陰陽五行戦記
第一章 ◇平安編◇
|
思わず疑問の声を挟んだのは淳二だった。 東国で将門と戦端を開こうとしている討伐軍を助けに行く…。 しかし、今いるのは京都、将門は関東。現代だって新幹線や飛行機を使っても数時間はかかるし、ましてや交通機関の発達していないこの時代では間違いなく数日かかる。 「ま、まさかまた朧車に乗るのか??」 心底嫌そうな顔で輪が呟いた。 (愛宕山までの道中でもほとんど酷い目にあったのにこれがさらなる長距離ドライブとなったら…、きっと死ぬ) (間違いなく到着する前に全滅する…) 嫌な想像を始めた輪をよそに、乙姫があっさりと代案を提出した。 「ううん、竜宮に行けばそこから常陸の国まで転移できるから」 「え? 転移?」 春樹が唖然とした声を出した。まさか1000年前に転移という言葉が出てくるとは思っていなかったらしい。 「初めて竜宮に行ったとき瀬田の唐橋の下から転移しましたが、同じように常陸まで移動できると言うことですか?」 広奈の問いに乙姫は力一杯頷いた。 「そうなの、だから早く竜宮に行こ!」 「…それは凄いわね」 美亜子が感嘆の声を上げる。 「なるほど、それならば今日中に移動が可能か…。だが、随分と焦っているが何か理由でもあるのか?」 輪からの問いかけに乙姫はこくこく頷いた。 「だって、秀郷さんはわたしのお願いを聞いてムカデ退治してくれた恩人だもん。だから今度はわたしが助けてあげなくちゃならないの!」 ぽんっ! 乙姫の話を聞いて淳二が手を打った。 「そうだそうだ。討伐軍を率いている人の名前に聞き覚えがあると思ったらそう言うことか。オレらの前に百足退治した人だったんだ」 と、そこで、晴明が冷たく水を差した。 「助けに行くのは構わぬが、私は平安京守護のため、此処を動けぬ。行くならば貴殿ら6人で行くがよい。竜宮までは式神に送らせよう」 「平安京の戦力をからにするわけには行かないか、……わかった。それで、出来れば戦場となりそうな辺りの地図が欲しいのだが」 「地図?」 「あらかじめ現場の地形を把握しておけば、戦術を色々と考える余地が出てくる。軍勢の位置関係が分かれば言うことなしだが…」 すでにこの時輪の頭の中では、4000の討伐軍を無駄に全滅させる愚を犯さず、将門軍と互角に戦わせる戦術を考えてやろうという静かな決意が生まれていた。 と、晴明が意外なことを言った。 「戦場の様子が見たいのなら見せてやろう。…摩訶那、鏡を持て。それと地図もな」 「はい〜」 摩訶那は返事をすると、しかし立ち上がって取りに行くそぶりも見せずに、右手を上に向けただけである。 「鏡さん〜♪ どこかな〜」 また例によってはにゅほにゅ〜♪ と鼻歌を歌っているだけだったが、しばらくするとふよふよと鏡と地図が宙に浮いたまま飛んできて、そのまま摩訶那の右手に収まった。 「どうぞです〜」 そのまま晴明に手渡し。 それを見て唖然とする輪たち。 改めて摩訶那が屋敷の式神だということを認識させられる現象であった。 そして全員の注目を集める中、晴明は縦横30p大の鏡に向かってなにやら術を唱えた。 すると、鏡面にまるでヘリコプターから地上を撮影したような映像がうっすらと浮かび始めた。 「式神を将門の本陣近くに飛ばしておいた。この鏡には式神が見ている光景をそのまま投影させている」 「すげえ、なまらすげぇ! オレ今までで一番びっくりした!」 淳二が感嘆の声を上げると一同一斉に頷いた。 たしかに、これは想像を絶する現象だった。 現代のTV放送技術に匹敵する。 だが、晴明は特に気にした風もなく、摩訶那が持ってきた地図と見比べて鏡面に映し出される映像を修正した。 「ふむ、こんなものか…」
そして地図と鏡面を交互に指さしつつ現状を説明していく。 「ここは下総の国だ。東には常陸、西は武蔵、そして北は下野の国。見れば分かると思うが、この辺りは何本もの川が通っているため湿地や沼が多く、大軍を展開しにくい地勢だ」 「…なるほど。孫子に言う『隘』の地形か。さらに河川地帯と湿地帯での戦い方が必要になる難所だな」 鏡面を凝視しつつ輪が呟く。 「軍を指揮するのは相当に難しいぞ」 晴明は輪の言葉に深く頷くと、地図の左上を指さした。 「まず、討伐軍4000は、ここ下野国府に集結していたが、夜明けと同時に南西方向に進軍を開始している。