陰陽五行戦記
第一章 ◇平安編◇
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薄ぼんやりとした光を受けて、朧車が不気味に佇んでいる。 『さぁさぁ、早く乗ってくんなよ』 そんな外見とは裏腹な朧車の“荒路”の声が急かす。 恐る恐るという感じでまず淳二が乗り込んだ。 続いて春樹、輪、そして乙姫、美亜子、広奈。
進行方向を左とすると、上の図のような配置になった。 ちなみに番号は正式な牛車の席順を表している。 一番上座が@で下座はEとなる。 普通牛車は向かい合って座るので、広奈と美亜子、輪と乙姫、淳二と春樹が互いに向かい合って座る格好となった。 6人乗りなのでこれで満席。 「あれ? あんたは乗らないの?」 美亜子が簾をあげて晴明に聞いた。 だが、晴明はにべもなく首を振った。 「私は遠慮しておく。別な式神を召還して後を追うゆえ、先に行くが良い」 そう言って晴明は“荒路”に向かって指示を出した。 「全速力で愛宕山に向かってくれ。………遠慮は無用だ」 「ん? 遠慮? それってどういう…」 美亜子の声は勝手に降りてしまった簾によって、晴明の耳には届かなかった。 『よ〜し、行くぜぇ! しゃべると舌を噛むからな、歯ァ食いしばれェ!!!』 やけに気合いの入った“荒路”の声が聞こえたかと思うと、朧車は激しくホイールスピンを起こしながら急発進した。 車内の輪達はいきなりかかった発進Gによって、車両後部にあっさり吹き飛ばされた。 「のわぁぁ」 「きゃぁ」 「まぁ…」 淳二は自分に向かって飛ばされてきた乙姫をキャッチし、ついで倒れ込んできた広奈を支えることに成功した。 だが、堪えきれずにそのまま潰された。 「むぎゅ」 密着した二人の体重をもろに受ける格好になり、苦しい状態だったがそれでも淳二は何故か嬉しそうだった。 その一方。 「うっ」 「なっ」 「はぅ」 ごちごちどかっ。 まず晴明と話をしていたため、簾の外に身を乗り出していた美亜子が激しく輪と激突。 たまらず輪もはじき飛ばされ、受け身も取れないまま後ろに座っていた春樹を押しつぶした。 「ごふっ!」 二人分の体重がもろにかかり、したたかに後頭部を強打した春樹はあっさり悶絶した。 とんでもない加速Gのため、スタートしただけで、まず一人脱落。 『ぶぉぉ〜ん、ぶぉぉ〜ん、ぱらりらぱらりら』 謎の奇声をあげつつ荒路は都の大路を爆走した。 直径2mの車輪があまりのスピードのため、ぎゅるぎゅる音を立てる。 ガタガタガタガタガッコン、ガタガタガタガタガタ…。 この時代の車輪には当然タイヤは装着されていない。 従って木製のホイールだけで走っているので、衝撃吸収性はゼロ。 これで道路が磨き上げた床のようにつるつるだったらともかく、この時代の大路は精々砂利道よりもましな程度、である。 そんな舗装すらされていない大路を猛スピードで、それも衝撃吸収性ゼロの車輪で走り抜けたらどうなるか…。 当然車中はものすごく揺れる。 ついでに、牛車にはふかふかのシートなど装備されているはずもなく、精々畳に毛の生えたような敷物が敷いてあるだけ。 はっきり言ってしまおう。 車中は人間攪拌機(ミキサー)と化していた。 すでに黙って座っていることなど不可能。 上下左右に吹き飛ばされては壁や誰かと激突。 「のわ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、うぎゃ」 ごちっ。 淳二は最後まで悲鳴を上げることも出来ずに、顔から壁に突っ込んだ。 ちなみに悲鳴がとぎれとぎれになっているのは、振動で声が震えているからである。 スタートの段階で気絶した春樹などは、受け身も取れずにごちごち四方八方に吹き飛ばされていた。 