陰陽五行戦記
第二章 ◇源平編◇
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ドシーーーン。(落下) 「ぐはっ! なんだ!? 何が起こった!?」 なにか長い長い夢を見ていたような気がするが、全身を襲ったとてつもない衝撃はそれを一瞬で消し飛ばした。 無重力感覚、そして三半規管が混乱するような錐揉み回転。 何か巨大な手のひらで何度もビンタされるような衝撃に翻弄され、そして淳二に巴投げを喰らったように背中から畳に叩きつけられ…。 当然のことながら、何らかの命の危険を感じ、俺は飛び起きた。 すぐに立ち上がるのではなく、居合い抜きのような中腰の格好で辺りを警戒。 ついつい左手が腰の辺りに刀の鞘を捜すが、変身していない状態だったので、そこに神刀『毘沙門天』はなかった。 だが、次の攻撃に備え、いざとなればいつでも変身できるようにと精神を集中する。 と同時に周りの様子、自分の置かれた状況を急ぎ把握する。 いや、それ以前に自分の体がちゃんと動いたことに俺は驚いていた。 そうだ。俺は藤原純友の妖怪軍団と戦い、動けなくなるほどの大怪我を負っていた。 それが…、 「生きてる…? 俺は、助かったのか?」 藤原純友が射た矢が刺さった右胸をぺたぺたと触ってみる。 痛みはなかった。 どこも、異常はない。 怪我はすべて治っていた。 そして視力も回復し、ようやく辺りが見えてきた。 隣に誰か立っているが、全身を見るまでもなく美亜子と分かった。 そして現在位置を確認、羅城門でも竜宮でもない。 和風の調度品に畳、間取りは10畳くらいだろうか、それほど広くない部屋。 その入り口では14歳ほどの年頃の女の子がこちらを見ている。 見知った顔だった。 割烹着姿で人を安心させるようなほんわかした容貌のその子は一条摩訶那。安倍晴明の式神。 摩訶那がいるところを見るとここは晴明の屋敷らしい。 しかし、その摩訶那はこちらを見て何か不思議そうな顔。 「ふにゅにゅにゅ…」 何かを思い出そうとしているようにも見える。 ともかく、どうやら何らかの戦闘は起こっていない。安全な場所にいることは間違いない。 しかし、ではさっきの衝撃は何だったんだ? そして美亜子のほかに、誰もいない。 美亜子だけ? 淳二と春樹と武田はどうした? 乙姫や晴明は? それに、美亜子はさっきからずっと黙ったまま。 起きがけに美亜子の「へっ!?」と驚く声が聞こえた気がするが…。 俺は、ここでようやくちゃんと立ち上がって美亜子を見た。 美亜子は目を見開いて、まじまじと俺の顔を凝視していた。 今目の前で起こっていることを現実として受け入れるのに難儀しているようにも見える。 しばらくお互いの目を見詰め合ってしまう。 だが、美亜子はリアクションを返さない。 「どうした?」 業を煮やして聞いてみたが、 「あ……」 美亜子は慌てて目をそらした。 「……っ」 そしてそのままくるりと俺に背を向ける。 「美亜子? どうした?」 「………」 返事がなかった。 いつもより少しだけ美亜子が小さく見えた。 背中が丸い。そして肩が震えている。 …まさか? 泣いているのか? とっさにかける言葉も見つからず、どうしたものかと思っていると、 「ふにゅ? みあこ…さん?」 俺の呼びかけを聞いてか部屋の入り口で摩訶那が美亜子の名前を反芻している。 「みあこ? みあこ……、ふにゅにゅ…」 さらに考え込むそぶり。 こちらはこちらでなんだか謎。 しかし、今は美亜子のことだ。 俺は羅城門で戦って、そしてそのまま意識を失った。 だけど、こうして一条屋敷にいて、怪我も治っているということは、 「お前が助けてくれたんだな」 美亜子はやっぱり何も言わなかったが、こちらに背を向けたまま無言で頷いた。 