すでに8里(32q)ほど進んでいるようだな」 と、下野国府から左斜め下に矢印を書き込む。 「そして将門の本陣があるのはここ石井(いわい)。兵力はおよそ500。石井は四方を沼に囲まれているため、此処に侵入する方法は二種類しかない。下野国府の方向から南下するか、大きく迂回して南方の渡河地点を渡り、南から攻め込むかだ。見て分かる通り秀郷は迂回を選んだようだな」 「なんでわざわざ迂回するの?」 美亜子が疑問を挟んだ。 「相手の予期せぬ方向から攻めることで、奇襲作戦を意図しているのだろう。いくら4000対500とは言え、将門の騎馬軍団の強さは尋常ではないからな。正面からぶつかったら討伐軍に勝ち目がないことをよく分かっている。馬鹿正直に南下するのは愚の骨頂だ」 「なるほどね。じゃあ結構良い作戦じゃない」 淳二が感心したように手を打った。 「これだったら、勝てるかも」 それには輪が真っ先に反論した。 「だが、…この場合危険な場所が二カ所出てくるな」 そして地図の渡河地点を指さす。 「一つ目はこの渡河地点。例え大軍であろうとも川を渡るときには無防備になってしまう。対岸で待ちかまえられたらひとたまりもない。だから、迂回する場合には敵よりも先に渡河地点を制圧し、安全に川を渡ることが必要となる」 輪の言葉に晴明も頷く。 そして誰も疑問を挟まなかったので輪は更に続けた。 「もうひとつ危険なのが、大葦原と石井の中間に位置するこの最も狭くなっている場所だ。先に将門の軍勢がここに陣取った場合、こちらは4000の軍勢を展開できずに狭い場所での局地戦を強いられることになる。“天然の城門”というわけだ。となれば、兵力ではなく兵士の質がものを言う。この場合将門が陣頭に立てばその力を存分に発揮できることになり、恐らく4000の軍勢はあっという間に壊乱に追い込まれるだろう」 「…なるほどねぇ〜、じゃあ迂回作戦も駄目ってことか?」 「いや、この二カ所さえ無事に通過できれば作戦としては悪くはないんだ。だから迂回する場合には絶対に敵に自軍の存在を察知されないことが必要となる。夜襲するとか、別働隊を動かして敵の目を引きつけておくとか………」 と、そこまで言ってから輪は沈黙した。 そのまま熟考モードに突入する。 (待てよ、もし俺達がうまく将門を引きつけて、戦場から遠くに引き離すことが出来たなら、あとは単純に4000対500、討伐軍が勝利できる…。となれば、俺達が北側から攻撃を仕掛けて将門をおびき寄せればいいんだ) そして輪の頭の中で勝利の方程式が組み立てられたその時だった。 「濃い霧がかかっていれば見つからないかな?」 控えめに乙姫が発言した。 「この沼まで行けば、わたし霧を作ることが出来るよ」 龍神としてはささやかな能力の発露に過ぎないことだったが、この状況でこの一言は作戦活動に大きなメリットを生み出すこととなった。 「よし、それだと作戦の成功率も跳ね上がるぞ!」 途端に輪の表情もぱっと明るくなった。 「よくわかんないけど、上手くいきそうなのね?」 言いながら美亜子が立ち上がった。 「細かい話は道中考えてもらうとして、早く行きましょう。一刻を争うんでしょ?」 早速行動を開始した美亜子を見て、晴明も頷いた。 「ああ、討伐軍はかなりの強行軍で進んでいる。このままで行けばあと一刻(2時間)もすれば渡河地点にたどり着くだろう」 「その前に到着できるのかな」 不安げな春樹。 「頑張ればきっと間に合うよ」 今回の作戦の鍵を握る乙姫の一言。 輪達はうなずき一斉に立ち上がって部屋を出た。
相変わらず何事か考え込んでいる輪、緊張してはいるもののどこか楽しそうな美亜子と淳二、悠然と構えている広奈。 ところが、そんな中、春樹のみ浮かない顔。 浮かない、というレベルではなく海底に沈殿しているような暗い表情のまま、ぼそっと呟いた。 「これから僕たちが行くところって、戦場だよね……」 「ほえ? まぁそうだろうな」 淳二が振り向いて答える。 だが、振り返った先の春樹と目があった瞬間、淳二は一瞬息が詰まるような感覚を覚えた。 なにしろ春樹は目が死んでいた。 「戦争…なんだよね。殺し合いしているんでしょ? 僕たちもやっぱり人殺しになっちゃうのかな?」 暗い…、ひたすらどろどろと暗いトーンで喋っている。 なんだか春樹の周りだけ空気が違っている。 なにしろごくごく善良な小市民である春樹にとって、人を傷つけることはもちろん、殺すなどとは最大級のタブーである。 