「いや、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ」 体重の軽い乙姫もぼこぼこ車内でバウンドする始末。 地震で言ったら震度8。立っているどころか、座っていることもできない。 「ちょ、ちょっ、と、と、止め、な、さ、い」 美亜子も必死に壁にしがみついて叫ぶが“荒路”は全く聞く耳を持たない。 『ぱらりらぱらりら〜♪ りらりら〜♪ ぶぉぉ〜ん、ぶぉぉ〜ん!』 実に気持ちよさそうに暴走している。 『次の角を右に曲がりまぁ〜す♪』 ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃり。 そして思いっきり車輪を軋ませつつ、急旋回。 車輪が二つしかないので、旋回性能は四輪車よりも優れている。 …当然横Gは四輪車の比ではない。 「ぬぉ、ぉ、ぉ、ぉ、のわっ」 必死に振動に耐えていた輪はしかし、急激な横Gのせいで隣にいた美亜子を押し倒すようにして吹き飛ばされた。 「痛っ」 「わっ、悪い」 慌てて輪は離れようとするが、そこに運悪く春樹が後ろから吹き飛んできて輪とぶち当たり、さらに美亜子と密着する格好になってしまった。 「キャ、ァ、ァ、ァ。どっ、どっ、ど、こ、触、っ、て、ん、の、ぉ、ぉ」 珍しく、…というよりは、ほとんど初めて聞く美亜子の悲鳴。 「すま、ん、い、今、よ、け、る、か、ら」 ちょうど美亜子の胸に顔を埋める格好となり、輪も常になく狼狽したが、春樹が上に乗っかっている上この振動である。動くこともままならなかった。 ガタガタガタガタガタガタガタガタガタ。 車体が振動するたびに輪は自分の顔に柔らかく豊かな感触を受け、心臓バクバク、顔真っ赤。 一方の美亜子もなんとか立ち上がろうともがくが、上体を起こすとその分輪の顔に胸を押しつける格好となり、こちらも慌てふためいていた。 そのちょっとした修羅場を目撃した他の三人は。 (ぬぬっ、輪めなんと羨ましい…)←淳二。 (あらまぁ…、大変…)←広奈。 「ふっ、二人、とも、なに、して、る、の、ぉぉっ」←乙姫。 逆上した乙姫は自らの念力を使って、春樹と輪を美亜子から引き離した。 ぷかぁ〜。 まず春樹がふわふわと空中に浮いた。 ついで輪も自分の体重が消失したような感覚を覚えたと思ったら、ぷかぷかと美亜子の上に浮いていた。 一瞬自分の身になにが起きたのか、理解できなかった輪だったが、自分が空中に浮いていることに気付くとまた別の意味で驚いた。 「のわぁっ、なんだ?」 それを見ていた淳二が重大なことに気付いた。 「お、おぉ、ぉと、ひめ、ちゃん、それ、だ!」 「え?」 「ぜ、全、員、空、中、に、浮け、ば、揺れ、な、くて、す、む」 がっくんがっくん揺れに翻弄されながら、なんとか淳二が言い切った。 「そ、そう、だ、ね…。えいっ」 そして6人がぷか〜と浮き、一応揺れの問題は解消された。 「どうして早く気が付かなかったんだろ」 ぶつけて赤くなった鼻をさすりながら、淳二が発言。 「本当に…、なにしろ動転していましたから」 と言って広奈が一番動転していた二人の方をちらっと見た。 「……」 「……」 なんとなく、気まずそうに視線を合わさないでいる輪と美亜子がそこにいた。