「そうか…。すまん、心配をかけた」 「…ほんとに。起きるの遅いわよ、馬鹿」 ちょっとだけ声が震えていたが、でも美亜子はそう言って強がった。 そして髪をかきあげるフリをして、目元の涙を拭うと、ようやく俺に向き直った。 もう、いつもの美亜子に戻っていた。 「体は大丈夫なの?」 「ああ」 「じゃあ、急いで追いかけないと。みんなはもう鞍馬山に向かっているわ」 「そうか、分かった」 なるほど、概ねの事情は理解できた。 しかし、俺のせいでせっかくの計画に狂いが生じてしまったわけか。 魔王との決戦に、俺と美亜子抜きでは3人も相当大変だろう。 早く援軍に行かねば。戦力の集中運用は戦略の大原則だ。 ともあれ早く戦闘態勢を取るのが第一。 俺は精神を集中し、即座に叫んだ。 その身を陰陽武道士へと変ずるためのキーワード。 式神武戦具を身にまとい、魔王と戦うために。 『愛だっ!』 瞬間、俺の体に圧倒的な力がみなぎるのを感じる。 冷気と水を自在に操る五行の力。常人の数倍にもなるだろう、強化された筋力。 全身を覆う黒の闘気、そして直江兼続公が着用していた薄浅葱糸威最上胴具足を身にまとい、そして象徴的な『愛』の一字を前立てにした兜が出現。 黒縁で白の陣羽織の背中にも大きく“愛”の一字。 その、俺の変身後の姿を見た摩訶那の目がまん丸に。 なんだ? 今更何をそんなに驚くことがあるのだろう? 「摩訶那、他の3人の様子は? 鞍馬山はどうなっている?」
だが、何か重大なことを思い出したらしい。そんな完璧に腑に落ちた表情で、びしっと俺を指差すと叫んだ。 「そうですぅ〜。愛の人ですぅ!」
「なんだ? 何の冗談だ?」
摩訶那は満面の笑み。 輪と美亜子が唖然としていると、ちゃちゃっと居住まいを正し、三つ指をついてご挨拶モード。 「そうとは気がつかず、大変失礼しましたですぅ。つい泥棒さんが侵入したのかと思って、攻撃しちゃいました。すみませんですぅ」 「え? 泥棒って…」 怪訝な表情で美亜子が聞き返すと、摩訶那は二人にとって驚天動地の一言を発したのだった。 「えーと、真田輪さんと武田美亜子さん。お久しぶりですぅ。249年ぶりですね〜。ウチのお屋敷へようこそですぅ♪」 「いや待て、名前違う…、って今なんて言った?」 直江輪、絶句。 「なに? 249年ぶりって?」 本多美亜子、呆然。 しかし、摩訶那はやっぱりにこやかに衝撃発言を繰り返した。 「はい、以前お会いしたときから249年経ってますぅ。ほんとにお久しぶりなんですぅ」 古い友人と再会したように、摩訶那の顔には懐かしさと親愛の情があふれ本当に嬉しそうだ。 しかし、だからと言って無条件にその喜びを共有するような気分ではない。 なにせ、249年ぶりというのだから。 つまり…、 「時間跳躍?」 「タイムスリップ?」 顔を見合わせた輪と美亜子は、同じ意味の単語を口にした。 そして輪がまた別の可能性を指摘する。 「それとも、俺は249年も眠ったままだったとか?」 それには美亜子は首を振った。 「違う、あたしの感覚だと、寝てから4時間ちょっとしか経ってないはず…。そもそもあんたが羅城門で死んでたのが昨日の夜だし、それからだとたぶん、えっと、16時間くらいかな、寝てたの」 美亜子の頭の中での計算である。 輪は昨日の夕暮れ後に羅城門で藤原純友の妖怪軍団と激闘を繰り広げ、美亜子が見つけたときは心肺停止状態。 それから広奈と美亜子が二人がかりで蘇生させ、竜宮の温泉で夜を明かし、夜が明けてから3人が来て、広奈の術で美亜子が眠らされ、そして晴明の屋敷に運び込まれたはず。 そんな風に時間経過を思い出していた美亜子だったが、さっきの発言の一部に、輪を驚愕させるキーワードが含まれていた。 すなわち、 「ちょ、ちょっと待て、なんだ俺が死んでいたって?」 