それはこの状況であっても少しも変わらない。 そのことを察した淳二だったが、しかし、歯切れの悪い返答しかできない。 「人殺しって…、まさか、あ、いや、でも、う〜ん」 そのままつられて考え込んでしまう。 淳二だってそりゃ、人を殺すようなことなんて嫌に決まっているのだ。 基本的に淳二は“いいヤツ”だし。 埒があかないと思ったか、春樹は今度は輪に疑問をぶつけてきた。 「ねぇ直江君、僕たちは何しに行くの? 討伐軍と一緒に将門の軍と戦うの?」 「当然でしょ? 違うの?」 美亜子も口を挟んできたので輪は二人に対して口を開いた。 「俺は出来れば将門のみと戦いたい。俺達の戦うべき相手は魔王だし、将門の軍にいる一般の兵と戦うことは避けたい」 「あ、そうなの?」 拍子抜けしたような美亜子。 雑魚をばっさばっさと薙ぎ倒し、戦場を疾駆する自分を想像していたらしい。 「もちろんだ。今の俺達の力を持ってすれば、恐らく兵士の10人や20人はあっさり殺せるだろう。だからこそ自制が必要だ。この力は魔王を倒すために使うべきだし、そもそも道徳的にも俺は人を殺したくない」 「…うん」 それを聞いて春樹の表情が緩んだ。 「ふぅ〜ん。ま、あんたの言う通りかもね」 美亜子も、一応納得したようだ。 輪は少し考えてから更に補足した。 「それから、タイムパラドックスの危険がある以上、絶対にこの時代の人間を殺すことは避けなくてはならない。だからこそ、俺は考えなくてはならないんだ。どうやって将門とだけ戦うべきか、そして如何に討伐軍を勝たせるか…」 (さすがですわ、輪さん) それを聞いて広奈が一人微笑む。 「…苦労が絶えないわねぇ」 美亜子も輪を見てにやりと笑うと軽くその肩を叩いた。 「頼りにしてるわよ、軍師さん」 輪は照れたような、困ったような表情を浮かべて頭を掻いた。 「茶化すなよ。まだ考えがまとまっていないんだ」 「でも、僕安心したよ。もしかして僕たちが陣頭に立って将門軍と戦うのかと思ってたから…」 なにしろ春樹にとっての一番の心配は戦場で人を殺さなければいけないのか、ということだったのだ。 輪がそのことを避けようとしているのが分かったので少しは不安が取り除かれた。 「…よく分からんけど、戦場で将門の軍勢と戦うことはないんだな?」 淳二が念を押す。 「出来ることならそうしたい。そうならないように策を考えてみる。…だが、最悪の場合そうなる可能性もあることを頭の隅にでも置いておいてくれ。俺達の究極の目的は魔王を倒すことだし、そのためにも将門との対決は避けられないだろう。それが将門と単独で戦うか、それとも戦場でまみえるかの違いでしかない」 そこに広奈が補足するように話をつなげた。 「戦場で将門と戦うのは避けたいですね。敵味方の兵士が入り乱れていますから、戦いに巻き込まれて犠牲者が出るかもしれませんし、何よりわたくしたちの戦う姿を大勢の人間に目撃されてしまいます」 「あ、そうよね」 「それは確かにまずいよなぁ」 美亜子と淳二もうなずきあった。 直情径行、軽率短慮、猪突猛進の二人でもさすがにこういう事態になった場合のリスクの大きさは分かっているようだ。 「そうならないように、なにか良い策を考えなければならない。……前途多難だ」 輪はそう言うと、再び熟考モードに戻った。 とにかく東国に行くことは出来ても、そこでの行動にはいろいろと困難が予想されるのであった。 そうこうしていると晴明の呼び出した十二神将の準備が整ったらしい。 6体の神将に抱えられて輪達5人と乙姫はそのまま上空へと飛び立った。 「お気をつけて〜〜」 ぱたぱたと摩訶那が手を振る。 そして6人の姿が見えなくなってから晴明はぼそりと呟いた。 「さて、果たして何人生き残ることか……」