しかし朧車が都大路を抜け愛宕山への街道を走り始めると、さらなる危険が彼ら6人を襲うことになってしまった。 街道は都の道に比べても更に路面状況は悪く、あちこちに石があったりこぶがあったり溝があったりと振動が更に増したのである。 もちろん浮いている6人に振動は伝わらない。 しかし、…ちょっと想像すれば分かるが、車内の中央部に6人が浮いている状態で車は上下左右に激しく揺れ動いているのである。 するとどうなるか…。 『ぶぉぉ〜ん、ぶぉぉ〜ん、ぱらりら…、おろ?』 平和な走行を甘受していた輪達は、突如朧車がバンプに乗ってジャンプした瞬間…。 どかどかどかどかどかごちっ。 「痛っ」 跳ね上がって来た床にしたたかにお尻や足や顔面(!)をぶつけた。 「のわぁぁぁハルの血から鼻が出てるぅ」 春樹の方を見た淳二が驚きのあまり訳の分からない日本語を使用した。 そう、気絶した状態で仰向けのままぷかぷか浮いていた春樹は、今のジャンプで顔面を強打。 当然鼻から出血大サービスと相成ったのである。 「いかん…。乙姫もう少し高度を上げろ」 輪が慌てて指示を出す。 「はいっ」 6人の高度が更に50pほど上に上がった瞬間、今度は朧車が溝に一瞬落下した。 ガッコン。 ごちごちごち。 「ぐあっ」 「にゅむっ」 「痛ッ」 輪、淳二、美亜子はそろって頭をぶつけた。 「乙姫っ、もう少し下げろ」 「それよりも皆さんもう少し中心部に集まったほうがよろしいのでは…」 「わぁぁぁ、だれかハルの鼻血を止めろ〜」 阿鼻叫喚であった。
徒歩ならば2時間以上かかる道のりを、朧車はあっさり走破していた。 『ぱらりらぱらりら〜♪ と〜ちゃく〜』 猛スピードのまま走っていた荒路はいきなり急ブレーキをかけ、同時に簾を開け放った。 するとどうなるか。 ニュートン力学の初歩『慣性の法則』 「動いている物体は外からの力を受けない限り動き続けようとする」 急ブレーキで車は止まったが、車の中で浮いていた6人は、外からの力を受けないため急に止まれない。 全力疾走していた朧車のスピードを維持したまま、6人はそのまま車外へと放り出された。 『おろ?』 えらい勢いで吹き飛ばされた6人を荒路が呆然と見送る。 6人が飛ばされた先には何故か安倍晴明がすでに到着していた。 「わぁぁぁぁ、危ねぇぇぇぇ」 「避けろぉ!」 「あらまぁ…」 乙姫が急制動をかけるが間に合わず、6人はそのまま晴明めがけて突っ込んだ。 「神将」 激突寸前、晴明がそう言うと輪達は“突如出現した誰か”に抱き留められて、無事止まった。 そしてそのまま地上に降ろされる。 「ふぅぅ、助かったぁ」 淳二は安堵のため息をついてほっとすると、今度は自分を抱き留めた存在が気になった。 それは輪や他の4人も同じであった。 「?? なにが起きた?」 そう言って自分を抱き留めたモノを見上げた輪は、それでも辛うじて悲鳴を飲み込んだ。 「んきょわぁぁぁぁ」 こちらはたまらず叫び声をあげた淳二。 「きゃぁぁっ」 乙姫も脱兎のように逃げだし輪にしがみついた。 「まぁ、これは………」 こっそり広奈も絶句している。 「なに? 敵?」 さすがに美亜子は早速戦闘態勢をとったが、相手に攻撃の意志がないことをすぐに見て取ると、晴明の前まで移動して聞いた。 「これが最強の12体?」 「そうだ…」 落ち着き払った晴明の声に、輪達はようやくこれが晴明の式神だと理解した。 …理解したが、その12体が目を背けたくなるほどに恐ろしい姿であることは変わらなかった。 憤怒の表情を浮かべた筋骨隆々の闘神。 その凶悪さたるや、これが魔王だ、と言われたら素直に納得しそうなほどである。 それが分かっているのか、晴明はすぐにその式神、いわゆる『12神将』に何事か命じた。 すると『12神将』はそのまま空を飛んで愛宕山の山頂方向へ向かっていった。 当然、気絶したままで神将に抱えられていた春樹はそのまま放置されている。 「そうだ、春樹は大丈夫か?」 ようやく春樹を心配する余裕が出た5人が春樹のそばに寄ってきた。 「よっ」 淳二が活を入れると春樹はうっすらと目を開けた。 幸い致命的なダメージは受けていなかったようだ。 それを見て安心したか、皆気が抜けたらしい。 春樹ほどでないにせよ、あちこちぶつけて残りの5人もへろへろ。 疲れ切った顔で腰を下ろしている始末。 