愛の前立てがずずっと美亜子の顔に急接近。 時間跳躍よりもそっちのほうが輪にとっては驚き。 あまりのことで無意識に輪は両腕を伸ばし、美亜子の両肩を掴んでいたのだった。 明らかに緊迫した表情の輪の顔が目の前に近づき、美亜子は失言にちょっとだけ焦った。 「あ、それは、その、言葉のアレで。死んでたって言うか、息してなくて、心臓が動いてなかっただけだから」 それはそれでやっぱり重大発言。 輪は再び衝撃を受けた。 「なっ…、だとすると、何で俺は今生きてるんだ?」 輪の目は真剣で、例によって“なにも分からないということを極端に嫌う”性格そのままに美亜子に疑問をぶつけてくる。 だんだん、話がまずい方向に…。 美亜子、再び焦る。思わず輪から目をそらしつつ、小声で、 「そ、それは、広奈が…」 「武田が…?」 「あの術で怪我の治療と…」 「治療と?」
あの時は輪を助けるため、無我夢中でしたことなのだが、よくよく考えてみれば、…いや、考えるまでも無くあれは…。 (人工呼吸…) である。マウストゥーマウス。 しかも、真っ先にそれを試みたのは広奈のほうで、次に自分も…。 思わず、輪の唇を凝視してしまう美亜子。 そう、輪の意識がないときに、それこそ何度も…。
さすがにその美亜子の様子と、目線の行き場所を見て、朴念仁の輪も感づいたらしい。 大体、心肺停止状態の人間に対して施す緊急治療といえば、ひとつである。 と同時に美亜子の両肩を掴んだ今の状態に気付いて、その手を離し、距離をとる。 美亜子の視線をさえぎるように、右手で自分の口を押さえ…、 「…まさか」
ま、いわゆる逆ギレ的な状態であるが、美亜子の動揺の発露といえば、その通りである。 「わ、悪かったわね。したわよ、人工呼吸。でも、最初にやったのは広奈だからね。あたしもやってたけど、だってしょうがないでしょ。そうしないとあんたは死んでたんだから。なに? 不満? 文句があるんなら、今すぐここで叩き斬ってやるから!」 一息に、そこまでまくし立てた。 さすがに同じく動揺状態にある輪もまた、その勢いに押されたか、しどろもどろに返答。 「いや、文句などない…。むしろ俺のほうが、その、申し訳ない。俺とて女の子にとって、それがどれだけ大切なことか、よく分かっているつもりだ。だから、その、お前と武田には、本当にすまないことをした。俺は、その、どう責任を取れば…」 愛野郎、正真正銘の動揺中である。 「は? なにそれ。責任って」 「いや、それは、その、なんと言えばいいのか…」 完全に役立たずのろくでなし状態の輪。ダメ男っぷり発揮中である。 なんというか、もう、見てられない。 「なに言ってんの。責任とかどうでもいいわよ。あんたが死にかけてたんだから、助けるのは当然でしょ。フツーよフツー」 「いや、しかし…」 煮え切らない様子の輪に、やっぱり美亜子の怒りのゲージは上がっていく一方で。 「なに? 別にいいって言ってるでしょ、それともなに? やっぱり不満? 綾瀬じゃない女とキスしたのはそんなにショックだったの?」 半分くらい図星だったのかもしれない。 むしろ美亜子に言われてようやくそっちの方向で現実を突きつけられたとも言える。 綾瀬に対して、どう申し開きしたものか。 輪はあからさまに顔面がいやな感じに硬直。右の頬が引きつっている。 しかし、美亜子の言葉をそのまま肯定してしまうわけにもいかない。 それは美亜子に対してどれだけ失礼か。 決してそうではないのだ。美亜子にキスされたとして、それは決して不快なことではないのだ。 ただし、輪の持っている恋愛観、倫理観的にそれはやっぱりよくないことだし。 とは言え責任を取るといっても、広奈と美亜子の二人に対して、均等に責任を取ると言うことは、それすなわち二股だし。