平安京の北東に位置する一条屋敷を飛び立つと、そのまま琵琶湖方面に向かって進路を取る。 その際、屋敷の北側に位置する鞍馬山を上空から直接見ることが出来た。 だが、山を見た広奈は「まぁ…」と驚きの声(?)を上げると、他の4人に向かって叫んだ。 「皆さん、北の方角、鞍馬山を見て下さい!」 輪、美亜子、淳二、そして乙姫はすんなりと鞍馬山に目を向ける。 春樹のみ、怖がって目をつぶっていたので恐る恐る目を開け、なるべく真下を見ないようにしながら北の方角へ目を向けた。 鞍馬山はなにかぼんやりとした煙か黒雲のようなものに覆われて、その姿を伺い知ることは出来ない。 全員が山の方を見たことを確認すると、広奈は自らの動揺を抑え、はっきりとこう告げた。 「あの黒いもやのようなもの、あれは全て怨霊ですわ…。数百、数千かもしれません、凄い数です」 すでに陰陽師として十分な実力を身に付けている広奈である。 その一言は多大な衝撃を伴って5人の間を駆け抜けた。 「恐らく魔王に惹かれて怨霊が多数、鞍馬山に集まってきたのでしょう。それが上空に溜まってあのように…」 「てことは、あの中心に魔王がいるって事か…」 と、これは淳二。 目を凝らすと鞍馬山上空の怨霊は渦を巻いており、まるで台風の目のように一点に吸い込まれている。 「怨霊はどんどん魔王と融合しているようです。でも、まさか、これほど……」 広奈はそのまま口をつぐんでしまった。 6人はしばらく声もない。 そうこうしているうちにも十二神将はスピードを増して琵琶湖の方に飛んでいるため鞍馬山から離れていく。 鞍馬が見えなくなると輪は熟考モードに突入。 (つまり、それだけ恨みを持って死んでいった人間が多いと言うことか…) 朝廷での政治闘争に敗れ、命を失ったもの、天皇の位を望んで得られなかった皇族、高位を望んで果たせなかった貴族、俘囚と呼ばれ律令国家に組み込まれた狩猟民族、征夷大将軍坂上田村麻呂と戦い死んでいった東国の蝦夷…。 さらには恋に破れ恨みを残して死んでいった女性達…。 あるいは重税に苦しみ、飢餓の中で死んでいった農民、税を都に届ける途中でのたれ死にしたものもいるだろう。 それらが全て怨霊と化し、あるものは鬼に、そしてあるものは怪物へと姿を変えたとしたら…。 伝承に残る鬼、妖怪、百鬼夜行や怪異の数々。 平安時代は、まさに人と鬼とが共存していた時代ということになる。 その最大にして最強の存在、それこそが魔王。 そしてその魔王は将門に力を与え東国で乱を起こさせた。 それはつまり、蝦夷として虐げられた狩猟民族の恨みこそが将門の力の源であるということ。 だからこそ将門は関東に独立国家を建設することを志しているのだろう。 それこそが東国の人間の恨みを晴らす一番の近道となる…。 だが、だからといって恨みの念だけで国家を転覆させるわけには行かない。 そうなればその後にはさらなる混乱と悲劇が待ち受けているだけだ。 それをさせないためにも魔王を、そして東国で将門を倒さなくては。
説明もそこそこに乙姫が全員に術をかけ、川の中に入っていく。 その後に続いて全員が水中に潜っていくとそこにはやっぱり、なにやら亀のような石像?が置いてあった。 それに触ると瞬時に竜宮城へと転移される何とも不思議な石像である。 特に輪などは一体どういうメカニズムなのか非常に興味があったのだが、何しろ今は時間がない。 結局質問を我慢して黙って通過…であった。
「ここから常陸の国まで転移できるの。さっきの地図を見せて」 輪が晴明から受け取ってきた地図を差し出すと、乙姫は『信太流海』と書いてある右側の湖を指さした。 「この辺に出るから」 一同が頷くと乙姫はまず真っ先に自分が石像に手を触れた。 「…じゃあついてきてね」 そして言い終わると同時にその姿がかき消えた。 5人があとに続く。 滞在わずか2分で一同は竜宮をあとにした。 (のちにこのことを乙姫は後悔することになるが、なにしろ急いでいたのだから仕方がない、とは慰めにまわった輪の言葉である)
到着早々、水から上がったところで6人はいきなり危機に陥っていた。 「しまったぁ〜、ここから戦場まで移動する手段を考えてなかったぁ〜!」 との淳二の叫びが現状を完璧に示している。 「歩いていったら戦場まで半日近くかかる…。間に合わなくなるぞ」 地図を見ながら輪が途方に暮れていた。 「やっぱり走るしかないかな?」 と春樹。 「ここはその辺の馬を捕まえて乗りこなすってのは?」 これは美亜子。 実際、辺り一帯を見渡してみると、何頭かの馬が容易に発見できた。 「確かに馬が多い。何でだろ?」 淳二の疑問には広奈が答えた。 「地図を見て貰えば分かると思いますけど、この辺りは土地が沼沢地によって分断されていて、天然の柵となっています。つまり、馬を放牧するのに都合がよいのですわ」 「あ、なるほどね〜。てことはあれは全部放牧されてる馬なんだ」 「はい、ですから、将門の軍が強かったのは馬が豊富に使えるという場所柄も影響しているんですわ。