しかし、それを見た晴明が無慈悲にも背を向けて歩き出した。 「急ぐぞ」 急ぐぞ、と言われてすぐに動けるものでもない。 第一、朧車を交通手段に選んだ晴明に抗議する気力すらない始末。 特に春樹は気絶から回復したものの、身体のあちこちが打撲だらけで一番重傷だった。 歩くどころか、立ち上がるのも辛そうだった。 身体は鉛のように重く、じわじわと全身を痛みが蝕む。 とはいえ、晴明がさっさと背を向けて山道を登り始めているのを見て、まずは淳二が続いた。 「やれやれ」 輪がそう言いながら立ち上がり、歩き出すとそのすぐ横に美亜子が近寄ってきた。 「あのさ、輪。さっきのは、あれは事故だからね。不幸な事故。すぐに忘れなさいよ」 輪は一瞬なんのことかと、目を瞬いて美亜子の顔を見返したが、先ほどの車中でのことだと気付いて再び心拍数を増加させた。 「…あ、ああ。…わかった」 しどろもどろに答えると、美亜子も急に気恥ずかしさを覚えたのか、ぷいと輪から視線を逸らし、逃げるように前方に行ってしまった。 そんな二人の様子をちょっと悲しげに見やりつつ、乙姫も輪の後ろをこっそり歩いている。 その乙姫が振り返ると、ふらふらと春樹が立ち上がっているのが見えた。 傍らには心配そうな広奈。 「春樹さん、無理しないで下さい」 「大丈夫…。僕は足手まといにはなりたくないんだ」 必死の形相で痛みを堪えつつ春樹はなんとか歩き出した。 それは倒れても倒れても立ち上がってくるボクサーのように感動を誘う光景だったが、よたよたと歩く春樹に乙姫は業を煮やした。 「ここはわたしに任せてっ」 そして春樹はぷかぷかと浮いたまま乙姫の後ろを付いていくという、ちょっとかっこわるい状態に陥った。
登山を開始して30分ほど経ったが晴明の後に続いて歩く淳二は、正直早くも音を上げていた。 何しろ足下がおぼつかないので歩きにくいことこの上ないのだ。 それでも夜目が効く方の淳二は振り返って他の5人の様子を見た。 ……見えなかった。 暗いので視界10m。 みんなだいぶ遅れているようだった。 と、淳二は良い考えが浮かんだ。 変身してその辺に落ちている枯れ枝に火を付ければ、たいまつ代わりになるだろう。 「我ながらナイス考え」 そう自画自賛すると淳二はお決まりのポーズをとった。 そして早速変身の台詞を叫ぶ。 『マーズパワ〜、メ〜イクア〜〜、ぐぁ』 スパコーーン!! 夜の闇を切り裂いてスリッパが淳二を直撃した。 「なぬっ」 慌てて振り返るが美亜子の姿は相変わらず見えないまま。 この闇の中、一体どうやってスリッパを命中させたのか、謎は深まるばかりである。 せっかく五行の“火”らしく、火星バージョンの変身を試みた淳二の目論見はあっさり潰された。 仕方なく普通に変身する。 『真田・日本一ぃ!!』 そしてその辺の枯れ枝を拾い、火を付ける。 「ふぁいや〜そ〜る」 めらめら、ぶすぶす。 簡易たいまつの出来上がり。 「これで少しは歩きやすくなるべ」 …淳二は気付いていなかったが、彼から吹き出す真っ赤な闘気の方が、実は辺りを明るく照らしていた。 それで得意げにたいまつを持っている姿は、端から見るとかなり間抜けであった。 すぐに美亜子が淳二の視界に入ってきた。 「………あんたなにしてんの?」 心底疲れたような声で美亜子が聞いてきた。 「明かりがあれば歩きやすいっしょ」 「あそ…」 特になんの関心もないような声でそう言うと、美亜子は落ちていたスリッパを拾い、思い出したように淳二のたいまつを奪取すると、また黙々と歩き出した。 「…疲れてるのかなぁ?」 淳二はまた辺りを捜して二本目のたいまつを作成した。 「悪霊退散」 よく分からないかけ声をかけて火を付けると今度は輪が来た。 「………なにをしている?」 