だから、それは出来ない相談で。 輪は頭を抱えたくなった。 それを、どう説明したものか。 「違う、違うぞ、美亜子。決してそういうことではないんだ。とにかく、俺の命を救ってくれたことには、本当に感謝している。本当だ。文句などない。ショックも受けてない。それは分かってくれ」 完璧に低姿勢状態の輪、それには美亜子も口を尖らせる。 「じゃあ、なんだってのよ」 「お、俺はお前にどう詫びていいか…、ファーストキスだったりしたら…」 さて、つくづく輪がこの手の話題では駄目男かということが浮き彫りになる一言である。 それがまた美亜子の逆鱗に触れた。 だって、図星だし。 「う、うるさい! 別にどうでもいいでしょ、そんなこと。あんなの事故よ。カウント外。それに、あんたは別にキスくらいたいしたことじゃないでしょ。いっつも綾瀬としてるだろうし」 0.1秒ですごい否定が返ってきた。 「するかっ!」 「は?」 「そんなのまだ早いだろ、綾瀬は中学生だぞ」 衝撃的な発言である。 さすがの美亜子も言葉を失った。 「………ちょ、なにそれ? だってあんた綾瀬とはキスしたって言ってたじゃん」 「あれは、若気の至りで小学生のときに」 「…バカ?」 「バカとはなんだ」 「だって、バカじゃん。なにそれ、綾瀬が可哀想」 「可哀想とはなんだ」 「可哀想よ。だって付き合ってるんでしょ? それなのになにそれ、ずっとキスもしてないの」 「いや、別に付き合っているとか、そういうのは…」 「はぁ? 何ふざけたこと言ってんの!?」 徐々に声が大きくなる。 「別にふざけてなど…」 「ふざけてるわよ! あんたがそんなんだから、あたしは…」 ……。 沈黙。 弾みでとんでもないことを口走りそうになり、美亜子は口を閉ざした。 目をそらし、下を向き、強くこぶしを握り締める。 輪も輪とて気まずい雰囲気の中、声のかけようもなく、立ち尽くす。 凍りついた場の空気。 しかし、全くやる気のない第三者の声が、二人を現実に呼び覚ました。 「あ〜、痴話げんかはおわりか〜?」 摩訶那ではない、若い男の声だった。 「「…っ!」」 再び輪と美亜子の顔面温度が12度ほど上昇。 TPOを忘れて二人の世界に没頭していたことに、今更気付く。
九頭竜にとっては、なにがなにやら、だった。 風を操ることができ、さらに超回復能力を持った最高の体を手にし、余裕で魔王を喰らい尽くしたはず。 しかし、せっかく魔王を喰らっても、その身を竜に変ずるだけの魔力がなぜか吸い取られ…。 気がつけばまた元の人間の体のまま。 そして自分もまた剣に戻っていた。 さらには辺りの風景もまた一瞬のうちに変化していた。 確かに猛烈な火に包まれていたはずなのに、それが消えている。 だけでなく、その痕跡すらなかった。 「口惜しい…」 そう口にした瞬間、ぞっとするような殺意、恨み、悔しさ、そういった負の感情が九頭竜を支配する。 それは、体に残る魔王の残滓。 辺りに目を向ける。 するとすぐ近くで倒れたままの淳二の姿が目に入った。 まだ、生きている。
生きとし生けるものすべてが。 「殺す…」 人間を殺しつくし、そして君臨する。この国を再び八百万の神が支配する場所に。 自分を、国つ神を駆逐した人間すべてが憎い。 ゆえに殺す。 手始めに、この人間を。
「くっくっく…」 愉悦。 これからこの活きのいい若者の心臓を一突きし、その命の炎を消し去るのだ。 あふれるであろう血の匂いを想像し、九頭竜はのどの奥で不気味に笑った。 その顔は、気弱な善人顔だった伊達春樹の表情ではない。邪悪に笑うその体はすでに完全に九頭竜に乗っ取られていた。 それが代償。春樹が得た力の代償。