なにしろ歴史的に見て日本で最初に集団騎射戦術を使いこなしていますし…」 と、説明していた広奈の声が止まった。 「あ、すいません、こんな説明をしている場合ではありませんね…。どうしましょうか?」 「………う〜ん」 「………むぅ」 「………うにゅぅ」 「………はぁぁ」 考え込んでしまった5人を見るに見かねて、乙姫が控えめに提案した。 「あ、あの、わたしが脱皮すれば…、皆さんを背中に乗せて飛ぶことが出来……ます」 だんだんと語尾が小さくなっていく。 「でも、あの、その、輪さん、あの、どうか、その、驚かないで………」 と、その輪だが、なんで乙姫がそんなことを心配しているのか、さっぱり分かっていなかった。 「あ、ああ」 なにやら曖昧に頷いただけである。 一方淳二は大喜びであった。 「やたっ、龍に乗って飛ぶのはオレの長年の夢だったんだよ〜」 「妙な夢ね…」 呆れたように呟く美亜子。 (前回は口にくわえられてたからなぁ…) と、心中呟く淳二であった。 「では、お願いしますわ」 広奈に促されて乙姫は静かに目を閉じた。 しばらく苦悶の表情を浮かべていた乙姫だったが、だんだんと皮膚から色つやが無くなり、乾燥し、乾涸らびたようになっていく。 そして身体の中心に一本の亀裂が走ったかと思うと、あっという間にその身体がはじけ飛んだ。 「なっ!?」 驚愕の声を上げる輪。(←いきなり驚いてやがる) 「はうっ」 あっさり卒倒しかける春樹。 それを見て淳二が慌ててその身体を支える。 「ま、まだだ、まだ倒れるな。乙姫ちゃんが傷つく〜」 ちゃんと乙女心を分かっている淳二だった。 「……!」 ちなみに美亜子は目を輝かせて、乙姫の様子を見守っている。 (わくわく。大きいのかな? 強いのかな?) という感じの心境である。 そして先ほどまで乙姫がいた場所から、輝く光の柱が上空に向かってくねくねと上昇していった。 それは上空で反転すると、まるで新しい身体の感触を確かめているかのようにひらひら飛び回り、やがて満足したのか輪達の目の前まで降りてきた。 「龍……」 輪は半ば呆然とそう呟いただけで、あとはただ乙姫の姿を凝視している。 間近で見る乙姫は体長30mほど、頭部は2mほどもあり、首の長さ5m、前脚と後ろ足の間隔12m、尻尾12mといった感じ。 目視ではスリーサイズ(?)はわからないが、1mくらいだろうか。 ちょうど、馬に跨るのと同じように、上に乗れそうな胴回りである。。 4本の足は長さこそ2mほどと短いが、鋭い爪は人間くらい簡単に引き裂いてしまいそうである。 黄金の目に鹿のような角、そして鋭い牙、長い鬚。恐ろしいが、威厳と品位を感じさせる頭部。 「…凄いわね」 美亜子も乙姫の姿を見て、感心したように独り言。 「…あわわわわ」 がくがくと足をすくませている春樹。 そんな春樹に淳二がこっそりと肘打ち。 「あんまり怖がるな」 「……う、うん」 蛇に睨まれた蛙状態の春樹も、それでようやく落ち着きを取り戻したらしい。 だが、乙姫は先ほどから一言も発せず、静かに、むしろ怯えたように輪を見つめている。 「…乙姫さま、何を怖がっているのかしら?」 感情の機微を見抜く目は一級品の広奈だったが、しかし、意外と鈍感。 真っ先に状況を把握したのは淳二だった。 こっそり輪の後ろに忍び寄り、耳打ち。 「おい、輪、乙姫ちゃんに何か言ってやれ」 「は? なぜだ?」 「いいからっ、乙姫ちゃんはおまえさんの一言を待ってるんだから」 「……」 釈然としないまま輪はおもむろに一言。 「まぁ、その、なんだ…、驚いたよ、まさかこんな…」 だが、それ以上何か言う前に乙姫がビクン、と巨体をくねらせた。 「…? なんだ?」 「あぅぅぅぅ、輪さん、やっぱり驚いた? やっぱり怖かった? やっぱりやっぱりわたしのこと嫌いになっちゃった??」 恐らく本人(本龍?)はもじもじしているつもりなのだろうが、その実、前脚の爪は地面をがりがりかきむしり、尻尾はばたばた打ち付けられてそのたびに地面が揺れる。 だが、その口から聞こえるのはやっぱり幼い乙姫の声である…。 (なんでそんなことを気にしているんだ??) と、輪は内心首を傾げたが、少し考えて思い当たった。 (なるほど、誰だって自分の姿を他人から怖がられたりしたらショックを受ける。