞬間。 彼の目に飛び込んできたのは、自分に向かってきりもみしながら突っ込んでくる“愛”だった。
「はぅっ」 “愛”は春樹の顔面を直撃。 吹き飛んできた輪もろとも、春樹はぱったり倒れた…。
このあと果たして二人の仲は修復できるのか? そして輪の身に降りかかる更なる女難とは? 次回『愛の人・女難の人』お楽しみにッ!!
|