完全に意識を失ったまま、弱弱しく呼吸だけを繰り返している。 抵抗など出来るはずもなかった。 九頭竜はゆっくりと、剣を、うつ伏せに倒れたままの淳二の左胸の上に移動させた。 剣からはぽたぽたと濃い緑色の液体がひとりでに漏れていた。 それは、九頭竜の牙から出るのと同じ、毒。 かつて春樹の顔面を焼いた猛烈な酸。 それが、淳二の鎧にぽたっと落ちた。 たちまち煙を上げて淳二の鎧が溶けていく。 刃物としての殺傷力に加え、この猛烈な酸が表面から発生しているのだ。 まさに、恐るべき最凶の剣。 力をこめて、それを突き刺せば、淳二は死ぬ。 間違いなく、即死だ。 「ふははははは…」 笑いながら。 虫を殺すように、九頭竜は右手に力をこめた。
そして…、
勢いで地面にまで10センチほど突き刺さっている。 文字通りの串刺しだ。一切の容赦なし。
「がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」 悲鳴が漏れた。 剣の表面に分泌されている強力な毒の酸が、さらに傷口を溶かし痛みが数倍。 「馬鹿な!? ああっ、ぐおっ、い、痛い…。むぐぐぐぐ…」 脂汗を顔面にびっしりと浮かべ、九頭竜は恐る恐る剣を抜いた。 たちまち吹き出す血の量が倍増。 しかし、待つこと数分。 とりあえず春樹の持つ超回復が発動し、傷口は跡形もなく消え去った。 「お、おのれ」 なんだか理不尽だが九頭竜の怒りはかつてのこの肉体の所有者に向けられた。 「邪魔をするな」 (いやだ。真田君を殺させるもんか。そんなことをするなら、次は心臓を刺して死んでやる!) そして左目から、オロチの瞳となった右目ではなく、人間の瞳のままの左目からだけ、涙がこぼれた。 「死ねぬ。汝の肉体は決してな…」 そう言うと九頭竜は愉快そうにのどを鳴らした。 (変身しなければ、僕なんかすぐに死ぬ体なんだから!) そう頭の中の別の声が言うと同時に、九頭竜の体に異変が。 すなわちこれまで身を守っていた式神武戦具が、黒漆塗五枚胴具足と三日月の前立の兜、そして背面に大きく「竹に雀」の伊達家紋をあしらった紫羅紗の陣羽織が瞬時に消えたのだ。 たちまち平安時代の武家装束姿に戻ってしまった。 「なっ、なんだと!」 (これで、僕は簡単に死ねる。こうなったら僕に何の力もないんだ) 「ふ、ふざけた真似を…」 いきなりの大誤算だった。 九頭竜は最強の肉体を得たと思いきや、こんなからくりが…。 「なんの、また戻ればよいだけよ…」 (……) 「変身!」 ・ ・ ・ 「ぬ…?」 何も起こらなかった。 「な、なんの…間違えたわい、確か、こうだったの…」 気を取り直して、 「どくがんりゅー!」 ・ ・ ・ 何も起こらなかった。 「う…」 う、じゃないし。 ダメだし。 「ま、まあよい。ひ弱な人間など、いつでも殺せる」 ふむふむ。 「こ、今回は勘弁してやろう…」 (……) そうして、九頭竜はちょっとだけ弱気になった足取りで淳二を離れた。 その背中はかなり寂しげで、しかしそれを見ているものはいなかった。 九頭竜のその後の行方は、まだ誰も知らない。
いるはずのない人の、声が聞こえた。 どこまでも澄んだ綺麗なソプラノ。 本当に、本当に美しいエンジェルボイス。 こんな声の持ち主は一人しかいない。
それは広奈ちゃんの声。 でもさ、広奈ちゃんは魔王のせいで死んでしまったはずで。 ん? ということは、オレも死んだのか? ってことは、ここはあの世ですか? まぁ、でも、いいか。広奈ちゃんと一緒なら…。