そうか、そう言うことか) 輪の認識は、半分だけ正解だった。 「いや、少々驚いたが、別に怖くもないし、嫌いになるほどのことじゃない」 「…ほんと?」 「確かに、何も知らない人間がその姿を見たら恐れるかもしれないが、俺はすでに乙姫のことを知っているからな。怖がったりはしない」 「…う、うん」 乙姫としては、もうちょっと輪からのフォローが欲しかったところだったが、美亜子の一言によってそれも叶わなくなってしまった。 「あのさ、あたし早く乗ってみたい。乙姫、いい?」 「え? あ。うん。いいよ。急いでたんだよね」 大きな頭部をこくこく揺らして頷くと、乙姫は足を曲げて胴体を地面にペタンと付けた。 美亜子が真っ先に先頭にまたがろうとしたが、輪が制止した。 「ちょっとまて、乙姫に進路をナビゲートしなくてはならないだろう。地図を持っているから俺が先頭に乗る」 「…う〜ん、じゃああたし二番」 「オレ三番」 「わたくしは最後尾がよいですわ」 「じゃあ、僕四番?」 あっさり決定。 そして順番に乙姫にまたがっていく。 「落ちないようにちゃんと掴まっててね」 乙姫の声に促されるように後ろの4人はたてがみをしっかりと掴んだ。 先頭の輪は龍に乗るときのお約束(?)で二本の角を掴んでいる。 「準備はいい?」 飛び立とうとした乙姫だったが、広奈から制止の声がかかった。 「少し待って下さい。今更ではありますが、わたくしたちが歴史に干渉した事実を隠しておく必要があります。本来わたくしたちは千年先の人間ですから。それで、出来ればこれから先の行動も、なるべく人目に付かないように…」 「事は秘密裏に行うべし、ってことだね?」 と淳二。 「その辺は輪が作戦を考えてくれるんでしょ」 他人任せの美亜子。 「…どうするの、直江君?」 同じく春樹。 4人の視線を背中に感じて輪は振り返った。 「気を付けなくてはいけないのは、乙姫の姿をこの時代の人間に見せるわけにはいかない。もし見つかったら軍勢がパニックに陥って壊乱する可能性すらある」 (あぅ) それを聞いてこっそりショックを受けている乙姫。 だが、輪はそれには全く気付かずに続けた。 「だから、出来れば戦場に近づくときは雲の中に隠れるとか、…あるいは、武田、陰陽道に何か良い術はないか。うまく姿を隠すような…」 「あるにはあるのですが…」 少々言葉を濁した広奈。 さすがに乙姫くらい大きな対象を隠すとなると術も結構大変なのだ。 それを感じたのかは分からないが、乙姫がおずおずと提案した。 「あの、輪さん。わたし【人払い】の術をかけておいて、あと雲を呼んでその中にいるようにするから…」 「そうか、二段構えというわけだな。助かる」 そして輪はまるで愛馬をいたわるかのように、乙姫の首筋をぽんぽん叩いた。 (えへ) 内心照れる乙姫。 「じゃあ、早速。入って来ちゃ駄目よ☆」 人払いの術、これにて完成。 この術の効果で、この先乙姫に人間が近づくことは出来なくなる。 「それから、俺達の存在を気付かれないように、討伐軍を勝たせる戦術はだいたい練った。詳しくは現地の様子を見てから説明する」 4人が頷いて了承の意を伝えると輪は正面に向き直った。 「じゃあ、乙姫、飛んでくれ」 「はいっ」 そして、乙姫はまるで重力を無視するかのようにふわりと浮き上がると、そのままの体勢でするすると上昇を続けた。 上昇するに従ってどんどん視界が広がり、霞ヶ浦の全景も見えてきた。 進行方向には将門の本陣である石井、そしてその前に広がるのは大湿地帯の大葦原である。 幸いにも本日の天候は晴れ。 風も強くないので絶好のフライト日和である。 「すっご〜い!」 「気分爽快だぜ」 喜ぶのは美亜子と淳二。 「5人乗せても飛べるとは凄いな」 感心する輪。 「あわわわわわわ…」 「大丈夫ですか春樹さん?」 怖がる春樹と心配する広奈。 そして上昇するに連れて、乙姫の周りに雲が出来始め、まるで孫悟空の筋斗雲に乗っているかのようであった。 「輪さん、これくらいの高さでいい?」 およそ上空500mくらいに達したところで、乙姫がそう問いかけた。 「ああ、あとは南西の方向に行ってくれ。…ちょうど、太陽に向かって進む感じだ」 「うん、しっかり掴まっててね」 そしてそのまま猛スピードで飛んでいく。 「………!」 (これは凄い、風圧でまともに目を開けてられない) 先ほどの晴明の式神にも勝るとも劣らないスピード。 