「明かりがあれば歩きやすいっしょ」 「そうか…」 特になんの関心もないような顔でそう言うと、輪はしかし何事かを考えてから、思い出したように淳二のたいまつを奪取すると、また黙々と歩き出した。 「…疲れてるのかなぁ?」 淳二が見送ると、輪は唐突に振り返った。 「淳二、たいまつはともかく、すぐに変身を解いたらどうだ? それだと相当目立つぞ」 「ほえ?」 「…あ、いや、むしろ敵がどこに隠れているかも分からない状況では、最初から変身していた方がむしろ安全かもしれないな。ふむ、ではそうするか、俺の場合は奴ほど目立たないだろう」 輪は無表情のまま独り言をぶつぶつと呟くと、勝手に自分も変身して再び歩き出した。 「……やっぱり疲れてるなぁ」 淳二はまた辺りを捜して3本目のたいまつを作成した。 「ばーにんぐ、曼荼羅〜」 すでに錯乱気味である。 そうして火を付けると今度は乙姫が来た。 「………淳二さんなにしてるの?」 「明かりがあれば歩きやすいっしょ」 「別に…」 特になんの関心もないような顔でそう言うと、乙姫は輪さんどこかな、と呟き、また黙々と歩き出した。 人間よりも遙かに夜目は効くらしい。 「…疲れてるのかなぁ?」 呆然と見送った淳二の真上を、不気味な物体がぷかぷか浮いたまま通過した。 それはぷかぷか浮いているうちに、いつの間にやら寝てしまった春樹だった。 彼が着ている平安時代服のひらひらが垂れ下がり、両手をだらしなく下げて浮いているその格好は一昔前に流行ったキョンシーのようであった。 …ちなみに淳二は気が付いていないが、彼の頭上を通過した際、春樹の袖にたいまつが触れ、火が移っていた。 春樹の袖がぶすぶすくすぶっていたが、怪我と疲労のため気絶に近い状態で寝ている春樹は気が付いていない。 しかも、淳二も後ろから歩いてきた広奈に声をかけられたため、春樹から目を離してしまったのだった。 演劇部と合唱部で常日頃から鍛えている広奈の声は、例えどんなに本人が疲れていようと良く通る。 振り返った淳二に広奈はこう聞いた。 「………淳二さん、なにをなさっているんですか?」 「明かりがあれば歩きやすいっしょ」 「そうですわね…」 特になんの関心もないような顔でそう言うと、広奈は素直に淳二が差し出したたいまつを受け取った。 そしてまた黙々と歩き始めた。 「…疲れているのかなぁ?」 それを見送った淳二は後から付いてくる人影を待ったが、考えてみれば広奈が最後尾だったので慌ててその後を追った。 淳二が追いついてすぐ、唐突に広奈が立ち止まった。 「まぁ、大変。春樹さんが燃えてる…」 広奈の視線の先、袖をめらめら燃やしている春樹の姿があった。
先頭を歩いていた晴明は神将の一体が報告のために戻ってきたのでしばらく足を止めていた。 神将の報告は晴明の予想では二番目に悪い凶報だった。 「……そうか」 晴明は眉を曇らせ、何事かを少し考えるとその場で後続の到着を待った。 無論晴明は最後部で“あんなこと”になっていようとは想像もしていなかった。
淳二が慌てて春樹に駆け寄り、ぱちぱち袖を叩いて火を消そうとした。 さすがの春樹もそれでようやく目覚め、きっちり2秒後に自分の身になにが起きているのかを正確に理解した。 正確に理解してどうなったかというと…、もちろん、パニックに陥った。 「は、はうぅぅぅぅぅぅ」 じたばたじたばた。 そろそろ熱さを感じてきたのか、春樹がのたうち回る。 しかし乙姫の念力で浮いている状態なので、思うように身体が動かない。 じたばた暴れるが、結果として自分を助けようとしていた淳二を蹴飛ばす格好になった。 どかっ。 「痛っ、こらハル落ち着け」 じたばたじたばた。 そんなことでは春樹のファイヤーダンスは止まらない。 その時ようやく前を歩いていた乙姫が事態に気付いた。 