「よかった…」 安堵したような広奈ちゃんの声。 そして眩しさに目が慣れてくると、目の前に広奈ちゃんの顔が広がっていた。 オレの顔を覗き込んでいる。 広奈ちゃんは彼女の式神武戦具である『楯無』の鎧兜姿だった。 その広奈ちゃんが、ずいぶん近いぞ。 これっていわゆる膝枕状態? でも、オレも式神武戦具である真田丸を身につけたままだから、残念ながら広奈ちゃんの太ももの柔らかさを感じることは出来なかった。 ん? いや、まてそんなことはどうでもいい。 あ、別にどうでもいいわけじゃないが、しかしこれはなんか変だ。 「あれ?」 オレは上半身を起こした。 辺りは、うっそうとした杉林。 火は消えていた。 というか、さっきまでスゲー勢いで燃えていたのにその痕跡がない。 あと、起き上がったとき、オレの体には何の痛みもなかった。 「なんで?」 段々意識がはっきりしてきて、そして広奈ちゃんの姿は別に夢でも幻でもなく、現実に、オレの前にあった。 「ひ、広奈ちゃん?」 「はい」 返事した。 ちょっと悲しそうな表情で。 でも、これって…? 「生きてる?」 「はい」 頷いた。 「ど、どうやって?」 率直な疑問。 その問いに、広奈ちゃんはこれまで見たことのないほどの悲しい、そして申し訳なさそうな表情を作って、答えてくれた。 「わたくしは、逃げたのです。魔王の攻撃を受ける寸前に地面の下に」 「地面の、下? もぐった?」 「はい、五行妖術を使って自分の真下の地面に深い穴を掘って、あとは方術で自分の幻覚を作って、その隙に穴の中に逃げ込みました。そして蓋をするようにまた土を動かし、防御結界を張りました」 すげぇ、あの短時間にそんなことを。 まるでマジックじゃん。イリュージョンじゃん。 「そっか、オレが見た広奈ちゃんは幻覚だったんだ。魔王の攻撃を喰らったのは…」 「はい…」 なるほどね〜。 「そっかそっか、さすが広奈ちゃん。いや〜、でも良かった。ほんとに良かった…」 心底安堵した。ていうか、死んだフリは心臓に悪いぜ広奈ちゃん。 「は、ははは…」 なんか腰が抜けそう。 そしてじわっと来た。 鼻の奥がつんと熱くなってきて、安心したせいか、ついつい目から謎の汁が。 やばいやばい…。 と、オレが目元を押さえ、鼻をすすっていると。 「わ、わたくしを責めないのですか?」 「え? なんで?」 思いがけない言葉だった。 「だって、わたくしは、自分ひとりが助かるために、皆さんを見殺しにしようとしたんですよ」 あ、なるほど、確かにそんな見方もできるか。 「淳二さんがわたくしをかばって魔王の攻撃を受けたとき、わたくしは淳二さんを助けるのではなく、自分だけが逃げ延びるために術を使いました…」 「…広奈ちゃん」 見る見るうちに広奈ちゃんの目に涙があふれてきた。 オレは、広奈ちゃんが泣くのを、初めて見た。 「ただ死にたくない一心で…。わたくしは、卑怯な女です…。自分が情けなくて、淳二さんと春樹さんに申し訳なくて…」 そんな広奈ちゃんの自責の言葉を、オレはほとんど聞いていなかった。 ただ、涙を流す広奈ちゃんは、やっぱりどうしようもなく綺麗で。 オレはそれに見とれていたんだ。 でも、 「暗い地面の中で、わたくしは怖くて、そしてずっと後悔していました。淳二さんと春樹さんを見殺しにしてしまった。一人だけ安全な場所に逃げ込んで、でも今更出ることも出来なくて、魔王に気付かれたらどうしよう、二人が魔王に殺されたら、どうしようって…」 段々、広奈ちゃんの声も、慟哭も大きくなっていた。 そしてオレは気付いたんだ。 広奈ちゃんの選んだ方法は、一人だけ地中に隠れるという選択は、たぶん短い時間であっても彼女の精神をすごくすごく消耗させたはずだ、と。 暗くて、孤独で、寂しくて、死の恐怖に怯えて、そしてずっとずっとオレたちの無事を祈ったはずだ。 それはあの状況では絶望的なことで。 オレもハルも死んでしまった。そう思っていただろう。 そんな状況で、ずっとずっと一人でいたんだ。 光の射さない暗闇で、自分を責めながら。 それは想像を絶するくらい苦しい時間だったろう…。 一分一秒がどれくらい長く感じたか。考えるだけで、オレはぞっとした…。