5人の正面にいる輪は当然一番風圧を受けていた。 その後ろの4人は“防風輪”のお陰で被害は微少。 「すっごいわね〜。100キロ以上でてんじゃない?」 美亜子は嬉々として足下を流れていく景色を見つめている。 「そうだ! オレ、もし龍に乗ったらやってみたかったことがあるんだよ」 と、淳二。 「ん? なに?」 振り向かないまま美亜子が聞くと、淳二が大声で歌い始めた。 「坊や〜〜〜♪ よい子…♪」 スパコーーーン!! 「やめんかぁぁぁ!」 振り向きざま、美亜子のスリッパが神速で淳二の顔面を直撃した。 「うに゛ゅ!?」 美亜子の容赦のない突っ込みは、半ば条件反射で出たものであったが、さすがに場所が悪すぎた。 なにしろ推定時速150キロで飛行中の龍の上だったのだ。 当然淳二はバランスを失い、しかも、左側に大きくのけぞったため“防風輪”のスリップストリームを抜け出して、もろに風圧を受ける格好になってしまった。 「おわぁぁぁ、落ちるぅぅぅ」 「あ、あぶないっ」 あっさり落下体勢に入ってしまった淳二を支えようと、春樹はとっさに淳二の身体を両手で支えようとした。 だが、淳二は危ういところで、なんとか乙姫のたてがみを掴み直し、危機一髪で落下を免れた。 しかし、支えるはずの対象を失い、…春樹は落ちた。 「ひぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………↓」 真っ先に動いたのは広奈だった。 「ヲルスバン!」 広奈がとっさに式神を召還。 『ヲルスバン推参!』 しっかりとTVシリーズと同じ決めゼリフを叫んで登場したヲルスバンだったが、彼にとって不幸なことに、地面がなかった。 『んのぁぁぁっ?!』 そのまま自由落下。 「春樹さんを助けて」 広奈の命令を受けて、ヲルスバンはくるりと落下中の体勢を立て直し、高らかに叫んだ。 『ヲルスウィング!』 するとメタルボディの背中からまるでジェット戦闘機のような翼が生えてきた。 これこそ、ヲルスバンの飛行形態である。 『ヲルスジェット!』
そして落下中の春樹を捕まえようと、ジェット噴射の力で自由落下に勝るスピードを出し、どんどん下降していく。 その一方、美亜子も春樹の落下に気付いて叫んでいた。 「乙姫っ、ハルが落ちた。念力で止めて!」 「え? ええっ?」 乙姫は慌てて下を向いた。 …頭が下を向くと、当然角に掴まっている輪は上に行く。 「おわっ!」 一瞬輪の身体が宙を舞った。 「あっ、ごめんなさいっ」 慌てて頭を元に戻す乙姫。 そのせいで春樹を発見するのが一瞬遅れてしまった。 だが、この“一瞬”のうちに春樹は100mは落下している。 遙か下の方に放物線を描いて落下していく春樹の姿を乙姫は頭を動かさず、視線だけで見つけた。 もう豆粒のように小さくなっていた春樹に向かって、乙姫は念力を込めた。 「止まって!」
人は死の間際これまでの人生を走馬燈のように思い出すという。 春樹もまた、どんどん近づいてくる地面にはっきりと死を感じ、自分の人生が脳裏を駆けめぐっていた。 走馬燈のように思い出がくるくると春樹の頭の中に現れては消えていった。 …どれもろくなものじゃなかった。 思い出すのは嫌なことばかり…。 これじゃあ死んでも死にきれない。 「まだ死にたくない!!!!!!」 春樹は叫び、またもや無意識のうちに変身を遂げていた。 そして見る見る近づいてくる地面に向かって渾身の『五行妖術』を放った。 『独眼竜烈風昇天破っ!』 春樹の両腕から放たれた暴風の奔流はそのまま地面に直撃。 その反動で春樹の落下スピードはあっさりと0に近づいた。 つまり春樹は、地面に向かって風撃を放ったことで自らの落下スピードを殺していたのである。 まさに人間ロケット。 これによって春樹は、墜落死を免れる程度に減速を果たすことに成功。 皮肉なことに春樹が初めて放ったこの『五行妖術』は、敵に対してではなく自分の命を守るために使用されたのであった。 と、そのころようやく乙姫の念力が春樹に届いた。 高速で落下しつつある春樹を500m上空から念力で止める。 ほとんど神業、奇跡に近いような乙姫のファインプレイ。 「あ、あれ?」 落下すれすれの地上30mほど。春樹はぴたっと空中に静止してしまった。 その瞬間。 『ヲヲヲッ!?』