「わぁぁぁぁぁぁ、大変だぁ」 ほとんど悲鳴のように乙姫が叫ぶ。 彼女の視線の先で春樹のファイヤーダンスは佳境に入っていた。 「あちゃ、うあちゃ、ちゃちゃちゃちゃちゃ」 じたばたじたばた。 春樹は別に中国拳法の演舞をしているわけではない。熱いのだ。 広奈がとっさに乙姫に指示を出した。 「乙姫さま、水です。水をかけて火を消して下さい」 恐らく広奈のその判断は、この場を収集するのにもっとも有効なものだっただろう。 ただし、広奈は乙姫もパニックに陥るという事態を想像してはいなかった。 「水、水…。そ、そうだ」 乙姫はあたふたとこちらに駆け寄り、両手を前に出して構えた。 「ええーい!!!」 気合いを込めたその手のひらから、物凄い勢いで激流が迸った。 すでに全身に火が回り始めた春樹を見て動転していた乙姫は、“加減”というものをすっかり忘れていた。 体長50mの超巨大大ムカデを押し返し、淳二を絶体絶命の死地に追いやった、あの激流が春樹の身体を襲った。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」 激流を浴びるその瞬間、さすがに死を覚悟した春樹が本能的に、無意識のまま変身を遂げていた。 その直後。 激流に飲み込まれた春樹は空高く舞い上がり、その後見事な放物線を描いて錐もみしつつ落下。そのまま山腹を転がり落ちていった。 「ひぃぃぃぃぃぃぃ↑ あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ↓」 春樹の悲鳴が愛宕山にこだました。 その後を追うように大量の水がざばぁぁぁ、と辺りに降り注ぎ、あっという間に山肌を削って小規模な土砂崩れを引き起こした。 そのため3人が歩いてきた道が5m程にわたって分断されてしまった。 さらに水を含んだ土砂は春樹が転がり落ちていった先へと崩れていく。 2次災害、泥流の発生である。 それを見ながら3人はただただ茫然自失。 最初に正気に戻った広奈が慌てた様子で口元に手をあてる。 「早く助けに行かなくては…」 金縛りにあったように硬直していた淳二と乙姫も、それが合図となって行動を開始した。 「オレが助けに向かうから、二人は急いでみんなを呼んで来るんだ」 淳二はそう言うとさっさと身を躍らせて春樹が落ちていった山腹を降りていった。 「では行きましょう」 「…う、うん」 これまでの疲れも忘れて二人は走った。
後ろから聞こえてきた春樹のものとおぼしき悲鳴に輪は足を止めた。 今日は朝早くに起き、1時間もかけて愛宕山を下り、さらに1時間かけて羅城門にたどり着き、そこで盗賊相手に一戦交え、また1時間歩いて晴明宅にたどり着き、それから3時間あまり晴明の説明を聞き、ついで鬼女紅葉を退治するため源満仲と剣を交え、後始末をして、少し休んだら今度は地獄のドライブを経験し、今また愛宕山登山。 はっきり言って輪の疲労もそろそろピークだった。 疲れのあまり判断力、思考力が鈍っていた輪の頭脳が再び緊張感を持って回転を始めた。 (今の悲鳴は春樹か? ……まさか、敵の襲撃?) ぼーっとしていた輪の思考がだんだんクリアになってきた。 (しまった、俺はなにをしているんだ。山間にこんなに長蛇の列を作って行軍するなんて、敵に分断して各個撃破してくれと言っているようなものではないか) 輪は慌てて来た道を引き返した。 (一刻も早く後続部隊と合流し、戦力の建て直しをしなくては…) 重大な勘違いをしたまま輪は走った。
美亜子の耳にも春樹の悲鳴が届いていた。 春樹の悲鳴→敵に襲われた→敵がいる→戦いだ。 素早く判断すると、美亜子も変身して来た道を引き返した。