もう、オレが見とれるような綺麗な姿じゃなかった。 幼子のように。 涙で顔をくしゃくしゃにして。 だから、オレは迷わず広奈ちゃんを抱き寄せたんだ。 「もういいよ。広奈ちゃん、もういい」 広奈ちゃんは抵抗しなかった。 ただ、オレの陣羽織の端を強く強く握り締めて、そして泣いた。 そうして、広奈ちゃんが落ち着くまで、泣き疲れるまで、オレはなるべく優しく背中をさするしかなかった。 余計な慰めの言葉もかけられなかった。 でも、たぶんそれが最善だったと思う。 ・ ・ ・ やがて、広奈ちゃんの慟哭も収まった頃、小さな、小さな声で広奈ちゃんはオレに聞いた。
考えをまとめる時間が欲しくて、オレは抱きしめていた広奈ちゃんの体を離した。 彼女はごしごしと右手の指先で自分の涙を拭うと、真っ直ぐにオレの目を見た。 たぶん、最悪の報告を覚悟した目だった。 だから、とにかくそうではないと、伝えなくちゃ。 「…生きてるよ」 広奈ちゃんは一度大きく目を見開くと、ほっとしたように顔を伏せた。 その拍子にまた両目から涙の粒がこぼれるのを、その涙の落ちるのをオレは見送った。 「……よかった」 そう言って広奈ちゃんは両手を胸の前で組んだんだ。 神様に感謝の祈りをささげるように。 だけど。 オレは伝えなくてはいけない。オレが見たすべてを。 「ハルはあの剣を抜いたんだ。九頭竜の剣。そしたら…」 「……」 広奈ちゃんの目から涙が消えていた。 「あれが本当に現実に起こった光景なのか、オレもまだ信じられない。だけどそのまま、オレが見たままを伝えると、ハルは九頭竜になっていたんだ。あいつの右腕が、剣を持った右腕が段々巨大化し、9つの蛇の首になって…、そして魔王に襲い掛かり、魔王を喰った」 「…っ」 広奈ちゃんが息を呑んだのが分かる。 「オレが見たのはそこまで。あとはオレも気絶してしまって何がどうなったかは知らない。だけど…」 そう。ひとつはっきりしていることがある。 それを思ったら、なんだか胸にぐっと来た。 ああ、ダメだ。広奈ちゃんの涙がオレにも伝染しやがった。 「…あいつはさ、ちゃんと約束を守ったんだ。ハルのやつ言ってたじゃん、オレたちのことを守るって」 なんだか涙声になってしまった。ちょっと恥ずかしい。 「はい…」 たぶんオレと同じ理由で、広奈ちゃんもまた目に涙を浮かべていた。 「オレが生きているのもハルのおかげなんだ。うん。それは確実にそうなんだ…」 そしてオレはもう一度辺りを見回した。 「いない?」 広奈ちゃんは頷いた。 「はい、わたくしが見つけられたのは淳二さんだけでした。春樹さんも小十郎さんもそれに小摩訶那さんも、誰もいませんでした」 う〜ん、一体みんなどこに行ったんだろ。 でもまぁ、これでオレたちのやることは決まったな。 「とりあえず、探すか」 オレはあえて明るい調子でそう言って立ち上がった。 「はい」 広奈ちゃんはオレの言葉に頷いて、そして雨の後に晴れ間が広がるように、本当に綺麗に微笑んだんだ。 この笑顔がまた見れた。 そのことにオレは心の底から感謝した。 だから、思ったままをそのまま口にした。 「生きていてくれて、本当によかったよ、広奈ちゃん」
それは新たな冒険の物語の始まりでしかない。 果たして輪と美亜子の前に現れた人物の正体は? そして九頭竜に体を乗っ取られてしまった不幸な春樹の運命は? 思いがけずにいい感じになった淳二と広奈に進展は? 離れ離れの五人が再びめぐり合うのはいつになるのか、それはまだ誰にも分からない…。 次回、陰陽五行戦記第二章『源平編』第二話 「一条屋敷と秘密の扉」
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