「ぐふっ!」 春樹を空中で抱き留めようとしていたヲルスバンは、そのまま頭から春樹に向かって突入。 名付けて『急降下フライングヲルスヘッドバット!』 乙姫の念力で静止してしまっていた春樹は避けようもなく、そのまま弾き飛ばされた。 「あぁぁぁぁぁぁぁ↓」 ニュートン力学の初歩、運動量保存の法則。 (2つの物体が衝突する時、衝突前と衝突後の2つの物体の合計の運動量は等しい) 春樹は自分にぶち当たったヲルスバンの運動エネルギーをそのまま引き受けて、えらい勢いで落下。 30m下の湿地帯に頭から突っ込んだ。 ずぼっ。 そして当然埋まった。 さらにニュートン力学、作用反作用の法則。 (2つの質点の一方が他方に力を及ぼしているときには、必ず後者も前者に力を作用しており、それらの力は両質点を結ぶ直線の方向に沿って逆の向きに作用しており、それらの大きさは等しい) つまりヲルスバンは春樹に与えたダメージと全く等しいダメージを受け、ものの見事に空中でバランスを失った。 で、春樹の後を追うように、泥沼に顔から突っ込んだ。 『ヲヲヲアァァッ!?』 ずぼっ。 ………ぴくぴく まるで墓標のように地面から生えた4本の足が虚しく動く。 だが、湿地は深く、泥が身体にまとわりついて容易に脱出できない。 このままでは窒息の危機である。 『☆梶ヲ〒♭♯u◎潤縺I』(埋まったままなので何を言っているのか分からない) ちなみに『ヲルスジェット逆噴射!』と言っている。 ずぼぼぼぼぼぼぼぼ ヲルスバンは埋まった体勢のまま垂直に上昇し、無事泥沼からの脱出に成功した。 そして空中で体勢を立て直し、そのまま春樹の両足をがっしりと掴んで力任せに引きずり出した。 一応春樹を助けろ、という広奈の命令は果たした事になる、…………はず。 春樹は例によってまたまた気絶していたが、ヲルスバンが平地に横たえるとぱっちりと目を覚ました。 それを確認するとヲルスバンは決めゼリフを放った。 『任務完了!』 そしてヲルスバンはまた消え、代わりに上空から龍が降りてきた。
鎧姿の時は泥にまみれていたのだが、変身をとくと汚れは綺麗さっぱり消えてしまっていた。 「…洗濯いらず、だなこりゃ」 呆れたように呟く淳二。 ともかく、あわや大惨事、という春樹落下事件はこうして何事もなかったかのように過ぎ去った。 ただし、この一件は以前『伊達春樹殺人事件』の時に輪が抱いていた疑念をむしろ正当化するものであったが、輪はすでにその件を誰にも言わない決意をしていたので、このことが明るみに出ることはこの段階ではなかった。 再び乙姫に乗った5人は、今度はあっという間に第一の目的地、菅生沼に到着した。 ちなみに沼の上空にいた際に討伐軍の軍勢が進撃中の様子を遠目で確認。 幸い、軍勢が渡河地点にたどり着くにはまだ少し余裕があるようだった。 沼の上すれすれまで高度を下げたところで輪が指示を出した。 「よし、まずはここで霧を発生させてくれ。そのあとで、上空から現状を偵察したい」 「はいっ! 霧霧まいま〜い☆」 と、見る見るうちにこの沼の周辺一帯視界30mの濃霧に覆われてしまった。 これで輪の狙い通り、進撃中の討伐軍の姿は将門の本陣からは見えなくなる。 作戦の第一段階は無事完了。
「では、渡河地点に移動だ。もし将門軍の斥候がいた場合、討伐軍到着前に実力で排除する必要があるかもしれない」 そして乙姫は霧の中をするすると上昇していく。 とにかく輪はまずは戦場となる地形をこの目でしっかりと見て、同時に両軍の配置、兵力などを確認しようとしていたのである。 つまり、これからの一連の行動は、一言で言えば“強行偵察”にあたる。 この偵察のタイムリミットは、ひとまず討伐軍が渡河地点に到着するまでのおよそ1時間。 その間偵察すべきポイントは、
1:渡河地点 そして何より最重要項目は“将門がどこにいるのか”を正確に把握することである。 全ての作戦は将門の現在位置をしっかり把握しなければなんの意味もなさないからである。 今回の輪達の行動には、この時点で三つの目的があった。
1:乙姫の恩人である藤原秀郷の命を守ること。 その目的にはさらに、輪達が自らに課した幾つかの制約が存在する。
1:なるべく人目に付かないこと。 果たして、これらの制約の元、5人はこの先、どう行動するのか。 そして渡河地点にたどり着いた輪達は、そこでとんでもない危機に陥ることになる。 それは次回のお楽しみ、である。
|