たいまつに照らされて暗闇に一際輝く“愛”。言うまでもないが輪である。 「輪さん、大変です春樹さんが…」 広奈がそう言って説明しようとするが、輪は手を振ってそれを遮ると走ったまま声を張り上げた。 「分かっている。それよりすぐに晴明を呼んでこい」 それだけ言い残すと、そのまま輪は二人の横を駆け抜けた。 「わたし、輪さんについてきますっ」 乙姫は広奈にそう言うと、くるりと回れ右して走り出した。 広奈はそれを見届けるとすぐに前方に向かって走った。 すると今度は白い輝きに包まれた美亜子の姿が見えた。 「美亜子さん、大変です春樹さんが…」 広奈がそう言って説明しようとするが、美亜子は短く「わかってるわ」とだけ答えてそのまま駆け抜けた。 「二人とも本当に分かっているのかしら…」 広奈はそう呟いて、晴明の元へと急いだ。
当然土砂崩れが起きている部分ではなく、少し離れた斜面だ。 土砂崩れの現場を右手に見つつ懸命に斜面を下る。 あとは、ハルの奴が“運悪く”この泥流に飲み込まれて埋まっていないことを祈るだけだ。
輪の視界に入ってきたのは、大量の水が流れたため崖崩れのようになって分断された道だった。 引き返してきた輪から見て左側が急斜面。右側は山。 前方に先ほどまであった道は崖崩れで5m程に渡って削り取られ、向こう側に移動することも難しい状態だった。 「しまったっ、水攻めでこちらの戦力を分断するとは、敵にも相当の策士がいる!」 もちろん輪はこの状況が乙姫によって引き起こされたことを知らない。 輪が振り返ると乙姫が追いついてきたところだった。 「乙姫、春樹と淳二はどこだ? この先か?」 ちょっと息を切らしつつ乙姫が答える。 「ううん、二人はこの下」 乙姫の指さす方は左側、激流によってえぐれた崖崩れの下だった。 「くっ、水攻めに二人とも流されてしまったのか」 このとき輪は、敵が水攻めによって淳二と春樹を道から外れた場所に押し流すことで戦力を分断、その上崖崩れによってこちらの足を止めて兵力の再集結を阻止、そこで伏兵によってまず淳二と春樹から攻撃したのではないか、と考えた。 特に自分の周りには全然敵の姿が見えないので、輪は淳二と春樹が敵の全兵力によって袋叩きにあっている姿を想像した。 「最悪の状況だ」 急斜面の下を覗き込んで相当悔しそうに歯がみする輪。 「敵にみすみす先手をとられ、戦力を分断する愚を犯してしまったとは…」 「え? 敵?」 乙姫のつぶやきはドタバタと駆けてきたもう一人の登場にかき消された。
言うまでもないが登場したのは美亜子である。 「恐らくこの下だ」 苦々しい表情で輪が土砂崩れの現場を指さす。 美亜子はそのまま輪のそばまで近寄ると、息を整えつつ辺りを見渡した。 「…酷いわね。淳二とハルは?」 「それもこの下だ」 二人の位置からでは陰になって淳二の姿は見えていなかった。 「なに? 敵の罠ってこと?」 「恐らく。水攻めによってこちらの戦力を分断し、連携を断つ。敵にも恐ろしく知恵のまわる奴がいるぞ」 「してやられたってわけね」 「ああ」 この一連の会話を聞いた乙姫は、ようやく二人が重大な誤解をしていることに気付いた。 くいっくいっ。 おずおずと二人の袖を引くと、消え入りそうな声で告げた。 「…あの、これやったの…、わたし…です」
土砂に半ば埋もれた金色の三日月。 ハルの兜の前立てだった。 てことは、この下にハルがいるってことだ。 慌てて駆け寄るとオレは周りの土砂を懸命に除けた。 すると泥の下にハルの顔が見えた。 泥にまみれ、ぐったりと目をつぶったままのその顔は、オレに一瞬嫌な想像をさせるに十分だった。 「こらあっ、ハル! 起きろっ! いいか、死んでんじゃねぇぞ。こんなところで死にやがったら、殺すぞ」
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